Novel coronavirus 5




 一月十四日。

 院内感染防止、院内隔離計画開始。




 一月十六日。

 日本国内での患者確認。





 中国――都市封鎖。

 一月下旬。


「さあ、吐け!全部はけ!滝岡!この間、光ちゃんとおまえが悪だくみで隣の旧病棟全室ICU化計画とか、とんでもないことぶちあげた理由がこれか?あのときは、おまえたちから、とんでもない施設を立ち上げます!で終わったが」

滝岡総合病院外科オフィス。そこに入室するなり、滝岡の首元をつかまえて、しめあげながらいうのは、顔色がいつもながらに壮絶に悪い集中治療室専門医師永瀬。

 髭痕の青い癖毛に顔色も最高潮に悪い永瀬が血走った目で睨んで締めあげているのに、軽く手をおいて首を絞められるのを防いで滝岡がいう。

「先輩、落ち着いてください」

「これが落ち着けるか。おまえ、知ってること全部吐け」

む、とくちをむすんでいう先輩に、あきれた視線をおきながら滝岡がいう。

「先輩、…――この姿勢はつかれるから座りませんか。お疲れでしょう、勤務終わった処かと思いますが」

「…――だーかーらー、世間の流れから取り残されて、今頃知ったわけだろう?何たくらんでる?何知ってる?吐けって、だから!」

じれて首を絞めようとする永瀬のつかんでいる襟と首の間に手首を入れて。

「先輩、ですから、―――瀬川さん?」

驚いて滝岡がひらいた扉から無表情なまま入室してきた瀬川にいう。

 びっくりして滝岡が見る先で。

「…永瀬先生?…あんたがいきなりとびでていったから、ミーティング、引継ぎまだなんですけど?何がどーかはしりませんけど、終わらせてからとびでてください」

「…――すみません。先輩が、…先輩、ほら、瀬川さんについていってください」

瀬川の言葉に真剣に永瀬を見返っていう滝岡に。

 ためいきを長く吐きつつ、瀬川が大股に近寄りながら手にしたタブレットをみせる。

「ミーティングです。遠隔でいいですから。ほら、はじめますよ」

「…うあっ、…――せ、瀬川っ、…―――!」

後ろ首を見事に通りすがりに一瞥もせずつかむと、白いソファのある休憩コーナーへと引き摺っていく瀬川にしみじみと滝岡が見送る。

 先輩、永瀬につかまれた襟首をなおしつつ。

 ――――流石、瀬川さんだな、…。

扱いが手馴れている、と感心して見送る滝岡の前で、ソファに無言で永瀬を座らせると瀬川がタブレットにICUの他のスタッフを呼び出している。

「ミーティングはじめます」

瀬川の無感情な声が響き、六分割になった画面に引継ぎのスタッフが映って。



「だーからーら、吐け、滝岡」

「…あきませんね、…先輩。何を吐くんです?」

瀬川が強制的に永瀬をICU引継ぎミーティングに参加させて、それが終わり。デスクに戻って書類を処理していた滝岡が顔をあげて、ちら、と給湯コーナーから、お湯でインスタントのコーヒーを作って、無表情に飲んでいる瀬川をみてからきく。

