第十六話「燃えて挑んで、走り回れ!」



--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 PM 4:56 丘口知夏 --



知夏は前へと突き走った。知夏を止めようとするコメントの流れに逆らい、

群がるゾンビの中を槍一本で強引に、稲妻が走っているかの如く駆け抜けていく。

あと五歩、三歩、この一歩で、槍が『支配』の鼻先に届く――かのように思えた。


槍はマチェットを持つ木田が伸ばした腕を貫通し、『支配』の顔の横を掠めただけだった。

カーテンレールで作られた持ち手では柔らかすぎて、槍の軌道がそれてしまったのだ。


「まだ……! まだです!」


一度後ろへ下がりつつ槍を引き抜くと、

戦う時間を稼ぐためにリュックから二個目の『うるさいんX』を取り出した。

スイッチが入った虹色の羽ばたくインコが、知夏の背後へと放り投げられる。


『支配』が十本揃った両手の指先を知夏へと向けた。指の根本が丸く膨れ上がっていく。


「指が来る……!」


配信画面から見えるすぐ背後のゾンビ三体を、素早く体をひねって連続で刺し貫く。

そして『支配』に背中を見せ、配信画面越しに『支配』の指を捉えた。


「来るならきやがれ! です!!」


自身に向けられた指の根本がさらに膨らむ瞬間を、知夏は見逃さなかった。

たった今倒したゾンビの下へ飛び込む。潜り込んだ後、小さな爆発音とともに十本の指が知夏へ降り注ぐ。

その何本かは身を包む発砲スチロールに刺さった感触がした。

だが体には刺さっていない。知夏は立ち上がり、再び稲妻のような走りをみせた。

そして『支配』の背後へと回りこみ、大きく前に踏み込んだ。


「こんどこそ……!! 当たれぇええ!!!!」


放物線を描いた突きが、こちらを振り返りすらしない『支配』の後頭部めがけて飛んでいく。

これだけ速い曲線の一撃をゾンビが止められるわけがない。知夏は確信していた。

青い防刃グローブをつけた手が平然と槍の先端を捕らえた、その瞬間までは。


「え……?」


青い防刃グローブを両手に付けたそのゾンビは、拳法家の鬼龍だった。

彼はゾンビになっても尚、知夏の一閃を完全に見切っていた。

知夏はすぐさま槍を引っ張ったが、まるで岩にでも刺さったかのようにビクともしない。


「離してください鬼龍さん! これがないと! わたしは、役に立てないんですからぁ……!!」


知夏にとってこの槍は大事な心の支えになっていた。

この槍無くしてゾンビと戦うなど、出来る気がしなかった。

腕を乗せている木田と小林によって『支配』が知夏へと振り返ってくる。

その表情と姿勢はまったく変わっていない。顔のみを動かして知夏を見下ろしている。

槍を取られ戦意を失った知夏の目には、その姿がより恐ろしく映っていた


『支配』が口を大きく開けた。舌を伸ばし、舌先を知夏へ向けた。

その先端は指と同じように、口が付いていた。

知夏は槍から手を放せないまま、ついにその場でへたり込んでしまった。


「アハハァ……舌も、すっごくこわいやぁ……」


舌が射出される。このまま飛んでいけば知夏への直撃はまぬがれない。

しかしそのような結末を決して許さない者が、同じ空間にいた。


知夏と『支配』の間を遮るように凄まじいスピードで"何か"が飛んできたと思うと、

『支配』の舌は黒いダクトテープに絡めとられていた。

"何か"が壁に当たったのか、金属音を発して跳ね返り、今度は『支配』の後方を飛んでいく。

"何か"は再び折り返すと、『支配』達に巻き付くようにしてようやく静止した。


"何か"は、バールだった。バールには黒いダクトテープが巻かれている。


「ハイ……? ハイィ……?」


状況をうまく飲み込めなかった知夏は困惑の声を漏らした。

この状況を起こした張本人であろうプロの声が、中央通路から聞こえてきた。


「実にいい動きだった!」


「しかし悪いな。そいつを倒すのは、俺の仕事なんだ」


エハルはダクトテープを握るその手首を、目にも止まらぬ速さで回した。

伸びていたテープが急速にねじれていき、一本の黒い紐となっていく。

そしてどういうわけか、『支配』達がダクトテープによって縛られていく。

知夏はこの光景に強い既視感を感じた。


「こ、これってもしかして……!!」


エハルは黒い紐と化したダクトテープを両手で握りこむと、

背負い投げをするようにして力づくで引っ張り上げた。

体を縛られていた『支配』とその一行がまとめて空を舞い、中央通路へと放り投げられていく。


「『テープ一本背負い釣り』だぁ……!!!」


『テープ一本背負い釣り』。『フィジカル・オブ・ザ・デッド』セカンドにて一度だけ登場した、知る人ぞ知る技である。

余談だがセカンドはダクトテープを戦闘に取り入れるようになったため、技の種類が多い。


『支配』一行が中央通路の床に叩きつけられる。エハルは知夏に呼びかけた。


