鬼灯の裏側で 2

 手術室に近い処置室に秀一が横たえられている。瀬川が永瀬の指示に従い処置を施していく。

 点滴とバイタルの処置を行い、記録を付けて。

 森川の背がその硝子を挟んだ向こうにみえる。分析を行いながら、森川が血液標本を拡大して観察を始める。

 顕微鏡からモニタに映し出された血液像を森川が凝視する。





 秀一の蒼白い顔が苦しむように眉を寄せる。処置の後経過を観察していた瀬川が、永瀬に連絡を取る。

 苦しみながら、夢をみていた。

 ―――あ、れは…―――。

苦しくても動くことはできない。いや、その苦しむ意識を表現することができる状態ではないというべきか。

 手術の準備が整い処置準備室から鷹城の身体が運ばれる。



「血液透析開始、――――。これより、右足首創部の挫滅層を切除、血管を保護して細胞シートで組織置換、及びに筋再建時の保護を目的とした処置を行います」

滝岡が鷹城が眠る手術台の前に立ち、創部のみを露出したシートの前に立ちこれから行う手術内容を簡潔に説明する。

 その向かいに光が立ち、滝岡を強い黒瞳で見て頷く。

「メス、…―――」

滝岡もそれに頷き、しずかに切除を始める。

挫滅層が滝岡の滑らかな手によるメスに切除されていく。その創部からの浸出液に、光が僅かに眉を寄せる。

「…――輸液追加、心臓の状態を注意してモニタしてくれ」

光の指示に麻酔医と透析機器を担当する技師が顔を見合わせて頷く。

 滝岡の手が滑らかに広範囲の挫滅層を切除していく。静かに動かない視線で創部を見詰め、血管を避け、皮膚に印のついた切除部位を除いていく。

 滝岡が手を留める。

しずかに滝岡が看護師に依頼する。

「眼鏡を下ろしてください」

穏やかに落ち着いた声で滝岡が下ろされた双眼の拡大鏡を通して創部を見つめる。

 挫滅層は複雑に健全な組織と入り組んだ模様を描いている。挫滅した部位を取り残せば、全体の壊死を招いてしまう。しかし、入り組んだ組織には健全な血流に必要な血管もまた残されている。もしこれらの血管を傷付けてしまえば大出血にも繋がりかねない。

 既に失血して低体温に陥り長時間を過ごした鷹城にはそれは致命的に成り得る。

 さらに、神経がある。これを傷付けてしまえば、足全体を保存することが出来ても、右足を使って歩行することが出来なくなる可能性がある。或いは、動かせても麻痺が残り、受傷前の行動を行うことは難しくなるだろう。

 神経も血管も共に傷付けることは出来ない。

 組織の再建に、何れもが必要になる。

 だが、複雑に挫滅した組織は、生かして残さなければならない組織と絡み合うようにみえる。

 拡大された視野に写る組織にはミリ、否、ミクロンの単位の切除が必要な箇所がある。

 既にメスを持ち替えた滝岡が、静かに。

 滑らかに、躊躇せずそのメスを切除部位に運んでいく。




 鷹城は夢を見ていた。


水音がする、…。

水の流れる音が迫っている、とおもう。

「…水、…――――!」

目が醒めて暗闇に瞬く。まったく周囲の見えない闇にパニックになりかけて自制する。

…ここは、―――水?

どうして、さっきまで水音なんか、と思いながら流れの迫る音を聞きとろうとする。


 麻酔に眠る鷹城の眉が、蒼白な中にわずかに寄せられる。

 白い指先が、動かすことができずに僅かに小指が撥ねる。





 滝岡が静かに手を進めていく。躊躇いはなく、その運びは滑らかに美しくさえみえる。無駄なく、必要な切除を。




「細胞シート」

光が要求し、切除の終わった創部を保護する為の細胞シートが滝岡の手許に用意される。




「カテーテル、…――」

滝岡が細胞シートを敷き保護処置を終えた創を閉じようとして手を留める。皮膚表面を凝視するようにして滝岡が手を留めてカテーテルを要求するのに、光が頷いて予防処置として用意していた薬液を注入する為のカテーテルを滝岡に渡す。






 永瀬が眉を寄せる。

「おわるな」

「…―――」

永瀬の言葉に瀬川が無言で視線を向ける。点滴の準備を永瀬の指示で追加していた瀬川に、永瀬が軽く肩を竦めて隣になる手術室を振り仰いでいた。

 手術の経過時間を報せる時計が、内部の様子を見ることができるモニタの上にデジタルで大きく時間を表示している。

 二時間四十五分三十二秒。

 手術時間を告げる時計はそこでいま止まっていた。

「さあてと、おれの出番かー」

軽く機器にぽん、と手を置いて。

 永瀬が伸びをして、術後管理の為に処置室を離れる。

 鷹城の術後管理をする為に、集中管理室専門医師である永瀬が、処置室を出る。

 瀬川は永瀬指示で術後管理の処置を行う為に必要なバイタルの数値を確認して、セットした点滴から薬剤の落ちる速度を再度確認する。




 蒼白い貌をしてベッドに横たわる鷹城を前に、滝岡が腕組みをして座っている。個室のサイドテーブルに書類とラップトップを広げて仕事をしていた手を止め、いまは難しい貌で幾つもの管や計測機器につながれている鷹城の姿と、そのバイタルを示す数値を見ながら、白衣のまま殆ど動かずにいる滝岡に。