 それに、じれて。

「だ、からっ、…例の旧棟ICU化計画だよ!何でだと思ってたけど、つまり、―――」

「これですか」

無表情のまま瀬川がリモコンを操作して、音が消されたニュース画面を壁面モニタに出す。

「…―――例の中国の都市か」

「…封鎖ですってね。…尤も、すでに五百万人だかが脱出して、あまり意味はないようですが」

「それでも、周辺の省までを含んでの閉鎖になりますから、…千数百万の人が、取り残されたことになります。都市封鎖で」

 入室しながら、ニュース画面をみていう神尾に、滝岡が振り向く。

「神尾」

「――神尾ちゃん、…顔色悪いぞ?」

何処か亡霊のようにタブレットを抱えて入ってきた神尾に、滝岡が席を立つ。

「どうした?神尾、何か解ったのか?」

「…―――」

ちら、とその滝岡の呼びかけに永瀬がみてから。滝岡が話しかけて、肩に手を置いて訊ねるように顔を覗き込んでも蒼白い顔のままで動けないでいる神尾に首を傾げる。

「――神尾ちゃん、…」

「何か悪いニュースでもありましたか」

永瀬の呼びかけと、瀬川の淡々と無表情な問いに。

 虚ろな視線を向けて、二人をみてから。

「…―――座っても?」

「わかった」

滝岡が、先と同じように西野の席から椅子を引き寄せて、神尾にあてがってやる。

それに、力が抜けたようにタブレットを両手に抱えたまま座り込んで。

 何処か、此処ではないものを見ているような表情のまま動かずにいる神尾を。

 それに、無理に話させようとせずに、永瀬が無言で瀬川をみる。あきれた視線を瀬川が返して、永瀬の為にコーヒーをカップに入れて渡してやる。

 滝岡がデスクに戻り、無言でまだ宙をみているような神尾をみて。

 永瀬が白いソファの背に肘をおいて、コーヒーを飲みながら。

 瀬川が、ポットの傍に立ったまま無表情に手にマグをもって。

「…―――滝岡さん?」

ふと、しばらくして、何のきっかけか、神尾が我に返って周囲を見廻す。

「あ、あの?皆さん、…?」

「どうした?で、何がわかったんだ」

滝岡の問いに目を瞠る。

「あ、…その、すみません。…」

まだ茫然としている神尾に、背後から永瀬がコーヒーを手に。

「神尾ちゃん、正気に返るのおそーい。それだけ、インパクトってことか?」

「で、何にそんなに驚かれているんですか?」

「――瀬川さん、…永瀬さんも、どうしてここに、…――滝岡さん」

二人をみて、滝岡を仰ぐようにして問い掛ける神尾の瞳に苦笑して。

「落ち着け、別のこの二人でも取って食いはしないとおもうぞ?」

「つまりこの、都市封鎖の件で、何か知ってるんだろ?神尾ちゃん?」

「…――――」

瀬川が、無言で永瀬の示すニュース映像の再生を止める。

「…はい、――ええ、…――このニュースが入って、…事前情報をみてから、滝岡さんが許可してくださったので、――…出来る限りの情報を集めていたんですが。…ええ、――はい、そうです」

神尾が、蒼褪めた顔で停止した画面を見つめる。

 それは、現実とは思われないような風景だった。

 まるで、映画の中か何かでみるニュース画像のようだ。

 永瀬が、ぽつりという。

「封鎖か、都市封鎖。…それも、疫病が発生した為に。一生、こんな風景を実際にこの目で見ることがあるなんて思っていなかったよ」

「確かに映画ですね。…現実味がない」

乾いた瀬川の声で、一体何処まで本当にそう思っているのか、わからない無表情でいうのが響く。

「――…都市封鎖。一部の地方、地域を封鎖している中にいたことはあります。アフリカで、エボラ出血熱が出た際に、僕は封鎖の中にいました。…ですが、いえ、ですから、――――外から、こうして、―――。しかも、発達した都市でない広いアフリカの大地の中ではなくて、――高度に発展した大都市を封鎖するというのは」

「悪夢だな」

蒼褪めて神尾が語るのに、滝岡が短くいう。

 それに、無言でうなずいて。

「…――はい。何が起こったのかと思いました。数日前、この都市封鎖の事前通知のニュースをみたときには、…。それまでは、けして、確かに油断できないと思ってはいましたが、…ちがいました。中国から来ていた情報も、保健省が会見で出していた――中国当局からのデータも、公開された治療に関する中国の情報も、―――…すべてが、違いました」

神尾が、蒼褪めた顔で、誰に語るともなく、くちにせずにいられないというようにして。

「…違いました。そんなわけは、――何が起こったのかとおもいました。…」

 言葉を切る。

「―――公開されているデータだけでは、…――こんなことが起こるわけがなかったんです。…都市封鎖なんて」

 蒼褪めたままニュース画像を神尾が見つめる。

 発展した近代的な大都市。

 ――一千万人以上が暮らす中国の地方都市を、…――――。

「外部から、そして、中から出られないように封鎖するなんてな、普通は想像しねーよ」

 永瀬が、吐き捨てるようにくちにする。

 瀬川が無言で佇む。

「何があったんだ?ていうか、何が起きてる?神尾ちゃん」

からかうような口調で真剣にいう永瀬に視線を向けるのも忘れて。ニュース画像に目をくぎ付けにされながら、神尾は。

「それまでの情報では、おかしすぎました。…都市封鎖をしてまで、封じる必要がある病気とは思えない。新型コロナウイルスによる重症肺炎――死者一名。感染が発表されていた患者四十一名、うち重症者六名、…――。ヒトーヒト感染せず、治療法はないが、対症療法で、―――」

この都市封鎖の情報が入るまで、中国側が公表していたデータをくちにする神尾に、永瀬が軽く眉をあげてうつむいてマグをみる。

「そんなわけねーって、ねーだろ?タイで一人、患者が発見されてる。それから、既に香港でも。…全員、鳥インフルみたいに、原因になる動物と濃い接触があったのか?例の市場に全員関係があった?」

