第十一話「作法を超えてもはやユニーク」



--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 PM 1:54 丘口知夏 --



二人はエスカレーターの前に着いた。

三階へ続くエスカレーターは上階の造りとは異なっており、昇り降りのエスカレーターが併設されていた。

エスカレーターの手前にはシャッターが下りている。シャッターの向こうには昇りエスカレーターには赤青二色のバールが一本突き刺さっている

のが、隙間を通してはっきりと見える。

バールが突き刺さっているせいか、エスカレーターの動きは止まっていた。よく見てみると足場は抜け落ちて大きな穴が出来てしまっている。


森崎が資材調達に行くときに必ず赤青二色のバールを手に持っていたことを、知夏は知っていた。


(あのバール、森崎さんのと同じだ……)


シャッターの向こうにあるバールを眺めていると、シャッターがガシャガシャと音を立てた。

エハルはシャッターに手を掛けていた。


「鍵がかかっているな。できれば壊したくはないんだが、しかたない……」


エハルはそうつぶやくと、シャッタ―格子を両手で左右に掴んだ。無理やり開ける気だ、と思った知夏は

たまたま視界に入っていたじゃらじゃらした鍵束を拾い上げて、エハルの隣に立った。


「エハルさん、これがそこに落ちてましたよ?」


「ん? これはもしかして警備員用の鍵束か? まさしくこれを探していた。よくやった、知夏」


褒められた知夏は嬉しい気持ちになった。実のところ、物を探すのは得意なのだ。


「えへへぇ。たいしたことないですよぉ?」


エハルはいくつかの鍵を試すと、ガチャリと鍵が開いた。シャッターはガラガラと上がっていく。


「でもこんな大きな穴が開いてるエスカレーターなんて、怖くて通れないですよぉ?」


エハルは降りエスカレーターの横にしゃがみ込むと、鍵束の中から鍵を取り出して差し込み回した。

すると、降りエスカレーターは停止した。


「こちらも穴が開く可能性も考えて、俺が先に降りよう。それなら少しはマシだろう?」


知夏は表情を明るくして、首を縦にブンブンと振った。

怖がりポイントを段々と理解してくれていることが知夏は大変嬉しかった。


「合図をしたら降りて来てくれ。それまでは待つように」


「ハイッ!」


エハルは頷き立ち上がると、三階へ降り始めた。そしてフロアの中へと進んで行き、見えなくなっていった。





エハルが見えなくなって少し経った。知夏の心は不安で溢れかえっていた。


「……合図、まだかなぁ~?」


ソワソワした気持ちが行動へ現れていく。

背伸びをしてエスカレーターの向こうを覗いてみるも、動いているものは何もない。

続いて四階のフロアをキョロキョロと見回してみるも、動いているものは何もない。


「は、早くもどってきてくださいよぉ」


いつしか知夏は泣き言を漏らしていた。

明かりが点いている分少しはマシだが、広々とした空間の中に独りきりというこの状況はとても怖いのだ。


なにか今の気持ちを紛らわせるものはないかと忙しなくキョロキョロしていると、

エスカレーターに突き刺さったバールに目がいった。

そういえばまだきちんと確認していなかったと、知夏は思い立った。


「森崎さん……」


知夏石橋を叩いて渡るがごとく、足を伸ばしてタンタンと踏み確認をして、バールの目の前に立った。

突きたてられたバールには、黒いマジックペンで『森崎』と書かれている。

それを見た知夏は目を見開いた。


「やっぱり、森崎さんのバールだ……!!」


少しためらいながらも、知夏は床に大事な槍を置いた。それからバールを両手で掴み、引き抜こうとしてみた。


「ぐムムムムムぅ~~! ダメかぁ……」


エスカレーターに突き立てられた森崎のバールはびくともしない。


なにか使えるものが無いか、周りを見回してみる。すると業務用の延長コードが目に止まった。


「ん! いいもの見っけ!」


早速取りに走り、それを手にしてシャッターの前に立った。

そして天井に収まったシャッターからちらりと見える丸いわっかをまじまじと見た。


「あの丸いのを掴めれば、降ろせるのかな……?」


知夏は槍を拾って天井へと構えた。槍の先端を輪に引っ掛け下に引くと、簡単にシャッターは降りた。


そのまま這って通れるくらいまで降ろすと、

延長コードから伸ばしたコードの先端を出来るだけシャッターの上の方へ向けてポイっと投げた。

