Novel coronavirus 2
一月中旬。
滝岡総合病院外科オフィス。
「ICU増やすって?人工呼吸器増やす?どうしたんだ?…何考えてる?ECOMも?何考えてるんだ?」
顔色の悪い集中治療専門医師――永瀬が、剃ったばかりの無精ひげが蒼白く浮いた顔でスクリーンをみる。
いつもなら、休憩時にニュースや適当な画像、あるいは院内のお知らせが流されている壁面には、別の画像が流れる前の準備映像が。
「何なんだ?一体?」
白い床に直置きされたベッドにもなるソファの背に顎を乗せて、行儀悪く永瀬がしかめつらをしてスクリーンを眺める。
流れてきた映像に、永瀬が眉をしかめる。
「病院?これ、――何処だ?中国?ニュース映像か?おい一体、…―――」
滝岡と神尾が同じ映像を無言で見ている。
「集中治療室?廊下か?病院の?…―――何だこれ?」
ICUらしき病室で防護服を着て治療に当たる医療関係者らしき姿と、廊下に一杯になっている人達が、口々に何かをいっている。その前にいるのは、すべて防護服姿。
「…―――何だ、これ?映画か?」
「ニュース画像です。…先日、流れてきました」
永瀬の疑問に神尾が短く答えて視線を向ける。スクリーンを操作していた西野が、灯りから外れた暗闇のまま短くいう。
「ネットの真偽不明の映像もありましたが、それは外しました。これは一応、向こうのニュースで流れた画像です」
「…向こうってどこ、中国?」
「舞台は中国ですが、ニュースとして流れたのは香港と台湾です」
「――――西野ちゃん、…。滝岡、何が起きてるんだ?神尾さんも」
真剣な表情を振り向けて永瀬が問うのに、滝岡が少し間をおく。
「…先輩、――実は、神尾が少し前から不明な感染症の情報を拾っていたんですが」
「それがいまの?ニュースっていうか、おれ言葉はわからんけど。感染症防護の為の防護服か?あれ?」
眇めた眼でいう永瀬に、滝岡がうなずく。
「そのようです。先日から、中国の都市で原因不明の肺炎が発生しているというニュースが流れているのは、先輩もご存じかと思うんですが」
「うすーくきいた。確かに流れてたな、…あれ、こっちくるのか?中国だから、そんな来ないわけもないか?SARS?」
中国で原因不明の肺炎ときいて誰もがまず頭に思い浮かべる新興感染症――人類が初めて遭遇して、世界的大流行になりかけた致死率の高い肺炎を引き起こす病、SARSの名を持ちだして問いかける永瀬に、滝岡が苦笑する。
「おれも、最初はそう思いました。報告だけをみているとよく似ていますから」
「て、ことは違うの?神尾ちゃん?」
顔色が悪く髭後の濃い蒼白い顔を向けて問う永瀬に神尾が淡々とうなずく。
「報告だけでしたら」
短く答えて続かない神尾に、永瀬が眉を寄せる。それに対しては何もいわずに、永瀬が滝岡に顔を振り向ける。
「つーことは、結構まずいの?検疫は?」
「まだ。日本政府としては、まだ何の対応も決まっていないようです。院長から聞きました」
「…―――おまえさんが、あの院長にもしかして自分から連絡とったの?滝岡?」
これも淡々と答えを返す滝岡に永瀬が酢を飲んだような顔になってきく。
「――はい」
「―――…西野、光ちゃんは?あいつ呼んでんの?今日は?」
真剣に訊く永瀬に西野が外科オフィスのドアに視線を向ける。
永瀬が振り向くと。
「またせたな!」
明るい声と共に、まったくしずかにドアを開けることができない人物が、どーんとドアが開く音と共に入ってきた。
「光」
「光ちゃん」
振り向いた滝岡と、永瀬に名を呼ばれて、えらそうに胸を張って入室してから。
「またせたな!光だ!おれが来たからには、問題は解決する。で、続きはどこからだ?正義!」
下の名前を呼ばれた滝岡が、微苦笑を浮かべていとこに向き直る。
「まってたよ。おまえに任せれば、全部解決するからな?」
「もちろんだ!おれに任せろ!というわけで、ここで永瀬医師が蒼白い顔してるってことは、まだICU大幅増設の話はしてないのか?」
きっぱりとした声で黒光りする黒瞳で見返す光――神代光に、滝岡がうなずく。
「その通りだ。少し話をしかけた処で、ニュース映像だけ一部みてもらった」
「そうか!まあ、仕方が無いな。ニュース画像だけだと何もわからん。その上、出て来ているデータが信用ならんからな!」
明るく言い切る光に、多少のつかれをおぼえて滝岡があきらめた視線でいとこを見返す。
無言の滝岡に永瀬が眉を寄せて二人を見比べてくちにする。
「で?なんであのニュースで、いきなり増設だ?人はどうする?スタッフは?もし機械いれて場所作っても、人がいなければ何ともならんぞ?」
「ちわー、看護師代表で呼ばれて来ましたー、ていうか、おれ、非番なんですけど?三交替の遅番こなして、貴重―な休みなんですけど。呼ばれてとびでたくないんですけど?」
痩せて背の高い、そしてこれも顔色のわるいのっぽの瀬川――男性看護師――が手を軽くあげて入室してきて、永瀬の顔をみて半眼になる。
「…おまえ、いまおれの顔みたくないっておもったろ?」
「進行形です。過去形にしないでください」
「…―――――」
