関&鷹城「鬼灯」11 end

 数日後。

「悲劇は時に予想のつかないときに襲いかかる」

草地を見下ろして、自身が閉じ込められていた小屋の見える河原を急な坂の上の道路から眺めながら、鷹城秀一は呟くようにしていっていた。

「…―――」

隣で、無言で関が鷹城とそして草地の下の急流にいまにも呑まれそうな小屋を見つめる。

車の方に少し歩いて、関が扉を開けて促す。それに気付いて頷いて、あきらめたように軽い溜息を吐くと鷹城は振り向いていた。既に笑顔になって、ふざけて関にいう。

「すみませんね。どうしても一度見ておきたくて、…運転手をさせちゃって。しばらく、運転は禁止なものだから」

「その足で運転されたら迷惑だ。ほら、早く乗れ」

「でも考えてみれば、左利きの人用に車も作るべきだよね。右足が使えないだけでこんなに運転しづらいなんて」

器用に杖を使って歩く鷹城の足許を見守りながら、難しい顔で関が助手席の扉を開けて鷹城が乗り込むのを待つ。

「自分で閉められます。きみって、こういうところは本当に無駄に紳士だよね」

「何の話だよ!…ったく!」

いうと睨んでから運転席側に回る関を鷹城が楽しそうに見る。

「きみ、どうしてこんなにやさしいのに結婚出来ないんだい?」

「余計なお世話だ」

関が睨んで車を発進させるのに驚いてみせる。

そうして、笑み崩れて。

「関、乱暴だって」

「しずかにしてろ。怪我人なんだから。滝岡のばかに怒られるだろ」

難しい顔で前をみている関を隣に、鷹城はしばらく笑いを堪えずに。そうして、遠ざかる村の景色を見つめていた。








「ありがとう、協力してくれて」

 夜道を緩やかに走りながらいく車の助手席で鷹城がいう。

「いや、―――――滝岡がうるさいから、しただけだ」

「…―――もっと早く、逮捕できていれば、事件は起らなかったんだろうか」

鷹城が小さく問うのに、既に夜の帳が下りた道を走りながら、随分として関がいう。

「それはわからない」

「…そうだね。わからないかな、―――」

沈黙の漂う車内に街灯が映る。しばらくして鷹城がくちにしていた。

「―――高槻香奈、医療拘置所行きになることが決まったみたいだね。元婚約者が彼女を捨てる為に、薬を与えて本人が知らない内に流産させたのが、…―関は、それを調べて、あの事件についても証言を訊く際に、彼女にその原因となった事件についての話もきいて、関連を訊ねるつもりだったの?それで一人で」

「…まだ元婚約者の犯行の裏付けまでは取れてなかったけどな」

「不同意堕胎罪は立証が難しい為に、殆ど形骸化してるそうだからね。…当事者となれば心身共に動揺して、告発どころではなくなるだろうから」

「橿原さんが課長にいって、堕胎後の胎盤を高槻香奈の家にあるのを今回の件と同時に捜索させて、鑑定に廻してくれて助かった。あれで裏が取れた。時効に間に合った」

「殺人と違って、不同意堕胎罪の時効は十年、――――か、…。人の未来を、命を奪っていることにはかわりないのにね」

嘆息するようにいう鷹城に、関がハンドルをカーブに沿ってゆっくりと切りながらいう。

「いずれにしても、高槻香奈にはもう理解できないかもしれないが、元婚約者は起訴される」

僅かに蒼い顔を窓に映る夜景に重ねて、鷹城がくちにする。

「…被害者で、加害者にもなった女性ですか。…遣り切れないな、…。関、どこかで、―――」

横目で関が鷹城を睨む。

「…呑むのはあきらめるから、…けど、でも、…何処かで御茶でもっていうのもヘンだよね」

「…―――」

難しい顔で関が運転する。

「おとなしく家で呑んでろ。茶でよければだが、―――そうだ、滝岡来るぞ」

「…御茶、―――え?にいさん?」

驚いて鷹城がいうのを、難しい顔で関がみていう。

「おまえのことが心配だってうるさくてな。あの過保護な保護者、持ち帰ってくれないか?今夜は家に泊まりに来るそうだ。おまえの様子を見にな」

「…―――ごめん、でも、…」

ふと、額を押さえてから、微笑む鷹城に、気味悪そうに関が、ちら、とみる。

「何だよ、おまえ」

「…いや、子供の頃みたいだと思って。昔から三人でよくつるんでたよね」

「つるんでたというか、ガキのおまえの世話をおれと滝岡でしてたんだ」

「…まあ、その通りだけど。お世話掛けました」

「ったく、――――滝岡の野郎、…。自分は好きなものリクエストする上に、そのくせ、おまえの食いものには無茶苦茶うるさいしな、…―――やっぱり、連れて帰れ、おまえ、滝岡の処に泊ればいいだろ」