「わかりません、…。その動物を扱う市場の関係者だと、あるいは家族等、――濃厚接触をした、――その間に感染があるという説明でした。確かに、鳥インフルエンザのときのように、起こらないことではありません。それもありうる。中国からの当初透明性をもって公表されているとみえていたデータからは、…―――」

「初期から、ゲノムデータまで公開していたそうだからな?」

神尾の言葉に、滝岡が継ぐ。それをあきれた風に永瀬が振り仰いで。

「正気でいってんのか?…十二月末頃だよな?確か。重症患者さん達が出てるってニュースあったのは。それで、分析して、―――一月頭にはもう公表?そんなわけないだろ。少なくとも、もっと前から患者さん達がいなければ、そんな分析はできないはずだ。つまりは、――もっといるだろ、四十一名のわけがない、数が」

あきれながらどこか怒った風にいう永瀬に、茫然としているように神尾がつづける。

「その通りです。おかしいことに、もっとはやく気付くべきでした。今回は、まるでちゃんと情報を公開しているように、――一部では確かに、――まるで、患者さん達の発生から、透明性をもって公表しているようにみえたんです」

「じゃ、それが狙いじゃないですか?情報を隠すのに、一部を正直に公開してみせて」

神尾の言葉に、淡々と無表情にいう瀬川に、む、とくちを噤んで永瀬が云う。

「おまえさん、くらいー。根が暗くないか?それ?」

「そうですか?けれど、患者の発生、――というか、疾病の発生を隠すことができないのなら、ある程度公表した方がいいでしょう。そうすれば、他に隠したいことを隠せます」

「――暗い、根がくらい。おまえ、ぜつぼーてきにくらいっ、…!」

「そんなこといってると、休憩室に置いたアイスバー氷るくん、食べちゃいますよ?」

淡々と瀬川が目を眇めていうのに、永瀬が縮み上がる。

「…や、やめて!瀬川ちゃんっ、…!おれがわるかった!氷るくんは、おれの生きがいなんだからっ、…!なくさないで!」

「わかりました。じゃあ、五十本入りストック、仕入れておきますね?」

「お願いっ、瀬川ちゃんっ!」

「つけですよ」

「うん!」

永瀬が溺愛しているアイスバー――氷るくん、ソーダあじ――を仕入れる約束をして、一体何が納まったのかわからないが。

 ともあれ、永瀬が顔色の悪い無精面を神尾に向けて。

「神尾ちゃん、つまり、それで何がわかったんだ?公表されているデータだけでは、こんなことをするほどの情報じゃなかったってことだろう?この――正体不明の病気」

 封鎖された都市。

 現代の大都市――経済的損失も、人口規模から考えれば巨大としかいいようがない人口約千二百万の都市封鎖。

「現実味がありませんが」

 何が起こっているのか、こわくて、必死で、―――――。

 必死で情報を集めた。

 何が起きているのかと。

「幾つか、…わかってきたことがあります。都市封鎖を行うまでの、――――この疫病は、それだけの何かを持っていると」

 神尾が茫然としたまま何かを見つめているようにして。

 けして、それは無人となった巨大都市の映像ではなく。

 脳裏に、見続けていたデータが映し出されているのをみるようにして。

「致死率、…―――毒性は不明ですが、…。仮に抽出したデータで、仮定したものが見つかりました、致死率、―――…12~26%、…」

「何だって?」

「R0は不明、―――――ですが、1.2~中央値2.5―――最高で、6.5」

「ちょっとまて、神尾ちゃん?」

蒼白なまま神尾が永瀬を振り向く。

「香港大から、…――この疾病に関するデータが」

神尾が、言葉をなくして。それから、つづける。

「欧州の分析がありました。それに、香港大のデータと、患者さん達の、…症例は少ないですが、経過」

「いま、西野に纏めさせている」

神尾の言葉に滝岡が短く追加する。それに、永瀬が眉をあげて。

「滝岡、…つまりは、やばいんだな?」

「R0――6.5って冗談でしょう。2.5でもイヤですけど」

淡々と目が座っている瀬川の声に、神尾がうなずく。

「はい。…基本再生産数――つまり、そのウイルスや細菌が、ヒトからヒトへ感染をうつす能力が、1以上の場合、感染は広がっていきます。1が2になり、2が4になり、」

「とんでもなくふえてくってやつだろ?」

「はい、―――もし、6.5なら、――…」

「防げないだろう、それは。はしかとまではいかないが、封鎖したくらいじゃ防げないんじゃないか?感染爆発」

「…――永瀬さん、」

とがめるようにみていう神尾に、永瀬がくちをゆがませる。

「違うか?R0――基本再生産数って奴が、その病気が広まっていく、ヒトの間に広がっていく能力をしめしてる。それが6.5なんて化け物だったら、一人が6.5人にうつし、それぞれがまた6.5人にうつしていったら、あっというまに世界征服だぞ?」

