Novel coronavirus 4
「十四日から、院内隔離計画を発動する」
「…――十四日、ですか?大丈夫ですか?」
「何がだ?」
光が名称を付けた為に、まるでふざけているかのような名前――要は、外来の患者、関係者等をすべて感染していると仮定して、院内を感染から守る為の作戦を発動するということらしいのだが――院内隔離計画という名称が滝岡の作った工程表には書かれているのだが。
――院内隔離計画って、…いえ、それはともかく。
「いえ、その、準備とか、大丈夫ですか?」
神尾の疑問に滝岡があっさり応える。
「確かに、スタッフに負担をかけることにはなると思う。だが、本来なら、明日開院前にすぐ行いたいくらいだが、明日すぐには無理だからな。一番早く対応できる日時でいく」
「そんな、…。いえ」
いいかけて、くちを噤む神尾に、振り向かず工程表に、補給、の文字を付け加えながら滝岡がいう。
「すまん。おまえが、実は一番怖いんだろう?前にもあったが。おまえが、細菌やウイルス、感染症に対して一番詳しいからこそ、本当はおまえが一番怖いだろう」
「…滝岡さん、…」
滝岡の言葉に、神尾が息を吐く。
「すみません、…。実をいえば、本当に極端な対策をお願いしたいくらいです。伝わってきている情報だけなら、まだ死者一名、お一方だけというのは失礼ですが、…まだお一人です。ですが、…――」
息を呑むようにして、言葉を選べずに神尾が僅かにくちもとをかむ。
それに、普段なら振り向いて視線をあわせて話をする処を、態と振り向かずに滝岡がくちにする。
「光にかかると何でも派手になるしな。院内にポスター貼りまくるつもりだぞ?スクリーンにも。今回、臨時でマスクマン戦隊とか始める気のようだ」
「…―――そ、それは。マスクマン、ですか?」
「戦隊だから、一人じゃないぞ?おまえも多分、メンバーの一人だな」
工程表に、防護具の補充計画と資金調達計画を入力しながら、少し面白そうに口許を笑ませて滝岡が。
「クリスマスのホワイトナイトは好評だったじゃないか?みられなくて残念だったが」
「…――滝岡さん、…。あの、滝岡さんはいつも出ないでするいとか思いませんか?」
「光が必ず出演するからな?あれでも責任者の一人だから、同じ病院から責任者が二人も席を外していたらまずいだろう?」
「確か、それと当直をいつも理由にされてますよね?」
「その通りだ」
少しばかり笑んで作業を続けている滝岡に、神尾が少し息を吐く。
「その、どうしてマスクマン戦隊なんです?」
「ああ?不明な感染症だろう?原因はともかくとして、感染力も、何もわからない」
「はい、そうです」
「とすれば、基本の感染症対策として、小さな方にもわかるように、手洗い、マスクかなと思ってな。元々、うちでは、光を中心にインフルエンザや他の感染症対策を子供さん達にしてもらう為に、劇やなにかをしているだろう?」
「ワクチンキャンペーンとかですね」
少しばかり思い出して微笑む神尾に、滝岡がうなずく。
「そうだ。これもかわらない。それに、小さい方にこわがられても困るだろう?どんな対策も、恐怖心を煽るようではダメだ。冷静に対処できなくなる。怖がらせるのではなく、誰もが明るく笑って対応できれば免疫にもいいんだそうだ。光の主張だが」
「光さんの、ですか、…」
「ああ、そうだ。次の院長だからな。光の方針がこの病院の方針になる。院長の次は、光が院長だからな」
微笑んで、実に楽しそうにいう滝岡に、少しばかりあきれながら。
――ここは滝岡総合病院で、この人は確か先の院長夫妻のご子息だったかと思うんですが。…
ついでにいうなら、いまは院長代理の責にもあるのだが。
―――確か、光さんとお互い院長の席を押しつけ合っているんですよね、…。
いつだったか、聞いた言葉を思い出す。
――院長だと?そんな面倒な席、おまえに押しつける!おれはお断りだ!