「ダメだよ。にいさん、料理は壊滅的にダメなのは知ってるでしょう?あの人に作らせてたら、僕もにいさんも餓死するから」

いやそうに関が鷹城を振り向いて、それから前を睨むようにみる。

「それにしても、そんなに僕の食べるものに厳しいって、何かまだ制限あるんだ?」

沈黙して関が前を睨む。

「実をいうと、心配性な滝岡と、後、某院長先生も厳しくてな。…―おまえは全く解ってないだろうと思っていたが、今日までの食事も全部、おれが、きちんと、指示通り制限内の食事を作っていた」

「――――あ、ごめん。…て、え?それってどんな?」

あきれて軽く息を吐きながら、関が軽く頤を動かす。

「え?」

「細かい注意書き、みたいか?」

「…―――関?」

無言で軽く促すのに、ポケット?と鷹城が訊ねる。それに軽く頷いて。

 面白がって、軽く苦笑しながら、鷹城が関のスーツの胸ポケットから手帳と折り畳まれた紙を取り出す。

「…―――――」

鷹城が沈黙して四つ折りにされた注意書きを広げてみる。

「あの、これ、何枚あるんだい?」

折り重ねられた紙に、しみじみと鷹城がいうのに。

「読まされたのはおれだ」

「――――ごめん、本当っ、に、ごめん。知らなくて」

「どうせ、おまえは聞く気ないだろ」

夜景がきれいだね、といって目を逸らす鷹城に、関があきれながらいう。

「手帳に書ききれなかったからな、…。何で栄養士の指導した分だけじゃないんだ」

「…―本当だ、印刷したのに、…。手書きだ、これ、…。この細かい注意文、――――」

沈黙する鷹城に、関が低い声で云う。

「滝岡だ。あいつどうにかしろ」

「…ええと、僕は成人した男子だったとおもうんですけど」

ちら、と関が鷹城を睨む。

「何処からどう見てもそう見えるな。だが、あの二人からすれば、おまえはまだまだ小さな坊やなんだろう。…――――」

自分のいった言葉にダメージを受けている関に、鷹城が眉を寄せる。

「…―――坊やは止めてくれる?ええと、でも、これ、もしかして、…―――橿原さんも、…」

沈黙する鷹城に、関が道路を見据える。

「おれは、みなかったことにしたい」

「僕もそうします」

「…――――」

沈黙が漂う車内に。

「それにしても、どうしてここまで細かく、…―――辛いものはダメで、…―カロリー制限はそれほど厳しくないみたいだけど」

「カフェインは少しなら大丈夫で、具体的には一日コーヒー一杯から二杯程度、もしくは緑茶一煎か、紅茶二杯まで、たんぱく質が総量で一日鳥のささみで二枚に、――」

「…ごめん、本当にごめん。でもよく憶えてるよね?」

「しつこく聞かされたからな。それに、一日五回は滝岡からおまえの様子を聞く電話が掛かって来る。あれもどうにかしろ」

「…――――」

鷹城が遠くをみる。

「あ、でも、その、…今夜会うのなら、少しは安心するかも?」

「そんな訳無いだろう。あの過保護が、それくらいでおさまると思うか?」

「…――――」

無言で鷹城が首を振る。

「大体、それでおまえの食事には制限あるのを作らせておいて、自分にはまた、別の料理をリクエストするんだからな!それが一番許せん」

「まあその、…関が作る料理は美味しいから、…―――」

言葉を途切れさせる鷹城に、関が横目でみる。

「何だ」

「あ、いや、―――」

「何だ、だからはっきりしろ、気になるだろ」

「ええと、その、…大したことじゃあ、」

「だから、何だよ」

怒る関に、鷹城が夜景を見詰めながらいう。

「いやその、本当、関って結構まめなのに、料理も美味いし、――――。なんで彼女ができ、…」

「…――おまえ、滝岡の処行って泊れ」

大きく溜息を吐いて関がいう。

「まって!それじゃ飢え死ぬって、まじで!」

「うるさい。でなきゃ、栄養士が指定してきた通りの献立で作ってやる」

「え、…」

鷹城が固まる。

「そ、それって」

「そこにあるだろ?薄味で栄養充分の病院食メニューだ」

「…――ま、まって、僕が悪かったから!」

「病院食もそれほど悪くないぞ?まあ、いろいろと指定があるだけで。……―

それも、細かい指定がな」

「指定?」

印刷された献立メニューを取り出して、鷹城が目を見張る。

「推奨献立メニュー、…いま思ったんだけど、どうして僕本人じゃなくて、関がこれ持たされてるんだい?」

「おまえが信用されてないからだろう」

「…―――」

二人共無言のまま車が走る。

「…いやでも、ほら、ええと、―――病院食といったって、最近は進化してるらしいよ?」

いいながら読んでみて。鷹城がぶつぶつと献立を検討しはじめる。

「エリンギとグリーンピースのそぼろ卵仕立て…?何かすごく、病院食くさいんですけど」

「病院食だからだろう」

鷹城が関を睨む。

「…ええと、薄切りカツのミルフィーユ仕立丼?」

