Novel coronavirus 6

「んでさ、現実に返るけど、滝岡。つまりおめーは、こいつが日本に来ると思ってるんだな?つまり」

「はい、先輩」

滝岡が、問い詰める永瀬にあっさりと応える。

 それに、いやそうな、まずいものを思い切りくちにしたように永瀬が情けない顔で顔をゆがめて。

「あのなー、…おまえ、…もうちょっとは、そのなー?」

「そういわれましても」

極真面目に対する滝岡に、げろりん、とソファに懐いて永瀬が情けない顔で瀬川を見あげる。

「…コメントないの?瀬川ちゃん」

「ありません。というか、これ、どのくらい来る予定なんですか?」

「―――――…どのくらい、とかいっちゃう?瀬川?」

酢を呑んだようなかおをして、しばし沈黙してからきく永瀬に、あきれた視線をむけて。

「そういう話でしょう。確か、もう日本でも患者さんは出てますよね?」

「中国からの帰国者で、神奈川県に」

「――――そういえばそうだったな、…」

瀬川の問いに神尾が答え、うつろにつぶやく永瀬に滝岡が云う。

「うちは感染症指定病院ではありませんから、優先順位は高くありませんが」

「…――――――ひとつきいていいい?優先順位なんてものが捗るほど、患者さん少なくてすむとおもってんの?滝岡?」

「思ってません、先輩」

「――――だーかーらー!!!どーして、そう淡々というのよ?すこしはためらいとかさ、やさしさとか、ないの?おれに?」

端的に、すっぱりという滝岡に真顔でみあげて訴える永瀬。それに真面目に向き合って。

「…やさしさ、ですか」

それだけいって沈黙する滝岡に、永瀬があわてて首を振る。

「い、いいっ、おまえのやさしさはいいっ、いらないっ!」

慌てて首を振って両腕を抱いて否定してみせている永瀬に、滝岡が凝っと。

「いらないんですか」

「いらないっ、…!おれが悪かった!な?滝岡!」

「…いらないんですか」

何を考えているのかいまひとつ解らない真面目な滝岡の様子に首を振って永瀬がいう。

「いらない、いらないからなっ?」

「いらないんですか、…」

「そこにこだわるなよっ!おれが悪かった、な?反省したから!」

「反省、ですか、…。ともあれ、先輩。中国が都市封鎖までして感染拡大を封じ込めようとしている感染症です。」

あっさりという滝岡に神尾がうなずいて続けている。

「一二百万都市の交通を遮断して、移動を禁じました。――――」

「日本でいうと、何?東京封鎖したようなもんか?東京二四区、全部封鎖して外部に出ることを禁じて、交通を遮断して、――――」

「人を、感染症と共に封じ込めた」

永瀬の言葉に無表情に瀬川がいう。

 表情を消して永瀬が瀬川を仰ぐ。

 無言で、マグに残ったコーヒーを瀬川が見る。

「…病院、幾つあるんでしょうね?」

「―――ICU、…このデータみてると、…単純に重症化が二割とするよな?」

無茶仮定すぎるけどな、といいながら永瀬が顔をしかめる。

「…感染した二割も重症化すんの?おれいや」

永瀬の感想に構わず瀬川が腕組みして淡々とスクリーンをみながらいう。

「肺にECOMは普通でも人手が倍いります」

「人口、――五百万が出たとして、残り七百万としても」

「どのくらい感染しているかですね。それから、どのくらいの割合で重症化するかですが」

永瀬が続けていう大雑把すぎる数字に淡々と瀬川が返す。

 それに、つぶやきながら、必要な人手を計算しようとして。

 くるり、と永瀬が滝岡を振り向き唐突にきく。

「――国境封鎖できんの?滝岡」

「おれにいわないでください」

突然、顔をあげていう永瀬に、きっぱりと滝岡がいう。

 永瀬が情けない顔になっていう。

「けんとーくらいしろよー、…誰か政治家に闇のルートとかもってないの?封鎖しようぜ、封鎖、さこく」

 さこくーとさわぐ永瀬に淡々と滝岡が返す。

「そういうルートの持ち合わせはありませんね。うちは、国立でもありませんから」

一私立病院ですから、とあっさりいう滝岡に永瀬がげんなりとする。

「…あいそなーい」