「――否定は、できませんが、…―――スーパースプレッダーはSARSのときも出ましたから、―――」

「一人で数百人に感染を広める能力のある保菌者だな」

滝岡の言葉に神尾がうなずく。

「はい、――それも確かにあるでしょうが」

「中央値が2.5なら、それで当面は考えた方がいいのでは?充分イヤな数値ですけど」

瀬川の淡々とした言葉に神尾が肩の力を抜くようにしてみる。

「それで、解っていることを教えてくれ。おまえの解釈でいい」

端的に問う滝岡に、神尾が視線を向ける。まだどこか悩んでいるような、苦しんでいる瞳のまま神尾がくちにする。

「ええ、…そうですね。ウイルスの系統は、コロナウイルス――SARSやMERSと同じ、コロナウイルスの系統になるという発表があります」

「て、ことは殻あんの?エンベローブ」

「はい」

「良いニュースだ」

永瀬の言葉に神尾が笑う。

「そうですね、良いニュースです。コロナウイルスにはエンベローブという殻がありますから、普通のエタノール、アルコールなどで消毒ができます。表面を拭くだけでいい。ノロウイルスのように、塩素消毒を行う必要はありません」

「――良いニュースだ。それで?」

滝岡が促す。それに、うなずいて。

 タブレットを取り出し、操作して壁面のスクリーンに繋げる。

「へーえ」

「…――――」

永瀬がつぶやき、瀬川が無言で視線を向ける。

 神尾が投影したデータは英文で作成されていて、年齢他、基礎疾患、経過、その他がリストになっている部分と、解説である文章がある。

 男性、女性、年齢、基礎疾患、発熱割合、経過、血液、―――。

 最終的に死を辿った複数の人達の基礎データ。

「CRP高くねーな」

思わしくない顔をして永瀬があごを撫ぜながらいう。

無言でデータに視線を動かしている瀬川。

 滝岡が静かにいう。

「…感染症が原因で、重症化して肺炎を起こし、その後、DICを起こして、――最終的に多臓器不全を起こして亡くなられた、…――そういうデータにみえるな」

「呼吸器不全、肺炎もですか?」

瀬川の言葉に永瀬が眉を寄せる。

「…肺炎、新型肺炎って触れ込みだよな?」

「重症化されて、――こうした状態になった患者さん達をケアすることになるわけですね」

淡々という瀬川に、永瀬が神尾の手からタブレットを取って、ダウンロードされているデータを勝手に見始める。

 スクリーンに次々と移り変わるデータを滝岡と瀬川が眺める。

「いつか画像でみて、それに神尾ちゃんもいってたけど、高度医療つぎ込んでんな、」

「中国、医療レベル高いですね」

のめり込むようにタブレットをみている永瀬に、スクリーンをみながら瀬川が呟く。

「高けーな、ECOMつかってんのか、これ」

「でしょうね。ワンチーム何人でしょう」

「…これさ、すでに死亡されたの一人じゃないよな?しかし」

思い切り眉を寄せていう永瀬に、滝岡が。

「最新はこれです」

滝岡がみせたのは、デスクに置かれたモニタ画面だ。映っていたニュースを、画面をくるりとまわして先輩にみせる。

「――――百人?いきなり?」

「都市封鎖が発表されて、つい先程」

「…何が起きてるんだ?」

 永瀬が呟いて、あらためてスクリーンの一部に映し出されたままのニュース画像を仰ぐ。

 都市封鎖、―――――。

 神尾のタブレットから映し出された複数名の患者達の経過。

 公表されていた死者一名から、都市封鎖後に公式発表された死者が。

 百名。

 入院患者――その経過と死亡に至るデータから導き出された数値が。

 致死率26.5%――――――…。



 封鎖都市のニュースはまるで映画の一場面にみえる。

 とてもしずかで、無人の都市を映した映像は。

 それをみている自分達も、まるで。

 まるで、―――。

「映画だな、…映画の中に迷い込んだみたいだ」

 永瀬の言葉に、一同が何もいえずに。

 その画面を見つめて、――――。



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