「それは今日のたんぱく質制限オーバーだから駄目だ」

「…――計算してたのかい?」

「朝出掛けるときに湯豆腐と湯葉に、大豆の味噌汁と鯵の朴葉焼き食わせたろう。昼はにぎり飯に玉子巻きつけたしな」

「ちなみに、夜の予定は何?」

「…―――一応、夜は柚子の香り付けの蓮蒸し碗に、昆布しめ甘鯛と、貝の吸い物に、生姜の炊き込みご飯だ」

「関、ついていくから、病院食なんて酷なことはいわないで」

必死にみる鷹城に、大きく溜息を吐く。

「それでこっちが、塩分量だのたんぱく量だのの指示に従った中で料理を考えて作ってるっていうのに、…!」

「わ、わかった、落ち着いて、にいさんがリクエストしてきたのって、何?」

「…―――」

眇めた目で関が鷹城を睨む。

「ま、前見て、関」

「わかってる。…―――あのばかがお子様なのはよく知ってるだろうが」

「あー、と、…うん。つまり、リクエストは、洋食?」

「勿論だ。…あのバカ、また、オムライスと、しかも、…」

「せ、関?」

「よりによって、ハンバーグ何てリクエストしてきやがった、…!リクエストするなら、当日昼じゃなくて、せめて二日前にしろ!仕込みが出来ないだろうが、…!」

「そこ?いや、ええと、あの、…うん、にいさんって、オムライス本当に好きだよね」

「あいつは子供何だよ!いつも、俺達を子供扱いするが、あいつの方がよっぽど子供だ!オムライスだぞ、オムライス!しかも、どう考えてもチキンライスをベースに、マッシュルームとグリーンピースも用意しないといけないだろ!鳥のささみと胸肉も仕入れないといけない上に、下味をつける為のベーコンも用意しないといけないだろうが!急にいって揃うか!それに、デミグラスの仕込みは最低二日は掛るんだよ、…!」

「ええと、落ち着いて、関?」

「ったく、そういうことは嫁さんに云え!おれはあいつの嫁さんじゃない!」

「…それは、その、うん」

「第一、あの病院の跡取りだろうが?滝岡は!どうしてまだ結婚もしてないんだ!さっさと結婚しろ!家に好きなときに来て、メシを要求するな!」

鷹城がうんうん、と多少引きながら同意してから。不思議そうに首を傾げる。

「確かにね?どうしてまだ独身なのかな、…。確か病院の先生って、優良物件だよね?」

「優良かどうかは知らんが、跡継ぎがいるだろうが、あいつの家は」

「古いんじゃない?それ」

「ま、そうか、…。それにしても、どうなってるんだ、あいつ」

「そういえば、先日も、――――…。女性に騙されてたね、…。騙されやすいからな、…」

「あれか、…。何でああもあからさまな詐欺師に引っ掛かるんだ?あいつは?逮捕してあきれたぞ、…。しかも、まだ騙されてたことに気付いてないだろう、あいつは」

そこはかとなく思い出した疲れに関が視線を前方に投げる。

「確かにね、人が良いっていうか、ばかっていうか、…。確か、マンションまで買って、婚約破棄されてもまだ気づいてないんだよね。ある意味天才的だけど」

あきれながらいう鷹城に関が同情する視線になる。

「まあな、…。マンション、…――てことは、おまえ、いまあいつ、…―――本当に一人暮らしなのか?家政婦さんがみてくれてた、あの家にいるんじゃないのか」

「そう。だから、にいさんの処に僕を放り込んだら、本気で飢えるから。一応、家政婦さんが通ってはくれてるみたいだけど」

「…――すまん、前言は撤回する。あいつ、本当に一人か、…。何でまた、…ったく、誰か、オムライスの得意なの捉まえて、結婚すればいいだろ。あいつ落とすには、オムライスが作れればいいんだぞ?」

「だよねえ、…。誰か、オムライスが上手なお嫁さんが来るといいんだけど」

「そうすれば少しは安心できるんだがな、…。まったく、―――」

ちゃんとメシ食ってるのかあいつは、と唸る関に鷹城が微笑う。

「ったく、おまえらは、―――」

「あ、そこで一緒にする?」

「おれにメシ作らせてるのは一緒だろうが」

「否定はしないけど、才能がね」

「何が才能だ。料理は手順を守ればきちんと」

「―――あ、もう横浜だ」

「もうすぐ家だな」

関が夜景の中ハンドルを切る隣で。

 鷹城がそっと、続く夜空の下、流れる車の赤い灯を。

 夜に消えていく赤い灯を見つめて。

 そっと、言葉もなく唯僅かに微笑んでいた。

 関が、しずかに車を運んでいく。





車が夜の闇を流れるようにして進んでいく。その赤い灯が、夜に流れるように尾を引いて静かに闇に消えていった。









                                   「鬼灯」 

                                ――了――

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