「あってたまりますか。…ともあれ、先輩、もし、R0が2.5なら」

「…―――国境封鎖しよう、鎖国だ、鎖国。いいだろ、しばらくやってねーんだし」

永瀬の主張に、困った顔を滝岡がみせる。

「でもなあ、鎖国いーとおもうぞ?鎖国。そうでもしなきゃ、…どーすんのよ?」

「そういわれましても」

 あっさりいう滝岡に天井をにらんで、永瀬が神尾を振り向く。

「ね、重症化率とか、わかってんの?数値ない?どこかに?」

「…――ありません。信用のできないデータなら幾つかありますが、…」

「信用できるの探して、ね?しかし、―――致死率、26.5%?」

「重症化した方達の中からですから、―――」

「んで、いきなり百人死亡を公表、したのな?都市封鎖してから」

「…―――」

永瀬の問いともいえない言葉に神尾が沈黙する。

「…神尾ちゃん?」

訝しんで訊く永瀬に、言葉がないように首を振る。

「…わかりません。―――何故、都市封鎖をしたのか、…。」

重い雰囲気で暗く考え込んでいる神尾に、永瀬が息をつく。

 それから、ふと微笑んでみせて。

 微苦笑を。

「宿題だな、神尾ちゃん」

「え?永瀬さん?」

振り向いて茫然としている神尾に、永瀬が明るい笑みをみせて。

同時に、とても人が悪い笑みでにっこりと。

「だろう?わけがわからない。それは確かだ。いま、神尾ちゃんにみせてもらったデータも、本物として、」

複数の患者達が辿った経過を途中の血液検査の数値等で表示している、そのデータをあらためてみながら。

「確かに、これだけをみれば致死率が高くみえるが、重症化した入院患者――元々、どの程度重篤だったかはわからんが、のデータだから、一見致命率が高くみえることはよくある。それに、重症の感染症から、――肺炎をまず起こして、そこから、DIC、多臓器不全というのは、不幸な転帰だが、よくあることだ、…」

「治療法がない、新興感染症であると考えれば、ありうることですね」

永瀬の言葉に滝岡がうなずく。

「そうだ。SARSも、MERSも、―――同じようにスタンダードな治療法がなく、重症化して手遅れになった患者さん達が多くいた。治療法がわかっていないというのは、そういうことだ。そういう病気は、地球上にまだ沢山ある」

「その通りです」

永瀬が、データと都市封鎖の画像とを見つめる。

「だが、それだけじゃ、都市封鎖はしない」

永瀬のその言葉がすべてだった。

 いま手に入るデータ――この知られていない新型肺炎と呼ばれる疾患の経過を記した論文、あるいは報告書。

 そして、これまでのニュース等、公開されているあらゆるデータからは。

「都市封鎖する理由がみえない」

 永瀬のいう通り、そこに載せられた情報やこれまで公開されたデータからは、けして、みえてくるものはなかった。

 都市封鎖をさせるだけの――疾病とは。

 それだけのことをさせる何があるのか。


「宿題だな。いまあるデータからはみえてこない。けど、情報がないままじゃ戦えないぞ?集める必要がある。これが何で行われたのかをな?」

 だから、宿題だ。

 と、軽くいってみせている永瀬の言葉に、蒼白なまま神尾は都市封鎖の映像を仰いでいた。





「―――ドイツに、患者さんが出たそうです。…中国のビジネス――上海から訪れたビジネス客から、感染した可能性があると発表がありました。…それが」

「神尾?」

「上海から来た女性は、ビジネスで訪れていた間、無症状だったと」

滝岡が神尾を見直す。

「何、――」

「幾つか、複数の情報ではありますが、未確定で、…―――しかし、」

「無症状か、――それで、感染がおきた?」

「――おそらくは」

不確定ですが、と。




「とんでもない映像もありますよ」

「西野?」

外科オフィスで仕事をしながら、同時に、休憩時間ですから、といって中国での新型肺炎に関するあらゆる情報を集めている西野――滝岡の医療秘書であり、滝岡総合病院全体を管理するシステムの設計者の一人であり管理者でもある――があきれたようにいってみせる。それに、滝岡が手を止めて。

