第十七話「閉業の狼煙」



--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 PM 5:22 谷口貴樹--



各々の武器を構えた四体の厄介そうなゾンビが『支配』より前へと出た。

そのままエハルの方へとにじり寄ってくる。

そして唐突に、マチェットを持つ木田が走り込んできた。


「なんだ、走れるのか」


エハルは右手に持ったバールを横へ構えて振り下ろされた斬撃を難なく止めると、先端を手前に引いて角度を付けた。

体重が乗ったままの刃が先端であるくの字の部分まで滑っていく。

自然と前に出たバールの反対側を使って木田の側頭部に軽い一撃を入れると、間髪入れずに横に振り払った。


振りきったバールの先端には木田の首が刺さっていた。

頭を失った胴体がドサリと床に倒れる。

顎に刺さっているためか、首だけとなった木田はその口を力なく動かしている。


「分離の『作法』までは持っていないようだな」


エハルは冷静に警戒すべき『作法』を持っていないことを確認すると、

バールの先端を自身の足元へ置いた。そして頭を踏み砕いて引き抜いた。


一対一という状況下において、武器を持った程度の力量では彼の足元にも及ばなかった。


エハルは前を見た。

正面に立つ赤い日本刀を持つゾンビは腰を落として鞘を後ろへ下げた、見るからに居合抜きの構えを取っている。

『支配』と他の二体はその奥でただ見ているだけだ。


(何故同時に襲ってこない。余程腕に自信があるのだろうか)