共に集中治療室専任の医師と看護師――ちなみに昨夜遅くまで顔を付き合わせて仕事をしていた―――が無言で対峙しているのに。
「すみません、先輩、そして瀬川さんも。お忙しい処、申し訳ありません。」
頭を下げる滝岡に、瀬川が先に視線を向けて同情するようにいう。
「早朝三時まで緊急手術してて、いま仮眠とってあけたところの人に謝ってもらわなくても」
仏頂面で蒼い顔色のまま棒読みでいう瀬川の感情は読めないが。それに対して、滝岡がもう一度誠実に謝る。
「すみません。忙しいのは承知しています。おれも確かに手術は終えましたが、その為にその後のケアを診ている先輩や瀬川さん達にはお世話をかけています。皆さんがいなくては、患者さん達の命は救えない」
滝岡の表情と言葉にある何かに、瀬川が眉を寄せて訝しげに見返す。
じっとしばらくみてから、永瀬を振り向いて。
「吐いてください。何やらかしました?」
「―――なんでおれっ!瀬川!おれのことしんじてないのっ?」
「…1ミリも」
真顔で言い返す瀬川に、真顔で悲壮な顔をして訴えるようにして永瀬が見上げる。
二人で向き合って延々と平気で見つめ合っていそうな様子にまったく構わず、あっさりと光が手元におかれていた資料を見返しておいて、さらっという。
「ECOM十五台、人工呼吸器四十台、携行人工呼吸器百二十台、少ないが増設予定だ!」
「…――――光、もう少し穏当に」
「おんとうってなんだ?」
無邪気にみえかねない光の様子が、実際に本気で単に疑問に思ったからくちにしているのが解って滝岡が肩を落とす。
それに、永瀬と瀬川が同時に振り向いて。
「十五台?何考えてんだ?」
「人を殺す気ですか?」
同時にくちにした二人が、また顔を見合わせて同時に背ける。
「…――だから穏当にと、…。すみません、先輩、瀬川さん」
「大変少なくて申し訳ないが、導入の為に増産を依頼する!」
「…光、国産だろうな?」
「――――…!」
謝る滝岡にまったく構わず光が突然発言するのに、真顔になって滝岡が問い返す。
それに、光が固まって。
「…国産?国内生産しろって?」
「どうする気だったんだ。海外から仕入れる気なのか?流行が国内だけですむと思ってるのか?」
「…――おまえな、…根が暗すぎるぞ、正義」
淡々という滝岡に、真顔で大きく眉を寄せて光が返す。それに、しみじみと考え込むようにして滝岡が。
「しかしな、…輸出してくれなくなるだろう、生産できていても」
「…――くらいっ!暗いぞ!おまえ!…しかし、国内か?部品、…くそっ!」
いきなり真顔になって、慌てて携帯を取り出して電話を始める光に、少しあきれながらうなずいて滝岡が間近に迫っていた二人に気付いて固まる。
「…先輩、瀬川さん」
滝岡の間近で、凄みのある真顔で蒼白い顔を寄せて、瀬川が淡々ときく。
「何ですか?国際的に人工呼吸器足りなくなる事態でも起きるっていうんですか?どの筋から?」
「おまえさんも知ってるとーり、国内の人工呼吸器はほとんどが国外生産なのよ、――国内のも下手すると部品が全部中でそろわねーぞ?とかいうマニアが泣きそうな、光ちゃんを焦らせる事態はともかくさ、滝岡、しってること、全部吐け」
「…そうですね、吐いてください。滝岡先生」
顔色の悪い永瀬と瀬川、二人に両脇から迫られて滝岡が視線を逃す。
「んあ?」
「…はい?」
滝岡の反応に目を眇めた二人が向けた視線の先には、神尾。
「感染症専門医でしたね、神尾先生」
「そーだな、神尾ちゃん、何しってんの?」
二人のうろんな視線を向けられて、タブレットをみていた神尾が視線を上げた。
「…あ、はい、何もしりません」
即答に、永瀬が眉を寄せる。
「…神尾ちゃん?」
「―――…?」
瀬川と永瀬、二人が見つめる先で神尾が何か別のものをまだみているように立ち尽くしているのに。
突然、がっつぽーずと共に光が宣言する。
「よーし!とれたぞ!正義!ほめろ!」
「勿論だ、よくやった、光。ありがとう」
即答で褒める滝岡に、うんうんと光が自分でうなずいて。
「よし!さて、…処で、後は場所だな、…――――旧別棟、まだ壊して無くてよかったな」
「新規移転した後、中々すぐに壊すことができていなかったが、…――丁度良かった」
「後はなにか?空調と設備か」
「その準備からだな」
不穏な会話を繰り広げている背後の二人に、永瀬がそーっとうろんな視線を振り向ける。
「な、瀬川」
「何ですか」
こそこそと、顔を寄せて小声で続ける。
「―――もしかしてさ、こいつら、あの取り壊し前の旧病棟使ってなにかやろうとしてる?」
「此処に入ってから漏れ聞いた言葉だけで、そこに専用のICU増設して、ECOMおいて運用しようとしてるとしか思えませんが」
淡々という無表情な瀬川に、ぼそりと永瀬。
「ECOM十五台に、…スタッフどうすんの?」
「…僕が呼ばれた理由ですかね。人員を情でも人脈でもアメでもムチでも使って確保できないかきかれるきがします」
「…―――――オレには?」
「…――――」
無言のまま冷たい視線を瀬川が永瀬に返す。
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