「何だ?」

「例の都市封鎖されている都市の中という話で、スマホに撮られた画像があがってたりします。突然倒れたりとか、――フェイクも多いと思いますよ?すぐに消されますが。もっとも、一度あがったら、消しきれませんけどね。復元されますから」

「大変だな。噂や怪しい話も集めるのは大変だろうが、―――」

「そうでもないです。こういうジャンクは沢山、特にこんな状況だと、沢山集まりますからね。いつでもそんなものです。集めるのは、別に大変でもありませんよ。クロールさせればいいだけのことですし、それに、見分ける方が大変でしょう」

「いまは玉石混交でも、とにかく集めておいてほしい。真偽に関しては、後から考えよう」

「そうですね。それにしても、集めるのも怪しくて必要ないっていうのもあるかもしれませんけど。たとえばこれなんか」

「どういうものだ?」

「先の倒れてる画像も怪しいですけど、うわさを纏めたのがすごいですよ。―――免疫を攻撃してダメにして、ヒトの細胞に潜んで、ずっと治らない、その上、抗体ができなくて、できてもその抗体があるから一度かかったら二度目に感染すると酷くなって死ぬとか、血を身体から流すとか、――つまりは、HIVとエボラ出血熱と、何か色々合わせた人工ウイルスだとか?」

肩をすくめて文章を読んだ西野が、ふと視線をあげて滝岡を見る。

 真面目に、何事か考えるようにしていた滝岡が。

「あ、いや、―――あまり怪しくもないかもしれない。人工というのはともかくとして、免疫を攻撃するというのは、実際にあることだ。それに、抗体が出来にくいかもしれないというのは、いくつか報告があがっている。抗体が出来た――つまりは、一度感染した為に、もう一度感染した際に重症化することがあるというのは、デング出血熱のようなものだが、―――――」

「滝岡先生?」

滝岡が応えるのを忘れて、しばし沈黙する。




「ここらへんで一度作戦会議しよう、滝岡」

「…先輩?」

デスクに座り、書類にサインしていた滝岡が突然PCの画面に割り込んできた永瀬の画像に驚いて問い返す。それに構わず、突然画面に通信映像を割り込ませた永瀬が勝手に決める。