「――――…」

 滝岡が振り向いて、コールを示すPCのサインをみる。手許の端末で確認して、返答を返し再度意識のないまま動きのない鷹城をみる。

 白を基調とした病室に、沈黙と機器の動作する音だけが響いている。静けさが支配する中に、滝岡が視線を書類へと戻し手術前の患者に関するカンファレンス用のデータをチェックし始める。

 手許に置いた端末には、別の病室――管理されたICUでのベッドを映した画像がライブで流れてきている。その画像でもバイタル――患者の脈拍、血圧等の数値――を表示する装置の数値は読み取れるが、画面の右上にはそれらの数値がリアルタイムで刻々と変化しながら表示されている。

 ICUで眠る患者達の数値と画像を表示した端末を横に置いて、滝岡は仕事を続けていた。




「あーと、…よくねたっ、…っていったら怒られそうだよね?」

「――――…」

無言で腕組みをした滝岡が座ったまま見返すのに、目を覚まして軽口を叩きかけて。

 鷹城がそーっと後ろに逃げようとして、繋がれている管に気付いて動きを止めるのに、にっこりと座った視線のまま滝岡がくちを開いて。

「良く起きたな?元気そうで何よりだ。血圧も脈拍、酸素もいまの処問題はない。だからといって、いまチューブを外して起き上がろうとしたら、このままICU送りにするぞ?」

「…た、滝岡にいさん、…過激、っていうか、どうしたの?こんな処に、…」

病室を見回していってから、これはまずいかも、と気付いてくちを噤んだ鷹城だが。

 ――えーっと、まずい、か、…な?

「秀一」

立ち上がり、低い声でベッドサイドから見下ろしていう滝岡に引いてみて。

「えーと、…僕はその、どうしたんでしょう?」

「…―――おまえな、…」

まだ顔色は悪いものの元気な表情でいう鷹城に滝岡が額を押さえて大きく溜息を吐く。

 ええと、と鷹城が見あげている前で、滝岡が踵を返して書類の傍に置いている端末をちら、とみてから手許に別の端末を取り出して。

「…先輩、これますか?ええ、秀一が目を覚ましました。例のデータは森川先生からは、…回してください。はい、…」

聞こえてくる会話に、鷹城が目を瞬かせて、えーとと考える。

「ええと、その、永瀬さん?どーして?それに森川先生って、確か血液専門の先生?」

「…――それに、毒性評価が得意でな。確かに森川先生の専門は血液だが、よく覚えてたな?」

「…それはねー、何となく。あのひょろっとして背の高い眼鏡かけた先生だよね?」

「確かにその通りだな。…先輩、」

「やっほー、秀一っちゃん目を醒ましたって?…ったく、はーい、診察するからおとなしくしてー」

「…あ、あのっ、」

有無をいわせずに永瀬が鷹城をベッドに押し戻して、顔を固定してまぶたをめくり、顎の両脇から首の下を押さえるようにふれ、次にくちを開けて舌を出させてライトで確認。両肩まで触れて、手首で脈を測り、血圧などバイタルを見る。

 その間に滝岡が森川先生から送られてきたデータを読み終わり、腰に手を当てて難しい顔で鷹城の前に立って睨む。

「…あ、あの、にーさん、にーさんは背が高いんだから、そーいう風に立つと患者さんに対して威圧的っていうか、よくないとおもうよ?」

「…確かに普通の患者さんならな。吐け、おまえ一体何をしていて、どんな毒を飲んだ?心当たりを吐け」

睨み付ける滝岡に引いて、一応いってみる。

「…その、それって飲まされた方にきく?っていうか、その、…僕、毒飲まされたの?…毒?」

「…―――、先輩、お願いします」

大きく溜息を吐いて滝岡が場所を交替して後ろに下がる。どさり、と椅子に座る音に滝岡の方を見ようとして、鷹城がその前に交替してやってきてにこにこ笑顔で顔を寄せてきた永瀬につまる。