眼前のゾンビは相当な手練れなのだと、エハルは判断した。


「面白い。その勝負、受けて立とう」


エハルはそういうと、流していた『オカル~ト・フェスティバル!!』を一時停止した。

スマホをしまって腰を落とし、バールを両手で縦に構えた。


電波ソングが止まり両者が武器を構えたことで、軽快だった雰囲気が徐々に張り詰めたものへと変わっていく。

静寂の中。相手の力量を読み、どう打ち取るか。その刹那を探していく。



「……ン! ツー! スリ―!」


遠くにいる威勢のいい声まで、はっきりと聞こえてくる。



「シャットアウトォオ!!!!」



刀を持つ手に力が入った瞬間をエハルは見逃さなかった。すかさず大きく距離を詰める。

そして鞘から刀身を出すために必ず行う動作、"抜刀"をさせまいと動いた。

刀身の長さを把握してその空間をあらかじめ抑えてしまえば、高速な剣技もその意味を成さない。


前蹴りで刀を踏み抑えて、それを踏み台にしてバールを振り下ろす。エハルはその動きを正確に実行しようとした。


しかしゾンビは刀を抜かなかった。


「なにぃ……!?」


かつてジョンと呼ばれていたゾンビ。彼は刀を抜こうとはしていた。

しかしただの日本好きであった彼は知らなかったのだ。

日本刀には『鯉口』と呼ばれる引っかかりがあり、それが引っかかったままだと居合など出来ないということを。

そもそも刀を抜いたことなど一度として無いド素人だったのだ。


エハルの前蹴りが空を踏みつける。

その踏み込んだ足を軸にして無理やりバールを振り下ろすも、その一撃はジョンの肩に直撃した。

すぐさまバールを振り上げ二度目の一撃を放つ。

しかしその一撃は間に割り込んだ青い防刃グローブによって阻まれた。


「なんだと!?」


親指と人差し指で挟むようにして抑えられたエハルの手首は、続いて手のひらを外側に曲げられた。

関節がねじられる感覚がエハルを襲う。


「そっちが達人か……!!」


エハルの右腕は関節技をかけられていた。『小手返し』と呼ばれる有名なその技は、

合気道や柔道を始めとする多くの武道で取り入れられている。シンプルながら強力な技だ。

小手返しに気を取られている隙に、鬼龍の強烈な右拳がエハルの腹に直撃する。


「ぐっ……! 」


鬼龍は左手でねじったエハルの右腕を手前に引き拘束を保ったまま、ひたすら右拳を叩き込んでくる。

エハルも負けじと左腕で殴り返すが、顔面だけはしっかりと防御され、まるで効果がない。

顔以外も殴りはしたが、相手はゾンビだ。身体を殴るメリットなど皆無だった。


「ずいぶんと……嫌な戦い方をするな……!」


腕に付けていた発泡スチロールが砕け散っていく。

一方的にダメージを負いながら、殴り合いが続いていく。


「あまり使いたくなかったが……仕方あるまい……!!」


エハルは左腕を大きく後ろに構えた。その隙に打ち込まれた痛烈な拳を気合で耐え、

鬼龍の胸めがけて『圧倒的掌底』を放った。


凄まじい衝撃によって鬼龍が吹き飛ばされる。だが鬼龍は衝撃を受けきり、倒れすらしなかった。

胸には風穴が空いているのも構わず、エハルに向かい始める。


「当たりは良かったんだがな。……まぁ、距離が取れただけでも良しとしよう」


エハルの左腕は激しく痙攣していた。

『圧倒的掌底』は正しい姿勢で放たねば自身の腕を壊しかねない、諸刃の技なのだ。

さらにいえばその技に慣れていない左腕で放ったことが、エハルにより大きなダメージを与えていた。


「そろそろ攻守交代といきたいんだが……」


エハルは『支配』の足元を見た。

矢じりのような爪が飛び出たスニーカーの足先が大きく膨らみつつあった。


「まだ難しそうだな」


エハルは大きく垂直に跳んだ。

『支配』の爆ぜた足先から放たれた、刺されば人生が終わる十本の指がエハルの真下を通り過ぎていく。

そして空中にいるその隙をつくかのように、鬼龍が走り込んできていた。

両者が床へと倒れ込む。鬼龍は流れるような動きでエハルの背後へと回りこむと、両腕で首を絞め始めた。


「よりにもよって、日本拳法ときたか……!」


日本拳法。鉄面、防具、グローブを着装することであらゆる実践練習を可能とした拳法である。

その技の幅は打撃技、投技、寝技、関節技とあまりにも広い。生前の鬼龍は、日本拳法の達人だったのだ。


ヘルメットのおかげで首はまだ締まっていない。相手の頭の位置からして噛まれることもないだろう。

しかしエハルの右腕は鬼龍の両足による関節技が完全に決まっており、指一本動かせなかった。