「三十分後に、そこな。集まるから。西野ちゃんも入れて、出来れば光ちゃんもつないでくれよ。神尾さん必須な?こっちは瀬川つれてくから、じゃ、あとよろしく」

「…――――先輩、拒否権は、…―――ないですね」

沈黙して画面を、というか、先輩医師である永瀬の通信画面が突然立ち上がったときと同じく突然消えた画面をしみじみと眺める。

 ――いいんですが、…―――。

丁度、光にも同じようなことをいわれてましたしね、…。

と、いとこであり、同じ滝岡総合病院の別棟となる滝岡第一の責任者でもある光――そのオフィスに通信をつないで、永瀬のいう作戦会議の準備をはじめる。





「―――――――――これは、…本当に肺炎が主症状でしょうか?」

                           ――――神尾




「さあてと、わかってる情報全部出せ、滝岡。神尾ちゃんも、他の連中もだぞ?データ集めよう」

仕切りというべきか。お気楽に全員がつながったあと、永瀬の明るい発言で始まった会議――と、いうべきだろうか――に滝岡がうなずく。

「その通りですね。私の方にはそれほどデータがありません。西野がまとめてくれています」

「またせた!光だ!永瀬先生のいうことに賛成する!が、おれもデータは殆ど無い!後で、旧棟ICU化計画について報告する。以上だ!」

いきおいよく、画面に映った途端話始めて、唐突に終わる光のようすに、スクリーンを眺めて滝岡が微苦笑をもらす。

 外科オフィスにいるのは滝岡一人。それぞれが、持ち場から離れることなく、同じ滝岡総合病院敷地内、あるいは別の場所からアクセスしている。

 永瀬の背後には、ICU担当の各自が休む為に使う休憩室が映っている。

 光の背には、通常の外来主体の滝岡がいる総合病院棟とは別棟として独立している第一に設けられている光のオフィス。

 いま別室で作業している西野は画面に顔を映しているが発言はせず、何か忙しげに手許で操作しているのが見える。

「お待たせしました、…繋がりました、神尾先生、どうぞ」

「ありがとうございます。…調整中で、…すみません、お待たせして」

 一部背景がジャギーのように一定しない画像になっている神尾の背景に永瀬が眉を寄せる。

「何してんの?神尾ちゃん、じゃなくて、これ、西野くん?」

「何でしょう?その?」

 戸惑う神尾に西野が引き取る。

「…あ、こっちです。気にしないでください、…と、これならいいかな、――」

「何してんの、気になるでしょ、動く背景がジャギジャギだったよ?見づらいじゃん、西野くん」

叱る永瀬に西野が謝る。

「はい、それは、…申し訳ないです。テスト中で、…――いま背景試してるんですよ。今日は外部との調整が殆どありませんけど、院内でも、背景画像が映ってはまずいこともあるでしょう?なので、背景合成をしてみようと。神尾先生のいらっしゃる検査室が一番シールドする必要もありそうなので、…―――これでいいかな、と。どうですか?気になります?」

西野が何か調整したことで、神尾の背景で動いていた灰色に複数の色彩が混ざった実に目を引く画像が、クリーム色の壁にかわる。

「うわ、これ合成なの?きもい」

「何かまずいですか?」

永瀬の反射的な感想に驚いて西野が訊ねると。

 くちをへの字に曲げて、永瀬が。

「いーや、別に気にはさわらんけどさ、これ合成だとしたら、自然すぎて気持ち悪いな。…」

「…それは、ありがとうございます。確かに、おっしゃるようなことはフェイク画像を見抜く際に問題になってることですけどね?やめておきますか?」

西野に訊ねられた滝岡が少し沈黙する。

「そうだな、…今日はやめておこう。この画像とかは、外には漏れないんだろう?」

「はい。院内ネットワークを利用してますから、そこから映像を抜き出さない限りは無理ですね」

にっこり明るい笑顔でいう西野に、滝岡が苦笑して。

「まあ、いいだろう。外からアクセスしてるこれは、院長だな?」

「…いんちょー…会議みてんの?」

いやそうに永瀬が眉を寄せるのに、西野が操作しながら。

「いえ、後で見られるという話です。アクセスランプは点けてますが、リアルタイムではなく、こちらで纏めてから院内で視聴してもらいます。…見学参加だけするサインと同じになってしまうのはいけませんね。後で、アイコン変更した方がいいですね」

「そうだな。頼む」

 滝岡の言葉に西野がうなずいて。

「ええ、…―――という訳で、おまたせしました。こちらが、神尾先生からの依頼と、滝岡先生の依頼から集めたニュース他と、既に論文として報告がされているものです」

スクリーンに映っていた永瀬達の顔が消えて、画面の右隅に参加している画像が小さく纏めて並ぶ。代わりに、ニュースや論文の一覧が並んでいく。

「幾つかの通常こうした論文等を載せる媒体が、いまは無料で全ての論文を受付けて載せています。つまり、査読を行わずに、検証なく、ということです」

それをみながら滝岡が注意として改めて発言するのに永瀬がうなずく。

 一覧を見て、幾つかを手許にダウンロードしながら。

「要注意ってことだな?論文として載っただけでも、まあ確かに検証すんのに、ふつーは数年や数十年は平気でかかるもんな。…これなんか、十七人のデータか、…。まあ、ありがたいけどな?」