「あ、あの、…永瀬さん、顔色わるいですね、いつもですけど」

「そのとーり、おれは、肝臓壊したからね、…でも、いまそのおれと同じくらい秀一っちゃんも顔色悪いよー」

「う、うん、そうなのかな?で、毒って?」

顔色の悪い上に無精ひげが浮いてきている永瀬に鼻の先が付くくらいまで迫られて、できる限りベッドに後退しながら鷹城がいうのに。

 にっこり、迫力のある笑顔で永瀬がいう。

「秀一っちゃんー、心当たりはないのかなー?飲まされた毒物とかー、場所とかー、時間とかー、相手とかー。手がかりになるものがほしーんだけど。毒物特定すんのに」

「…―――えっとっ、」

引いている秀一に、後ろの方から滝岡が声を掛ける。

「最後に食事をしたのは何時だ?吐け。経口摂取したという可能性が高いそうだが。飲み食いをしたのは何時だ?仕事上の秘密とかいわずにさっさと吐け。ちゃんとこちらも守秘義務がある以上、診療以外に情報はもらさん。さっさとしろ」

「…声が座ってるんですけど、滝岡にーさん、…って、ごめん!ほんとーにごめんっ、…!」

ふら、と立ち上がった滝岡が座った眼で見据えて見下ろしてくるのに鷹城が動く範囲で手をあげて留めようとして。

「…あれ?もしかして、僕、足動かない?っていうか、」

「動かすな!固定してるんだぞ!人の苦労を無にする気か!」

足を動かそうとして半身を起こして右脚に触れようとした鷹城を滝岡が大音声で怒鳴りつけて素早くその右脚の動きを封じる。

「…に、にーさん、…声大きいってば、…ごめん、」

「滝岡、いまのはおまえ、地声がでかいんだから気をつけろ。病室の外に聞こえてるぞ、きっと。何事かと思われる」

鷹城の足を押さえたまま、しばし返事をせずに滝岡が沈黙する。緊迫した気配から、随分と間をおいて、漸く肩から力を抜いて、それでも手は離さず、目を閉じて滝岡が首を振る。

「…―――、…すみません、」

「いーって。おまえさん、が一番しんどい処を担当したからな、…秀一っちゃん、しずかに、しゃべるなよ?それから動くな」

どうどう、と滝岡の肩に手を置いて永瀬が手を離してベッドサイドに戻るように促す。

 それに従って、大きく息を吐いて目を閉じてしばし書類を置いた机に手をおいて目を閉じている滝岡をみて。

「…ええと、その、――僕、そのもしかして、何かあった、…あった、んだよね。…ごめん」

「…―――」

無言で視線をあげて睨む滝岡に、即座に謝って。

 それから。

永瀬とその後ろに座って意識して声を出さないように抑えている滝岡を見比べてみて。

 多分、いま永瀬さんと同じくらい顔色悪いんだろうな、と思いながら。

 そーっと、出来るだけ爆弾発言にならないように注意しながら発言してみていた。

「…――そのー、僕、…あの、何があったか、まったく心当たりがないんだけど、…僕、その、何がどーしてここにいるのか、…心当たりが、」

「何だって!」

振り向いた滝岡が、立ち上がって大声で叫ぶのを。

確実に病室の外へも響いた大音声を、止めるのも忘れて永瀬もそういって戸惑っている鷹城の顔を真剣に見つめていた。

 蒼白い永瀬の顔が、さらに顔色が悪くなる。

「つまり、記憶ねーんだな?秀一っちゃん」

驚愕した顔のまま、ぼそり、という永瀬に。

「えっと、だから、…何があったのか」

「西野、検査室起動させてくれ。CTとMRI、それから脳外の瀧澤さんに、…―――」

端末に向かって矢継ぎ早に滝岡が指示を出していく。

その背で、ベッドに鷹城を押しつけるようにして永瀬が片手を顔の前で広げてみせて。

「はーい、秀一っちゃん。これ幾つ?指は何本でしょうー」

「あの、…五本ですけど?」

「うん、はい、これ追って、――」

次に人差し指を立てて目の前で振ってみせる永瀬に思わず視線で追って。

「よーし、はい、くちあけてー、バランスはいいな。はいすまいるー」

「一体なんですか?」

いわれた通り笑顔を作ってから睨む鷹城に永瀬が質問を流してベッドを留めている箇所を開放する。

 動くようになったベッドに鷹城が驚いている間に。

「え、あの?」

部屋の扉が開き、看護師が入って来ると同時に滝岡が無言でベッドの傍に立ち病室から運び出す。永瀬さん、といおうとして反対側で同じく無言で看護師と滝岡と共にベッドを廊下へと押していく永瀬に沈黙して。

 無言で右横を同じく押していく滝岡の厳しい表情に。

 くちを開こうとして、そっととじる。

 ――ええと、…ごめん、何か知らないけど、にいさん。

ストレスマックスなのはわかるんだけど、えっと、と何があったのか思い返そうとしている鷹城をベッドに乗せたまま、エレベータが動き出し、検査室へと階を移る。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る