第十五話「百貨店の中心でゾンビを回せ(後編)」
--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 PM 4:33 丘口知夏 --
「作戦成功です!! 後は逃げるだけですね!」
四階で拾った『警備員の鍵束』を使って鍵をかけ、すぐさま体をバネにして飛び起き、目の前にある柵へと素早く移動した。
手すりに片足をかけてよじ登り、柵の上に立った。そして体を左へ向けて、柵の上を駆けていく。
デコイに誘導されなかったゾンビ達が知夏へと手を伸ばすも、その緩慢な動きでは知夏を捕えられなかった。
「あの頃に比べればこのくらい! おちゃのこさいさいです!」
知夏にとってこれらの逃げる行動は慣れたものだった。
屋根まで積み上がってくるゾンビの群れをいなし続け、ブロック塀の上を全力で走り続け、
狭い屋内も辺りの物品を活用してかわし続ける。三日三晩徹夜でだ。
彼女はただの配信者ではなかった。
ゾンビパンデミックに陥った東京の街中を、たった独りで逃げ延びてきた配信者なのだ。
知夏は柵の上からシュタッと飛び降り、インカメラに切り替えた。
「やりましたよみなさん!! ゾンビさん達をまとめて封殺できましたよぉ!!」
「三十体くらいは入ってましたかねぇ? みなさん! わたしを褒めてください!!」
大量の褒めるコメントの中で、ひとつのコメントに目が奪われた。
「テナントはまだ沢山あるから、うまくいけば相当な数をシャットアウトできる……!?」
そのコメントを見た知夏は大きく目を見開いた。
実は知夏考案の『シャットアウト作戦』は配信を盛り上げるため"だけ"に思いついたので、
それによる成果までは考えていなかったのだ。
知夏は集団から大きく距離を取ってから、大急ぎでテナントの数をかぞえた。
「にぃ~、しぃ~、ろぉ~、やぁ~。八個のお店が四つ並んでるからぁ……全部で三十二個ありますねぇ」
知夏はまるでそろばんでも弾くように、顔の前で指をちょこちょこ動かして暗算を始めた。
三十体のゾンビに三十二個の店をかけていく。
合計で九百六十体のゾンビをシャットアウトできる計算となった。
「エハルさんはたしか、"千体はいる"って言ってたようなぁ……?」
「あらぁ? それってぇ……ほぼ全部じゃないですかぁ??」
先ほどやったことを全てのシャッターで行えれば、エハルが予測した数である千体のゾンビを無力化できる。
その戦果はもう、褒められるどころの騒ぎではない。大大大金星である。
知夏はもう一度暗算をして計算間違いがないことを確認した。そして瞳をキラキラと輝かせ始めた。
「コココッコこれはァ! この程度で喜んでいる場合じゃないですねぇ!!」
デコイの数が足りるのかを不安がるコメントがちらほらと流れてきている。
「そこはご安心ください! 先ほどは不覚を取りましたが、予定ではデコイを使わないつもりでしたので!
あ、忘れてましたぁ、デコイの説明をしないといけませんよねぇ。ちょぉっと待ってくださいねぇ……」
知夏がノートをパラパラとめくっていると、ゾンビの群れを陽動していた『うるさいんX』の音が聞こえなくなった。
そして標的を見失ったゾンビ達は、中央通路にいるエハルへと向かい始めていた。
「んなぁんですと!? ま、まずい。わたしの手柄がぁ、じゃなくて……エハルさんがピンチです!」
「『支配』さんが来るまでゾンビさん達を惹きつける! それがわたしの仕事ですっ!!」
知夏は槍を脇に挟み、首にかけていたピンク色をしたイルカのオカリナを両手で構えた。
目を閉じて息を吸い込み穴を適当にパタパタ塞ぎつつ、思いっきり吹き鳴らした。
オカリナにしては野太すぎる、むしろホラ貝に似た音がフロア全体に響き渡る。
エハルとゾンビ達全員は動揺した様子で辺りを見回し始めた。
演奏中の知夏を視界にとらえると、聴き入るように硬直してしまった。
妙な緊張感のある雰囲気がこのフロア全体を支配している。
彼女の演奏は単なる下手さを大きく飛び越えた、ある意味魔術とも呼べる代物だった。
過去に投稿した演奏動画は"刺激が強すぎるコンテンツ"として全て運営に削除されている。
"時間を吹き飛ばす恐ろしい演奏がネットに存在する"。当時はそんな噂までが広がった。
"オカルト界隈の団結"によって噂に尾ひれが付きに付いた結果、
現在では都市伝説『名状しがたい大演奏』として"オカルト界隈の中で"大切に語り継がれている。
そのおかげでチャンネル登録者数は跳ね上がったものの、彼女にとってその出来事は大変に不名誉なことであった。
彼女は汚名返上を狙ってオカリナを拾っていた。しかし残念ながらやはり、その笛の音は強力な武器であった。