「症例として少数でも記録を公開していただけるのはありがたいことです。少しでもデータはほしい」

「加工されてない、恣意的でないデータがほしいけどな、…」

根の暗い発想の永瀬の呟きに、思わず画面の隅にいる永瀬の画像を眺めて滝岡がつぶやく。

「…先輩、…――」

「西野ちゃん、これ、重み付けしてないの?」

「…それはまだ。神尾先生のチェックを通して、それをAIに学習はさせてますが、あまり重み付けをどれもできないデータですから」

「まあそっかー、…瀬川、なに?」

永瀬の後ろでなにかぼそぼそという声がする。

「わかった。西野ちゃん、瀬川からリクエスト。入院時から、人工呼吸器、それから人工心肺他に移行して、それから離脱もしくは死亡までの期間をデータ化してほしいってさ」

できる?と訊ねる永瀬に西野がうなずく。

「別に難しくはありませんね。これまでとこれからの取得データに自動的にクロールかけて加工させておきます。滝岡先生、リクエストOKして大丈夫ですか?」

事後承諾になりますが、という西野に滝岡がうなずく。

「好きにしてくれ。おまえが過負荷になるようなら断ってくれていい」

「ありがとうございます。了解です。では、今後もあるでしょうから、皆さんからのリクエスト一覧と重み付け、できる範囲でしておきます」

西野の提案に滝岡が少し首を傾げる。

「リスト化に作業加重がかかりすぎるようならしなくていい。本末転倒になる。きみの判断で決めることが負担になるというのなら、重み付けなしで私に寄越してくれればいい。着手一覧は自動的に作成できるだろうから、そのリストと未着手のリストをもらえればいい。提出の区切りは一日に一度を基本にしておこう。どうだ?」

滝岡の提案に西野がうなずく。

「確かにそうですね。内容によっては外注だしますから、――元々作業リストは作成してますので、負担にはなりません。一日に一度でいいですか?しかし」

「構わない。それを基本運用にしよう。後は臨機応変にやるしかない。それと、皆さん、西野へのリクエストをどうしても通したいなど何かあれば、私にいってください。判断します」

滝岡の言葉に、気楽にリストの論文等をみていきながら、永瀬がかるくうなずく。

「おーけい、滝岡ちゃん。…うーん、しかし、これ、…なにしてんの?」

「先輩?」

論文、というよりも治療経過の記録に近い一つの文書を読んでいう永瀬に、滝岡が訊く。それに対して、文書を手許でスクロールしなおして確認しながら永瀬がいう。

「んあ?…うーん、…これさ、なんで肺炎に抗HIVやら、…何これ、いやんな薬ばっかり使ってるけど、どうして?抗ウイルス薬に、…それにしても、副作用強いのばっかりだぞ?何か実験でもしてんの?これ?」

「論文に一応はなっているデータですから、…可能性はありますが、…――――」

副作用の強い、あるいは開発されたばかりの薬や、エボラ出血熱など、まだ臨床途中の薬までが使用されている報告書をみて、永瀬が疑問をくちにするのに。

 神尾が、思わしげな表情で応える。

 それに、特に返事をせず、何かしている音をさせながら永瀬が。

「ええと、こないだ教えてもらったのって、…こうか?」

いいながら何か操作しているのに、背後から瀬川の手が出て、何か操作しているのが映る。

「あ、ありがとよっ、と。…――集計、XXXXと、XXXの使用数、出してくれ、とできる?」

スクリーンに、永瀬がリクエストした薬の使用数――その前に、永瀬がニュース以外から論文を指定している―――を出したものが瞬時に表示される。

 幾つか指定した薬の使用量をみて、永瀬が驚いたように目をみはる。

「へーえ、…こりゃ、大規模治験してるんだ、…。数千じゃん、オーダー、…って、神尾先生、数千?もう?」

「…―――公表されている、というか、先日から中国当局が会見を開いて、感染確認患者数と、その他を公表するようにはなったんですが」

「四十一人はうそだったのね、…て、わかってたことか。いやでもさ、これ、別のウイルスとか叩く為に開発中の薬とかを大規模使用してるみたいだが、…。それも一種類だけじゃないって、患者さんどれだけいるの?」

