First Contact Novel coronavirus

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Novel coronavirus 1

First Contact

Novel coronavirus



    



 十二月三十日

 滝岡総合病院外科オフィス。


―――診断未確定の肺炎、重症者七名―――。



 凝然と画面を見つめている神尾に、滝岡が声を掛ける。

「どうした?神尾?」

「…あ、いえ、…はい。…――」

滝岡に生返事をして、なおも無言でタブレットに表示された情報を見つめている神尾の様子に、眉をひそめて見返す。

 処は、滝岡総合病院外科オフィス。

白で統一された部屋のソファに、外科医ではなく感染症専門医の神尾が珈琲を飲んで休憩しているのはいつものことなのだが。

 その向かいで手許に書類を見ながら休んでいた滝岡が首を傾げて、もう一度神尾に訊ねる。神尾はまったく動かずに画面をみつめている。

「神尾?どうした?」

「…――はい、―…」

口籠もりながら、少しばかり首をかしげて神尾が情報を表示したままの画面を見つめている。

 英文で表示されているタイトルは、―――。

「――診断未確定の肺炎、…」

そのタイトルを呟く神尾に、滝岡が眉をしかめる。

「診断未確定の肺炎?何だ、それは?」

「いえ、…。このメールで感染症の発生について世界からの報告を集めて送ってきてくれているのは前にもお話したかと思うんですが、―――」

言葉の意味を探るように、神尾が首を傾げて内容を読み返しているのに滝岡が訊ねる。

「何が気にかかっているんだ?診断未確定か?」

滝岡の言葉に神尾がうなずく。

「はい、それに、…―――中国で、なんです」

「中国?SARSか?」

滝岡が以前中国で始まった未知のウイルスを原因とした感染症――重症肺炎を引き起こした感染症の名前を出すのに、鈍い返事を神尾が返す。

「…わかりません。中国で、しかし、…――SARSなら、報告がそうなるかとは思うんですが、…。ペストでもないでしょうから」

いいながら、十一月に中国の別の地方から報告のあったと記憶していたペストの発生報告を見返す。

「…やっぱり、これとは違う発生、…ちがうだろうか?」

一人言をつぶやき、眉を寄せる神尾に心配そうに滝岡が見る。

「気になるのか」

「…――」

それにしばらく返事を返さず、神尾が幾つか文章を見返しながら、難しい顔のまま首を軽く振る。

「うん、…。なにか、いやですね」

「何がだ?」

「診断未確定というのが、…。他の国ならともかく、中国ですから、――発生地は都市圏になるようですし、…。地方や辺境というわけでもなさそうですから。…どうしてでしょう?」

「どうして?」

神尾を観察するように書類を置いてみている滝岡にまったく視線を向けずに、ため息をついてタブレットに表示された文字を見返す。

「非常に、高度な医療が行われている地域になるはずです。中国に友人はいないんですが、―――。アメリカの友人に聞いた処では、医療水準は非常に高く、――…」

「そこで、診断未確定はおかしいということだな?」

滝岡の言葉に無言でうなずく。

「…――はい。ええ、――そうです。アフリカや難民キャンプのように、医療が届かずに原因を調査すること自体が難しい場所ではないはずです。そこで未知のしかも、」

「すでに重症肺炎患者の方が七名もおられるということか」

滝岡の指摘に幾度もうなずく。

「そう、そうです。…しまったな、…この処、あまりきちんとチェックしてなかったので、―――…」

「年末で忙しかったからな。すまなかった」

謝る滝岡に顔を向けずに、まだ手許のタブレットを操作しながら神尾が文字を目で追う。

「…此処にはもうデータはありませんね、…。いまこうなら、他にも報告があるはずです。既に七人ですから、…――」

「わかった、神尾」

「…はい、滝岡さん?」

滝岡の言葉に驚いて神尾がきょとん、とした顔で見返す。

 びっくりしている神尾に滝岡が微笑んで。

「西野に協力させよう。どうせ止めてもおまえが自分で情報も探すんだろうが、いまは少しうちの患者さん達に集中してもらう必要がある。その肺炎と中国で報告されている似た何かに関して、噂やニュースから情報を集めるように依頼しよう」

「あ、すみません、――いいんですか?西野さん使わせてもらって」

「勿論だ。その為に西野は仕事をしてくれている。特に、AIを使った医療情報収集に関しては、いまテストを始めている処だ。神尾、おまえの方で西野にサーチしてほしい言葉や情報の内容について依頼してもらう必要はあるが」