と、きっぱり大人気なく滝岡を正面から指さしながらいっていた場面に居合わせたのだが。
―――光さん、よりはいいかと思うんですが。
多分、この病院で光さんを院長にしようとしているのは滝岡さんだけのような気がするんですけど。
しみじみ思いながら、ふと視線を滝岡に向ける。
「…もしかして、僕が暗くなりすぎているから、思考を逸らす為に光さんの話題を?」
「さあ、そういう役に立ったならよかったが」
振り向かずにいう滝岡に、唐突に光の明るい声が部屋に響く。
「ま、おれの話題は誰にも明るい光を運ぶからな!流石、名前に恥じない!おれだな!」
明るく響く光の声が突然届いて、神尾が驚いて声のした方を探す。
「もしかして、…まだ、」
「繋いでいたか?つないでるが。作業を同時にしてるんでな。光、これでどうだ?」
「…悪くないが、ダメ出ししよう。神尾さん」
「は、…はい」
思わず、すっかり忘れていて接続も切られていたと思い込んでいた光に、話も何もかも届いていたことに気付いて瞬いていた神尾に。
何処か、滝岡にも似た穏やかな口調で。
「こいつは根が暗いからな。神尾さん、少しこいつが明るくなるように頼むぞ!」
「あのな、光。…これでダメか?」
「うーん、…一ヶ月の在庫では無理だろう。通常使用量のまま概算しても無理だな」
「緊急事態での使用率か」
難しいな、といいながら滝岡がスクリーンを仰ぎ、神尾を振り向く。
「あ、はい?滝岡さん」
それに驚いて見返すと。
「これどう思う?実際に防御計画を開始するとして、通常時に感染防御に使う資材の一ヶ月使用量がこれだが、―――」
「はい」
「こに、実際感染拡大が起きていると仮定した場合に想定される使用量なんだが」
「そうですね、――――。レベル4相当を仮定した場合に、通常のサージカルマスク等ではなく、N95を使用すると仮定した際の病院での使用量ですね?」
「そうだ。通常、一回使用して使い捨てるが、対応頻度がどうなるかと、…頻度が上がる場合、着用着脱を繰り返すことが可能かどうか」
「エボラでは、対応病棟として設定した施設内では、常に着用していましたから、逆に使用量としては多くてもスタッフ数×2を想定して、補充が行われていました。勿論、補充が行われない場合も考えられてはいましたが」
「補充が来ない場合も当然考えられるな。問題は診療時の対応だな。着脱を繰り返す頻度が高ければ確かに、――ゾーンを別けて常に着用する区域を作るとして」
「その場合、院内をどうするかですね。すべて感染していない前提とするのは難しいかもしれません」
「確かにな。実際に発症するまでは、潜在的に感染していると仮定したとして、入院しておられる方や面会の方の対応をどうするか」
ゾーン別に区分けされた病院の平面図をみて滝岡がいう。
別のリストには、マスク、消毒液、防護服、ゴーグル等、使用される消耗品のリストと調達先に、平常時一ヶ月ストック量、通常時納品期間等が表示されている。
「発注を増やすのはいいが、…光」
「そうだな、工場に直接発注をかけている処もある。そこに話して、通常在庫分以外に前倒しで納品をしてもらおう。話しておく」
「頼む。…神尾、通常考えられる感染経路は何だろう?」
通常の発注ルートの他に、別の業者からの入荷ルートを検討、発注のこと、と入力された文字に神尾が答える前に気付いてしまって驚く。
「そこまで、されますか?」
「…ああ?ああ、これか。神尾、おまえのヒントのお陰だ。エボラだと、つまり補充がないこともあったわけだろう?」
「はい、それは、…向こうは内戦中でしたからね、…」
「いざとなって、N95が無いでは困る。サージカルもだが、なくては差し支える。在庫は全体で三ヶ月分あるが、何とか後数ヶ月分は仕入れておきたい」
「…その、まったく必要ないかもしれませんよ?まだ、日本での患者さんは確認されていません」
心配そうにいう神尾に、滝岡が笑う。
「滝岡さん」
「いつもそうだな。おまえの方が、感染症専門医なのに、いざ対策を始めるとおまえの方が驚いて困りだす。初めて会ったときもそうだった」
面白そうに、笑いながらいう滝岡に、光がくちを挟む。
「居合わせたかったぞ?せっかく、神尾さんが初見でうちにきて、しかもそこに輸入感染症疑いの患者さんが来たというのに!」
「おまえはアメリカにいたからな?」
「残念だ!神尾さんの対応、見てみたかった!」
「いきなり、初めてきたというのに、感染症対策について指示し始めたからな?」
当時の事を思い出して言い始める滝岡と光に、神尾が一応小さな声でいう。
「…あ、あの、やめてください」
「あのときはとてもずうずうしかった」
いまの印象とは真逆の、かなり事情を差し引いてもあれだった神尾を思い返して。滝岡が、
しみじみと面白そうに笑んでうなずきながらいうのに神尾が抗議する。
「ですから、あのときは、――非常事態で」
「いまもそうだ」
「…―――滝岡さん」
少しばかり笑んだまま、滝岡が穏やかに神尾をみていう。
「いまも非常事態だ、違うか?まだ、はっきりと目に見えていないだけで、水面下で何かが起きている」