会見って、みてないんだけど、といいながら永瀬が背後にいる瀬川に何かきいているが、マイクにははいらない。

 ぼそぼそと、ニュースでやってました、とこたえている瀬川の声が聞こえる。

「治験とはいえないでしょうが、…。数千ではききませんね」

「…患者さん、既に万単位ってこと?…じゃなきゃ、封鎖しないか」

暗いものが潜む声でいう永瀬に、神尾が。

「推定ですが、既に数十万の単位になっているのではと」

「その推定は、根拠というか、基はどこから?」

「航空旅客等の交通データから、併せて、―――西野さんに協力してもらって、仮に、タイや日本、香港にドイツ、…―――いままで見つかっている各国の患者数からの推定です。オックスフォードとケンブリッジの推計も確か出ています」

「旅客?つまり、旅行でよそへ行った人達の数から、元を類推すんの?」

永瀬の問いに神尾がうなずく。

「はい。発症した患者さんがその国に到着した数と、通常の旅客数を使用して、推定するという手法です」

「ふーん、つまり、百人いつも来てる中に、一人感染した人がいたら、その人が来た大本では、どんだけいるはずっていう奴か?そんな感じ?」

頭をひねる永瀬に、西野が説明する。

「大体そんな感じです。かける係数によって、大本の感染者数の推定は大きく違ってきますが。いまの処、イギリスの大学とアメリカの大学他から同じように推計を出そうという試みがあって、発表があるので、それらを参考にプログラムを組んでみました」

スクリーンに使用された数式がずらずらと並ぶのをみて、永瀬が目を細めて言う。

「むずかしーのな?まあいいか、疫学的にみて、神尾ちゃん、その数字には妥当性あんの?」

 この係数とか何かけてんの、とうつろな瞳でみる永瀬に、少し神尾が笑う。

「ある程度は、あります。実地調査しなくては本当のことはわかりませんが、…。しかし、いまは現地に入れませんからね。無いよりはまし、という処でしょうか」

「国際機関が調査入ったけど一日もいられなくて出たって?」

神尾の自嘲を含む声に、気の毒そうに永瀬が肩をすくめる。大きく神尾がため息をつく。

 それに、西野が明るくくちを挟んで。

「それに、どうも中国側が大本だと主張している市場は既に消毒されてしまっていたようです。調査にならなかったようですよ?あちらの噂やニュース関係はすごいものでした。これがまた、削除の嵐でしたよ。あちらの当局が消す度に、新しいアカウントでコピーされた動画があがったり」

しみじみという西野に、永瀬があきれていう。

「西野ちゃんー、まあね?まあなあ、…。再調査入るとかニュースにはあったけど、どうなるかね?…まだ、ヒトーヒト感染否定してんの?」

「というか、肯定していませんね、…」

何処かあきれたというか。僅かに重く含むものを感じさせる神尾の応えに、永瀬が軽く眉をあげる。

「神尾ちゃん、気をつけろよ?」

「…あ、はい?」

「国際機関とかさ、くにのこうてききかんとかさー?神尾ちゃんは知り合いも多いし、気をつけないと、いっぱい腹が立って、精神衛生上よくないぞ?セイフとか、コクサイキカン、とかは、悪の巣窟で、良いことをする為に動くことはほとんどないっ!て思っておいて、まともに動いたら奇跡くらいに感じておいた方が、ぜっ――たい、精神衛生上いい」

きっぱりと、真顔でいう永瀬に、滝岡が軽く額に手をあてて眸を閉じる。

――先輩、…――――。

沈黙している滝岡に。

 きょとん、とした顔で永瀬が映る辺りをみていた神尾は。

「…は、はい、気をつけます、…――確かに、怒るのは精神衛生上よくないですね?」

「相手に期待するな。特に、国連とか、国連とか、国際機関とかNGOとか、あれ、NPOか?とにかく、全部期待するな」

大真面目にいまにも笑い出しそうな真顔で脅すようにいう永瀬に神尾が思わず吹き出す。

「…永瀬さん、あの、…すみません、あの、…確かに、その通りですね」

「神尾、先輩も、…しかし、肯定するのか?神尾、それはいいのか?おまえ、国際機関とかその関係で働いていたことがなかったか?…――――」

実際、つい最近まで某国立機関から出向という名の左遷でこの滝岡総合病院に勤務する形になっていて、ようやく出向ではなく独自に滝岡総合病院のスタッフとして働くことになった神尾なのだが。