「よろこんでやります。…いまICUに入っているこどもの患者さん、…慎重に状況をみる必要がありますからね」

「非典型の川崎病になるからな。光がメインでみているが、おまえにも頼みたい。この年末は何故か、―――」

「そうですね、…。こちらに来られた患者さん達だけでも、…数が増えていますからね」

憂慮して顔でくちびるをかるくかむ神尾に滝岡がうなずく。

「その通りだ。例年より、…うちに来ていないだけかもしれないが、川崎病に罹患するこどもが増えている気がする。統計を見直さないといけないが」

「そうですね、…。西野さんの造っているシステムに期待したいですね。疾病発生報告を纏めてくれているでしょう?」

「それを分析するにはまだまだだがな。さて、悪いが休憩は終わりだ。西野には、――」

「後で、僕から依頼させていただきます」

「頼む」

書類をデスクに戻し、滝岡が神尾を振り向く。

「神尾」

「滝岡さん?」

にっこり、と滝岡が微笑んで。

「悪いが、ここから正月まで泊まり込みだ。いくらでも休憩時にデータは使ってくれていいから、よろこんでくれ」

「はい。病院でおせちをいただくのもこれで三回目ですね」

「おまえ、楽しそうだな、本当に」

にっこり、笑顔でいう神尾にあきれたようにして滝岡が見る。

 軽く神尾が伸びをして。

「もちろんです。関さんの作ったおせち、美味しいですからね。楽しみです」

「…まあな、…――あいつも、よく暇があるものだ。どういう隙間におせちを作っているのか、まったくわからん」

「――確かに、とてもお忙しいですからね」

にこにこと廊下へと出て行く神尾の後を追って、滝岡があきれる。

「そんなに楽しみか?」

「初めて、ここでお正月を過ごされるときいたときにはあきれましたけどね」

「…おまえな?当たり前だろう。父の頃から晦日と正月は泊まり込みで病院で正月を迎えると決まってるからな。他のスタッフに休んでもらえるだろう?」

「…―――変わってますねえ」

振り向いてしみじみという神尾に、滝岡が大きく眉を寄せる。

「あのな?おまえにそういわれる筋合いはない。第一、そうだ、安定した公務員の研究機関での職を捨てて、結局おまえ、うちに正式に来ることにしてしまったろう?そんな変わり者はそういないぞ?」

眉を寄せたまま隣を歩きながらいう滝岡に神尾が笑う。

「そうですか?…どちらにしても、僕は元々、あまり研究機関にもいませんでしたからね。殆ど、アフリカか何処かにいましたから」

「現地が好きなのはいいとしてな、…いまのおまえの現地は此処か?」

「はい。勿論です。…―――この国、いま一番危機にあるのは、僕にとり、現地であるこの国ですから」

真顔でふいに何かを思い出すようにしていう神尾に。

 その隣を歩きながら、滝岡が無言でうなずく。

 ―――僕に、なにができるのかを、…―――――。

 そう思い出しながら僅かに足を速める神尾に、ゆったりとついていきながら。

「いまは、ICUのあの子に集中してくれ」

「はい。…後遺症が残らなければいいんですが」

「―――川崎病Likeか。非定型というのがな」

思わしくない表情でいう滝岡に神尾がうなずく。

「原因が解っていませんからね、川崎病は、―――診断に至ることができれば、治療法はありますが」

 感染症が契機となりその症状が引き起こされるのではないかといわれている川崎病。

 幼児から小児によく起こる病気の名称は、発見者である川崎博士の名をとって付けられている。アジア、そして、発見された日本で多く発生がみられるこの病は、原因がいまだに解っていない。

 何らかの感染症にかかったことを引き金として、免疫が暴走することで起こるのではないかといわれている。典型的な症状であるいちご舌など、特徴のある症状がいくつもある川崎病は、その兆候を早期に捉えて治療することが大切だといわれている。

 全身の血管が炎症を起すことで引き起こされる症状は、重篤化した際に冠動脈の異変を引き起こし後遺症として残ることがあるからだ。

「現在は、でも治療法がありますからね。早期発見さえできれば、重篤化を避けられるかもしれない」

「その通りだ。幸い、いま先輩達が診てくれているあの子は少し遅れたとはいえ、―――まだ間に合う。非定型で、発見が少し遅かったとはいえ、―――後遺症なく退院することができるかもしれない」

「はい、そうですね」

滝岡の言葉に神尾がうなずき、にっこりと微笑む。

 非定型の川崎病は、診断が難しい。

 典型的な症状であれば、あるいは、―――。

「年齢が外れると、診断が難しくなるのはな、…疑うのが難しくなるのは」

難しい顔でいう滝岡に、神尾が少しばかりなだめるように微苦笑を浮かべて。

「全力を尽くしましょう。まだ原因がわからない病気ですから、診断が難しい面があるのは確かに」

「…そうだな。だが、――とにかく、年間約一万人のこどもが罹患するというのに、いまだに原因不明というのはな。しかも、…診断の際に、年齢が上になると疑いが念頭から外れるというのはな」

「確かにその通りですが、…――典型例の5才以上の場合に、川崎病を疑うのは難しいでしょうね。でも、治療法はあります」

辛抱強くいう神尾の言葉に、滝岡が我に返って苦笑する。

「すまん、愚痴をいった。だが、診断プロトコルを作成する際に、条件付けを考えなくてはならないのは確かだ。…」

「西野さんと進めている、診断プロトコルですか?AI判定をする」

「その通りだ。人間の医師が念頭における病は限られている。勿論、それでも経験を積んだ医師なら正しい診断に辿り着く場合は多い」

「でも、完全ではありませんからね」

神尾の言葉に、滝岡が苦笑する。

「AIも完全ではないがな。…両方が必要だ。人間に考えることのできない膨大なデータを背景にした診断補助に」

「人間の診断ですね」

「その通りだ。人間の診断はときに論理的でもデータ主義でもなかったりもするが」

「必要な結果が出せていたりしますからね?人間は」

「経験とか勘とか、そういう全然論理的ではない診断だったりするけどな?」

「要は、正しい結論が出せればいいわけでしょう?人でもAIでも、患者さん達が健康になる為に、病気を克服できる診断であれば」

 神尾が少しばかりからかうようにいうのに、滝岡が大きく眉を寄せてみせる。そして、軽く、追い抜く際に肩を叩いて。

「その通りだ」

「…滝岡さん!」

大股で先を行く滝岡を、あわてて神尾が追いかける。

「先に到着するつもりですね?」

「廊下は走るなよ」

「ずるいですよ?」

 一体何を競っているのか。

 ICUにどちらがはやく着くか。

 まるで子供のように競い合いながら、廊下を走らずに―――廊下を走ることは禁止されている――滝岡と神尾がいそいでいく。




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