バールが音を立てて床へと落ちる。

エハルは痙攣している左腕で鬼龍ゾンビの腕を掴み、力ずくで引きはがそうとした。

その最中、エハルの足元からスレッジハンマーを上に構えた小林が歩み寄る姿が目に入った。


「まったく……! いい連携だな……!」



エハルは両足を曲げ床に付けた。そして小林のハンマーが振り降ろされるタイミングで床を滑った。

七キロのスレッジハンマーがエハルの股下に叩きつけられる。通路を震わせるほどの衝撃が響き、床のコーテイングがひび割れた。


小林はハンマーをもう一度持ち上げ、今度はエハルの胸めがけて振り下ろした。


エハルは勢いよく身体を左へ向けた。背後から首を絞めていた鬼龍の右肩にハンマーが叩きつけられる。

鬼龍の右肩が砕ける音とともに腕を振り払い、一度距離を取ってから立ち上がった。


「さて……ようやく、攻守交代だ」


胸に風穴が空き、右肩まで砕かれた鬼龍が立ち上がる。

すぐ後ろにはハンマーを持った小林が立っている。

バールはさらに後方にあり、その奥に立つ『支配』は腕をこちらに向けている。

ジョンはいまだに刀を抜けていない。


現状を把握したエハルはダクトテープを取り出し、構えをとりながら伸ばした。


「テープと戦った経験は、ないんじゃないか?」


鬼龍が走り込み、左拳を打つ。それを伸ばしたテープで受け止め、拳を手首ごと包むように縛り上げた。

自身の手首を高速で回しテープを紐に変える。紐をつかみ背中を見せ、放り投げるように背負い投げを決めた。

そして放り投げた鬼龍が立ち上がる前に、ハンマーを持つ小林へと駆け出す。


小林は何故かハンマーを構えず両腕を力強く広げている。これは射出嘔吐の『作法』特有の構えだ。


それを察知したエハルはどうにか形を保っていた頭の発泡スチロールと、右腕についた同じものを重ね合わせた。

即席の白い盾が勢いよく飛んできた汚物を防ぎきる。


「案外役に立ったな。」


小林がハンマーを振り上げ、エハルの頭へと振り下ろす。

余裕ともいった様子それをかわすと、ダクトテープを伸ばした。

振り上げる最中にハンマーヘッドをテープで抑え絡めとる。


「少し借りるぞ」


ハンマーを引っ張り上げて頭上で弧を描かせた後、小林の頭へぶつけて粉砕した。

紐から手を離し、先程から腕をこちらに向けている『支配』の指を見た。


片手の指は全て生えきっている。そしてその根元が一本一本順番に膨れ上がっていた。


「十二メートル、五発か」


エハルは相手との距離と弾数を計ると、行動を起こした。


一発目は横に身体をずらして。

二発目は脱力して屈んで。

三発目は上体を反らして。

残り二発は後ろから走り込んできた鬼龍の足を払い、盾代わりにして。

エハルは『支配』の指を真正面から見事かわし切った。


鬼龍が立ち上がりながら縛られた拳を打ち込む。しかしその拳は見当違いの方向へと放たれた。

エハルは足払いをした隙に拳に繋がっている黒い紐を掴んでいた。その紐で拳の軌道を逸らしたのだ。


それからのエハルと鬼龍の戦いは一方的だった。

エハルは鬼龍を中心に回るようにして鬼龍の拳を捌きつつ、徐々にダクトテープで鬼龍を縛っていった。

次第に拳が突き出せなくなり、足すらも動かせなくなっていく。

ついに何もできなくなるほどに縛り上げられると、鬼龍は唯一動かせる顎で歯をガチガチと鳴らした。


エハルは鬼龍の肩をポンポンと叩いた。


「ナイスファイトだった」


エハルはそういって拳を振り下ろし、鬼龍の頭を粉砕した。

鬼龍の身体が倒れゆく姿を見送ると、エハルは『支配』を見据えて堂々と歩み寄った。


『支配』がもう片方の手を構え、指を放っていく。

近付いているにも関わらずエハルは体さばきのみでかわしきる。

途中でバールを拾う余裕すらもあった。

口を開いてさらに一発を放つ。エハルはそれを難なくバールで弾いた。


『支配』はついに後ずさった。足元に倒れているゾンビにつまづき、後ろへと転んだ。

二者の距離はもう五メートルもない。


『支配』はそのまま後ろへと下がり続ける。乗り越えた障害物に足先だけが乗っている。

そしてその両足を上げ最後の十本を射出した。


寸分の狂いもないバールの一振りはその全てを弾ききった。

『支配』はエハルを見上げたまま、後ずさらなくなった。


エハルは『支配』を見下ろした。


「勝負ありだ。どうする?」


『支配』が突如、勢いよく通路横へ這い出した。割れた柵の下をくぐり、一階へと落下していく。