「"丘√"よ」


「は、ハイ! なんでしょうかぁ!」



「陽動はまだ、続けられそうか?」



この人は鬼なんじゃないだろうか。知夏は素直に思った。

しかし"知夏"ではなく"丘√"と呼んでくれたその言葉には暖かな配慮が感じられた。

そしてこんな状態になってもまだ頼りにされている。そう思うと、なんだかやれそうな気がしてきた。


知夏はボロボロになった発泡スチロールを脱ぎ捨て、槍を抱きかかえるようにして拾ってから、

元気よく答えた。


「ハイッ!! お任せください!!」


「うむ! いい返事だ」


「では引き続き、いい仕事をするとしよう。お互いにな」


エハルはそういうと『支配』を見据えた。

五体のゾンビ達はダクトテープを引き千切り、エハルを向いてゆっくりと立ち上がっている。


中央通路にて対峙する『支配』達とゾンビのプロ。これから名勝負が始まろうとしている。

知夏は期待に胸を膨らませたが、その欲求を必死に抑えた。

今は自分がやるべき仕事に集中しなければならない。そう決意した知夏は槍を手に再び走り出した。



--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 PM 5:12 谷口貴樹--



エハルは初めに、対面する敵の力量を冷静に分析していた。


「武器を持つ『作法』、瞬発力の『作法』、関節軟化の『作法』に、前世の動きを引き継ぐ『作法』……」


現時点で判断できる強力な『作法』を列挙した後、五体のゾンビが持つ武器を確認した。

刃渡りが五十センチ近い抜き身のマチェット。七キロはありそうなスレッジハンマー。

業物だと推測できる鞘に収まった赤い太刀。そして手の甲に鉛が入っていそうな分厚い青い防刃グローブ。

『支配』は先ほど消費したはずの手指が根元から徐々に生えてきている。


「指は時間が経てば再生するのか」


「それは……『作法』とは呼べないな」


エハルはそういうと、『支配』たちの足元に落ちているバールを一瞥した。

刃物を持った相手に素手で挑むほど、今の彼は愚かではないのだ。


エハルは床に散らばっているガラスの破片を足で一箇所に集めると、集めた破片にダクトテープを巻き付けていった。

続いてさらにテープを伸ばし、ねじって紐状にしていく。『フレイル』と呼ばれる武器に似たそれを、

"テープを破らずに"振り回して見せた。いかにもこれを使って戦うのだと、眼前の敵に思わせるために。

そして本命の武器であるバールに少しでも近づけるよう、にじり寄るようにして足を運んだ。


「それだけ『作法』があるなら、いつ『ユニーク』になってもおかしくないが……何か仕掛けでもあるのか?」


続いて質問に応じられるかを確認した。会話をして和解するためではない。

『ユニーク』であってもゾンビは心が無い。

それを確認することで戦いにおける迷いを断つ。それがこの質問の目的だった。


「ん……?」


エハルは静かに足を止めた。

『支配』が護衛のゾンビ達を押しのけて先頭に立ったからだ。

その足元にはエハルが拾おうとしているバールがある。


『支配』は片足を上げると、バールを通路の横へと蹴り飛ばした。

バールが勢いよく床を滑り、割れたガラス柵の下を通り抜けて一階へと落下していく。


まさに狙い通りだった。

エハルは振り回していた"フレイルのようなもの"がバールより下へ飛ぶように紐から手を離した。

繋がったままのダクトテープが音を立てて釣り糸のように伸びていく。

"フレイルのようなもの"がバールの下を通り越し、テープにバールが張り付き、

バールを中心に弧を描いて巻きついていく。


伸びていくダクトテープを親指で止め、右腕を高く振り上げた。

二階へと引き上げられたバールが、吸い込まれるようにしてエハルの元へと飛んでくる。

エハルは前を向いたまま、手のひらを広げた。そして力強く掴み取った。


「やはり『ユニーク』なだけあって、お利口だったな」


「もっとも、心を踏みにじる自覚までは無いんだろうが」


振り上げた腕を下ろして、反省するように独り言を言った。


「……いかんな。つい浮かれて昔の台詞が出てしまった。気を引き締めねば……」


態度にこそ出していなかったが、彼の心はかなり浮足立っていた。

ようやく共に戦ってくれる味方ができたことが、心の底から嬉しかったのだ。


ここまで余裕をもって『ユニーク』と対面できたのは初めてのことであり、

独りで戦い続けた彼だからこそ、その喜びを痛感していた。


エハルはバールに巻き付いたダクトテープを破いた。


「"丘√"の働きは、何一つとして無駄にはしない」


一回転させてバールを持つ手の位置を調整した後、力強く構えた。


「この俺、ゾンビのプロがな」

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