何故かホラ貝の音がするオカリナを十秒ほど吹き鳴らした後、知夏は満足した顔で目を開けた。
「おお? 初めてにしてはかなり上手いのではぁ??」
オカリナの音が止むと、呪縛は一斉に解かれた。
エハルとその近くにいたゾンビ達は左右を見てからゆっくりと互いを見合った。
そして一度間を開けてから、思い出したように戦闘を再開した。
その一方で、中央通路に辿り着いていない他のゾンビ全てが知夏へ向けて歩みを進めている。
「わぁおぉ。思ってたより大注目ですねぇ。これは大漁の予感がします! ね? みなさん!」
知夏は賞賛の声を期待しながらコメント欄を見た。
「気が付いたら時間が進んでいたのですが、これはいったい」
「何故かはわからないが、心が揺さぶられたような感覚がする」
「料理が焦げてしまった」
といったコメントを発見した知夏はにっこりとした。これは賞賛の声に違いない。
「ほうほうほう!! お褒めの言葉、感謝です! 実は楽器の演奏には因縁がありまして、
リベンジしたかったんですよぉ……この配信が終わったら折を見て、練習配信でもしてみましょうかねぇ?」
知夏が視聴者と戯れているうちに、何かがエスカレーターを"駆け上がっている姿"が見えた。
「ハイ? 今度はなんですかぁ? 今大事なお話しのまっさいちゅうなんですけれどもぉ……!?」
三体のゾンビが腕をめちゃくちゃに振り回して強引に群れをかき分けながら、一心不乱に知夏へと向かってきていた。
「あ、あれって……! も、もしかしてぇ……!?」
群れから脱した三体のゾンビは、とんでもない速度で猛然と走ってくる。
脊髄反射ともいえる反応速度で、知夏はその場から逃走した。
「"走るゾンビ"だぁーー!!!!」
反射で逃げたせいで、すぐ右手にある中央通路をスルーしてしまっていた。
「しまった! 走るゾンビはエハルさんにお任せする作戦だったのにぃ!」
「でもまぁ~、あと半周軽く走ればいいだけですからね! ねぇみな――」
三体の走るゾンビ。腐った足からなるその速度は、知夏の予想を大きく超えていた。
千切れそうになっている腕を大きく振りかぶり、猛烈な勢いで距離を詰めてきている。
「ええ!? ちょっとぉ!! 映画より、ずっと、速いんですけれどもぉーー!!」
知夏は全力で通路を駆け抜けて曲がり角まで辿り着くと、
減速しないよう左足で壁を強く蹴り飛ばして通路をほぼ直角に右へ曲がった。
すぐ後ろにいた一体の走るゾンビが勢いよくテナントの壁に衝突する。
その瞬間、知夏は思わず息を呑んだ。いつのまにか、今までのように余裕ある表情ではなくなっていた。
知夏は大きく前に踏み出した。後ろを振り返ることなく、凄まじい速さで通路を駆けていく。
前から飛び出してきた二体のゾンビの内一体をかわし、もう一体を深く貫いて、前へ引き抜く。
倒れたゾンビに足が引っかかった走るゾンビが派手に転倒するも、すぐに起き上がって再び走ってきている。
知夏は走りながら槍を左側へ伸ばし、陳列されている品物を辺り一面へとばら撒いていく。
ここまでやっても一体の走るゾンビがすぐ背後まで迫ってきていた。
「もう!! しつこすぎますよぉ!! こうなったらぁ……! 一か八かです!!」
三階へ続くエスカレーターの前を通り過ぎ、少し前にいた鍵屋と服屋を通りすぎ、
そして理髪店のドアまで来たところで――知夏はそのドアを開け、ドアノブを握ったまま体重を掛けた。
ゾンビが激突した衝撃が扉越しに伝わる。その衝撃で数歩分突き飛ばされたが、知夏の顔には笑みが戻っていた。
「どんなもんです!!」
そういって再び中央通路へ向かって走り出した。
他の二体も追ってはきているが、距離は十分に離れている。
知夏は余裕を見せた表情でインカメラに視線を送り、サムズアップをした。
どうにか捕まらずに中央の通路の入り口まで走り切った知夏は、
最後の直線で加速しつつ、悲鳴じみた声をあげた。
「エハルざぁ~ん!! おねがいしまぁ~~す!!」
エハルは振り上げていたバールをスッと下ろすと、反対の手を挙げた。そしてすれ違いざまに言った。
「任せろ」
「ハイッ!!」
返事とともにハイタッチをする。知夏は振り返らずに走り去った。
バールがぶつかる激しい音と、走るゾンビが吹き飛んでいく光景が配信越しに映っている。
しかし今は見ている場合ではない。
知夏はそのまま前で渋滞を起こしている大量の群れへと向かっていった。
走る勢いをほとんど殺さずに左側の柵の上に登りそのまま走った。
「コラ―!! ここの通路は、立ち入り禁止だぁ~~!!」
中央通路の終わり際、L字の部分は跳んで軽くショートカットしつつ、左へ曲がった。
「お次は左回りですよぉ~~! こっちこっちぃ!!」