骨が折れる音を響かせた後、『支配』は這ったまま正面玄関へ向かい始めた。


「だよな」


エハルは新品のダクトテープを取り出し、しっかりとバールに巻き付けた。そしてバールを投げつけた。

『支配』の背中にバールが深々と突き刺さる。

紐と化したテープによって、『支配』が一階エスカレーター前へと引きずり込まれていく。

ダクトテープは通路中央の手すりに巻き付けられた。

それを理解できていない『支配』はそれでも正面玄関へ向かうべくもがいている。


「さて、盛大な幕引きと行こう」


エハルは目の前の柵を踏み台に飛び上がった。

そしてその先にある天井に吊るされた大きなシャンデリアの端に両手でしがみついた。

シャンデリアを支える何本かのワイヤーがはじけ飛んでいく。


「必殺……!」


豪華蝋燭落とし。そう言おうとした。

しかし何か強い視線を感じ取った彼は、その視線の先を見た。


「豪華……!?」


その視線の出どころは陽動に専念しているはずの知夏だった。

柵から身を乗り出し、とても熱い眼差しで、それはもう嬉しそうにこちらを覗き込んでいる。


『フィジカル・オブ・ザ・デッド』の主演俳優ではないと豪語している以上、

大ファンである知夏の前で声高らかに"らしい必殺技"を言うわけにはいかなかった。

それをしてしまえば、自分が江口貴晴だと宣言しているのと同じなのだ。


(なにをサボって見てるんだあいつは……!!!)


自分が江口貴晴ではなく谷口貴樹であることを示すため、エハルは即興で何か別の言葉を絞り出した。


「シャンデリア……! フォール!!」


その場で思いついた、らしくない横文字を控えめに叫んでシャンデリアに体重をかけた。


シャンデリアのワイヤーが全てはじけ飛び、エハルと共に『支配』の頭上へと落下していく。

そしてシャンデリアと『支配』は、盛大に砕け散った。


エハルは大きく息を吐いた。


「まったく……肝が冷えたな」


エハルは立ち上がると、周りを見回した。

正面入り口からゾンビが何体か入ってきているものの、中にいるゾンビはかなり少なかった。


「いい仕事をしてるじゃないか」


満足そうに頷いていると、二階のエスカレーター前から知夏が手を振りながら呼びかけてきた。


「エハルさぁ~ん!! 見てましたよぉ! お見事でしたぁ~!!」


「ちなみに二階のゾンビさんの大体は締め出しましたよぉ~!!……ってうわぁあ!? 

刀を持った強そうなゾンビさんが今、真ん中に見えましたぁ!!!!」


「安心しろ、そいつはそこまで危険じゃない。だが……」


だがあの男も同じ屋上の仲間だったのかもしれない。そう考えると、彼女にはまだ荷が重い気がした。


「いや、やはり俺がやろう。今そっちに行く」


エハルはエスカレーターに足をかけようとした。


「だいじょうぶです!!!」


知夏は声を張り上げたことでエハルは足を止めた。


「ジョンさんは……二階は、わたし一人でやれますから!!」


「エハルさんは一階の閉鎖をよろしくお願いします!!!」


「……分かった」


エハルは気持ちためらいながらもそれを承諾した。


「二階は君に任せる。一階は俺に任せてくれ」


「ハイッ!!!!」


知夏はそういうと、その場から走り去っていった。

エハルはエントランスへと向き直り、シャンデリアの残骸の中からバールを拾い上げた。


「そういえば……音楽を止めたままだった」


エハルはポケットから店員用のスマホを取り出し、館内放送を流すためのアプリを開いた。

このアプリによって館内放送を遠隔操作できる。四階でスマホを見つけた時に彼はそれを把握していた。


「少しでも盛大に、明るくしなければな」


『オカル~ト・フェスティバル!!』を再生しようとして、その手を止めた。


「いや……今は、こちらの方がベストか」


元から入っていた別の曲『オタルの光』を再生した。

屋上を含めた館内全域に、哀愁が漂う落ち着いた音楽が流れ始める。


『オタルの光』。

日本にある商業施設の閉店時に必ずと言ってもいいほど流れるこの曲は、

別れの悲しみと新たな旅立ちへの希望を表現したと言われている。


「さて……残った仕事を片付けるとしよう」


エハルはバールを手に、押し寄せる死者の群れを淡々とその場に静めていった

それから一時間後。総心百貨店はついに人の手に取り戻されたのだった。

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