「はい」
緊張した面持ちで見返す神尾に、ふっと苦笑するようにして、滝岡がいう。
「すまんな。だが、おまえからの意見で対策を打つことにしても、責任はおまえにはないぞ?」
「でも、…前にもいったような気がしますが。費用もかかりますし、無駄になったときは」
「別に、今回の処置をしても、すべてストックに回すからいい。別に非常時は感染症発生だけじゃない。地震等もあるんだぞ?地震、洪水、自然災害で交通が断たれてこの病院だけで独立運用しなくてはいけない場合を考えなくてはならないからな」
「―――大変ですね。…その、僕がこういうのも変ですけど」
滝岡の挙げる非常事態の多さに、そして、考えてみれば地域の中核病院として、いつ何時でも、どのような状況でも平常と変わらない医療を提供する責任を思って神尾がすこしばかり心配する表情になっていう。
それに、明るく笑んで。
「確かにな。おまえの方がいつも経営に関して心配してくれる」
おかしそうにいう滝岡に、神尾が天井を仰ぐ。
「いつも、というか、大概は、感染症専門医として、要求する方でしたからね。費用がかかることはわかっていますが、感染を防ぐ為に支出をしてください、と。ですから、――」
「うん?」
不思議そうに見返す滝岡に神尾がうなずく。
「こちらのように、最初からのりのりで対策にしかも本気で打ち込まれると何というか、慣れないんだと思います」
「なれないのか」
驚いて見返す滝岡にうなずく。
「はい。慣れません。まったく、…―――これで、全然日本で患者さんが発生せずに、中国ローカルでの発生で終わったらどうするんです?まだ、中国での患者さんでの死亡も発表は御一人なんですよ?」
神尾の疑問に滝岡が却って不思議そうに見返す。
「そうなったら、防疫計画の訓練ということで終わるさ。いいことだ。何事も起きなかったのなら」
「その通り!」
「…―――ひ、光さん」
また光の存在を忘れていた神尾が驚いてスクリーンをみると。
壁面に、大きく映し出された光が、拳を握ってポーズをしてみせていて。
「何事も起きないなら、それが一番!だからこそ、いま準備をするんだ!目指せ!医者のいらない社会!」
「―――すまんな、神尾」
どーん、とポーズをとってみせている光に、しみじみと滝岡がいう。
「あの、これでも、光さんを院長先生に?」
「…当然だろう。こういうリーダーシップが院長には必要だぞ?」
神尾の疑問に真顔で返す滝岡に思わず視線を逃す。
――この人も本気なんですよね。…
「目指せ!医者のいらない社会!」
「わかった、それは知っている。いいから、資材調達先の選定に戻れ」
どーん!と繰り返している光に淡々と慣れた風情で滝岡が次の作業を指図する。
あっさりと光も同意して。
「解った。第一、ここでうまく予防が出来れば、俺達の目標である医者のいらない社会の実現に一歩近付くとは思わないか?感染症を防ぐ為に、社会全体で防疫に取り組むんだ!」
「まずは、手洗いからだな」
「当然だな!手洗いヒーロー選手権だ!」
淡々と続けている滝岡も、熱の入った口調で続けている光も。
共に「医者のいらない社会」つまりは、予防医学を普及させて、皆が健康に病気にならずに暮らせる社会、というのを実際に本気で目標としていることを知ってしまっている身としては。
これでも、…光さんは特に、外科医として天才とかいわれている人なんですよね、…。
しみじみと、そっと視線を滝岡に送ってみる。
滝岡さんも、一見比べると普通に見えますが。
ふと滝岡がいま作成している計画のリストから、医療防護具の資材調達先、前倒し調達先リストに、―――調達できなくなった際の、国内生産依頼――いま、医療用資材を生産している工場等ではない――の候補リストまでみつけて、目を瞠る。
「確かに、根が暗いですね、…」
いまこの現状で、マスク等も普通に輸入出来ている状況で、おそらくだが、輸入できなくなった際を考えて国内生産を依頼できる工場をリスト化するというのは、…。
しかも、滝岡さんのことですから、確実にリストに入れるだけでなく依頼をかけますよね、…。
以前経験したときの驚きを思い返してしみじみとして。
しかし、それを明るくなるように僕がというのは。
無理があるのでは、と先に光がいった言葉を思い返してさらにしみじみと思う。
そして、このときにも思ったのだが。
――いま、この夜が静かで助かりますね。…。
偶々、神尾が滝岡に相談したこの夜が、当直時であり、しかもその夜が呼び出しのない静かな夜であったことが。
どれほど幸運であったか、後に思い返すことになるのだが。
いまだ、事態がどのような展開を迎えるかを知らず。
唯、中国で集団発生していると思われる新型肺炎――重症肺炎を伴うといわれる感染症の発生。それにいいようのない不安を覚えながら、得体の知れないその感染症を現地に調査しに行くこともできないまま、神尾は少しでも情報を得ようとして、対策は滝岡達に任せてリサーチを始めていた。
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