 思わず立場を心配していう滝岡に、明るく神尾が笑う。

「いえ、すみません、…。滝岡さんも、ありがとうございます。大丈夫です。元々、あちらとは形だけの契約に近かったですからね。もうこちらとの独立契約になりましたし、それに。元々、スポンサーは他にもありますから。外国の方が、活動を援助してくれる機関も個人も多いですからね」

明るい声でいう神尾に、滝岡が眉をあげる。

にこやかに、ちょっとどこか怖いような笑顔で神尾が続ける。

「大丈夫です。国際機関とかは、利害対立が常に大きいので、…美しい名目を立てて設立されてはいますが、国際機関にワイロがないとか、善意だけで動いているとか、ある特定の国の都合だけで動いていないとか、そういう期待はするだけ無駄だとはおもいます」

明るくはっきり、当たり前のことをいうように言い切ってしまう神尾に、滝岡が肩を落とす。

 ――永瀬先輩は、…アフガニスタンで医療活動をしていて、…。

 神尾は、主にアフリカでエボラに対応していたと思ったが、…。

 その二人のあまりな発言に滝岡が思わず額に手をあてて。

「いや、あのな、……ダメか、…」

「そんなの、日本のおやくしょをみていたってわかるだろう!正義!」

「いま、そこへいくか、光、…」

 顔をあげて、滝岡があきれた顔でいとこをみる。

 見るといっても、画面に映っているいとこは、うつむいてまだ何か読み込んでいるようにしたまま顔はみえていないのだが。

 明るく元気な声が、画面から大きくひびく。

「いいか、おやくしょは医療の敵だ!何かというとベッド数を減らせだの、いまも削減計画を平然と出せとか、救急車がたらい回しにあって、ベッド数不足の自治体にまでいってくるんだぞ?そうでなくても、検査の項目で患者さんに必要だと思って出しても、それまでの標準的な治療に当てはまっていなかったら、保険診療拒否とかな!全部、赤字の持ち出しになるんだぞ?確かに標準治療は大事だが、患者さんが全部同じ身体で、同じ治療で治るスタンダードしか必要としない身体だったら、もっと予防医療が発展して、治療なんて必要ない世界にとっくになってる!」

「落ち着け、光。気持ちはわかるが」

光のいう、標準的治療に載っているスタンダード以外は赤字で持ち出しになるというのは、例えばある検査を除外診断の為に行いたい場合に、Aという病気には保険適応となって、費用が支払われるが、Bはリストに載っていないときには、費用が認められず病院側の負担となり、病院が赤字になる原因の一つとなる、ということで。

 医師の判断で自由に検査項目を決めることで費用が膨らむことを防ぐのが目的だが。

 問題になるのは、常に最新の医療は更新されていて、目の前の患者さん達に最適な医療をしようとするときに、実はリストにないBを行うことが必要であったりすることがあることだ、というようなことがあったりなかったりすることのようだが。

「まあ、光ちゃんの担当はとくに、スタンダードってなに?な稀少疾患多いからなー…」

光の発言に永瀬がぼそりとつぶやく。

「しかし、これ、まずくね?もし間違って、こーいう発言がそのお役所関連に流れたらことよ?」

白々と永瀬がいうのに、滝岡が深くうなずく。

「大丈夫ですよ。日本で官僚といわれる方々は心が広いんです。いわれなき誹謗中傷や何かがあっても、志の高い方達ですから、この程度の発言で何かあったりはしません」

きっぱり、穏やかに言い切る滝岡にうろんな視線を永瀬がむける。

「いーけどなー…。こら、光ちゃん、落ち着いて」

どうどう、といいながら永瀬が、ふむ?といきなり言葉を止めて画面を見つめる。





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