前方に見える楽器店めがけて真っ直ぐ駆けていき、楽器店の前で柵から降りた。
知夏が今いる場所は漢字の"田"でいう、ちょうど右上の辺りだ。
振り返り、二階全体を見渡してみる。さきほど真横を通過した群れは知夏の方へ向かっている。
しかし一階エスカレーターから続々と上がってきているゾンビのほとんどは知夏の方向へ来ていない。
反対側の通路を通ってエハルのいる中央通路へと殺到してしまっていた。
正面に見える一階エスカレーター前は、絶え間なく昇ってくるゾンビによって大混雑を起こしていた。
エスカレーターの上は柵が途切れているので、横を駆け抜けるのも難しい。
「あそこのゾンビさん達もこっちに誘導したいですねぇ。でもいったいどうしたらぁ……」
目をつむって下を向き腕を組んで考え込んでいると、腕に当たっているそれの感触に気づき、目を開いた。
ピンク色をしたイルカのオカリナが視界に入った。
「そうだぁ! もう一度、この子を使いましょう!」
知夏は得意げな顔をしてオカリナを意気揚々と手に取り、目を閉じてから口にそえた。
再び合戦でも始まるかのような音がフロア中に響き渡る。
吹き終わり知夏は目を開けた。先ほど吹いた時と同様に、ほとんどのゾンビが知夏に向かってきている。
配信画面に自身とゾンビの群れが映るよう、クルリと体を回した。
「さぁてみなさん、もう一周、いきますよ~? 見どころはまだまだありますので、シャッターチャンスをお見逃しなく!」
元気よくサムズアップをして、ちらりとコメント欄を見た。
そしてそのすぐ横に見える自分の顔のさらに奥、背後で映っている緑色のシャツを着たゾンビを見て、
ぐうぜんにも部屋の隅でとぐろを巻いた蛇を見つけてしまったかのような、強烈な恐怖を感じた。
緑色で"King"と書かれたTシャツを着た小太りのゾンビが、
両隣に立つゾンビの肩に腕を乗せてこちらをジッと見ている。ただ、ジッと見ているのだ。
他のゾンビはみんなこちらに歩いているのに、彼等だけは微動だにしていない。
知夏は思わず腕をさすった。鳥肌が立っている。直感は全力で訴えていた。
あのゾンビこそが森崎さんの仇であるユニーク『支配』なのだと。
「もしかして……『支配』さん、なんですか……?」
『支配』は口の両端が大きく裂けていた。
そのせいで感情などないはずのゾンビが、知夏を見て笑っているかのようにも見える
。
知夏はエハルを呼ぶため大きく息を吸った。
しかし知夏は声を出さなかった。その代わりに長いため息を吐いた。
『支配』の両隣で肩を組まれているゾンビ二体。さらにその両隣に立っていた二体のゾンビの服装が、
よく知る人達にあまりに似ていたからだ。見覚えのある"武器"まで手にしていたからだ。
月に一度行くキャンプが生き甲斐。木田さんの可愛いアクセサリーが付いたマチェット。
日本大好きなお調子者。ジョンさんの赤い鞘に収まった日本刀。
腕相撲では負け知らず。小林さんの大きなスレッジハンマー。
求道の旅をしていた拳法家。鬼龍さんの青い防刃グローブ。
見間違うはずもない。昨日まで楽しく会話していたのだから。
知夏は瞳を潤ませながら、小さく声を発した。
「なんで、そんなひどいことが出来るんですか……?」
知夏達のヒーローでいてくれた彼らはもういない。
優しく頼もしかった彼らはもう、人に害をばら撒くゾンビへとなり果ててしまった。
唯一残った食べる本能すらも無理やり抑えつけられた、人形のようなゾンビに。
知夏の頬に涙が伝った。
ゾンビに理性はない。頭で分かってはいても、話しかけずにはいられなかった。
「人をたくさん食べて、頭も良くなったのに……なんでそんな酷いことしか、出来ないんですか……!」
頭が良いなら心もあるはず。人間も動物も、ゾンビだってそれは同じ。知夏はこの瞬間まで、そう信じていた。
『支配』は変わらず知夏をただ眺めている。その白く濁った目と裂けた口で、おまけに肩まで組んで。
それを見た知夏は心の有り無しなど、どうでもよくなった。
あの舐め切った態度は"わたし達"を馬鹿にしている。それだけで十分だった。
知夏は手に持った槍をゾンビの噛む力なんかに負けないくらいに握りしめた。
それほど強く握りしめても、この腹の底が煮えたぎるような黒く大きい炎は静まる気配が無い。
知夏は涙を拭きとり、『支配』の目を鋭く真剣な目で睨み返した。
「馬鹿にするな……!」
そして愛用の槍を振り上げ、憎き仇敵へ向けて力強く振り下ろした。
「わたしたちを!! ゾンビのプロを!!!! 馬鹿にすんなぁ!!!!!!」
知夏は作戦をかなぐり捨て、前に突き走った。
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