シャッターを這いくぐり、コードを先端を手にバールの前に再び立つと、グルグルと巻きつけてからギュッと結んだ。


「これでよし。あとはぁ」


シャッターを再びくぐり、延長コードを体に巻き付けてから強く握った。

そして体全体を使って思いきりコードを引っ張った。


「んー、よいしょおおおお……!! が……がらだが……!! しめづけられるぅ……!!」


鉄とステンレスによる大きな衝突音が聞こえた。

体に巻いたコードをほどきながら、知夏は振り向いた。

引き抜かれたバールがシャッターに張り付くようにぶら下がっている。成功だ。


「や、やったぁ! 森崎さんの形見、ゲットです!」


三階から走ってくる音が聞こえてきた。


「何かあったのか!? 大丈夫か!?」


エハルの声だった。階下から知夏に呼びかけているようだ。大きな音がしたことで心配してくれているのだろう。

バールに結んだ延長コードをほどきながら、知夏は元気よく答えた。


「だいじょうぶです~~!! 森崎さんの形見を引っこ抜いてただけですから!」


「なんだって?」


知夏は槍とバールを手にシャッターを上げて、停止しているエスカレーターをすばやく降りていった。

槍に比べてバールはずっしりと重い。知夏は降りきると、エハルにバールを見せた。


「これです! このバール、森崎さんがいつも持ってたんです」


「そういうことか。名前も書いているし、彼が使っていた武器で間違いなさそうだ」


エハルは一度考え込むように顎に手を置いた。手を外すと、真剣な口調で知夏にいった。


「知夏に話しておくことがある。ついてきてくれ」


少し首を傾げつつも、知夏はいつもどおりの返事をした。


「ハイッ」





三階『工具と材料』は今まで見てきた階よりずっと酷いありさまだった。

壁も床も今まで見たことがないほどの血に汚れ、商品が散らばり、もはや死体と呼んでいいのか分からないほど

に元の形を保てていない死体が大量に転がっている。この階でとてつもないことがあったことは知夏の目から

見ても明らかだった。


「ラジコンから見た時は気づかなかったですけど……この階だけなんか、すごいことになってますねぇ」


「俺も自分でやった以外では始めて見る光景だ」


「アハ~、見慣れてはいるんですねぇ……」


エハルは足を止めた。


「知夏、あれはなんだと思う?」


エハルが向いている先にあるのは、壁だった。しかしよく見てみると、紫色をした指のようなものが壁に突き刺さっている。


「あの指のことですか? う~ん、変な色ですし、ゾンビの指でしょうか?」


「森崎さんをゾンビ変えた原因は、これだ」


エハルはそういって黒いジーパンのポケットから、同じ見た目をした指を取り出した。

壁の指とエハルが持つ指を交互に見た知夏は、全速力で壁に近づいた。そして刺さった指をいろいろな方向から真剣に観察した。

爪は鋭く厚く尖り、矢印のような形をしている。指は全体的には紫色だが、所々緑がかっている。

指先は穴が空いていて、内側にはびっしりと小さい歯がついている。


「なんか、とんでもない形をしてますねぇ」


「森崎さんの背中にこの指が刺さっていた。根元をよく見てみろ。第三関節できれいに切れている。

偶然取れたのであればこうはならない」


ちょっとグロっちいので知夏は目を細めつつ、指の断面を見た。

たしかに漫画に出てくるお肉のようなきれいな断面をしている。


「そして爪は矢じりのように一度刺されば抜きにくい形をしている。さらには指の先端にどういうわけか口までついている。

ゾンビになる感染源は唾液だ。この小さな口は肉を食べるためというより、唾液をつけるためにあると思えないか?」


「ええっとぉ、つまりぃ。この指は毒矢みたいなものでぇ、その指を飛ばして、

刺さった森崎さんをゾンビに変えたんじゃないか……ってことですかね?」


「そういうことだ」


「いやいやいやいや!! そうはいってもゾンビですよ!? さすがにこれは『作法』でもできないのでは!?」


「知夏のいうとおり、これは『作法』でも説明がつかない。これはより上位のゾンビ、『ユニーク』によるものだ」


またよくわからない言葉が出たぁ。そう思った知夏はすぐさまノートを取り出した。


「ゾンビの『作法』については覚えているな?」


「ハイッ! ゾンビは頭を食べると……頭が良くなるんでしたよね?」


「だいたいそうだ。人間の脳を食べることで奴らは『作法』を獲得していく。そうして大量の『作法』を得たゾンビは、それからどうなると思う?」


「たいりょうのさほうをえたぞんびぃ……?」


知夏は持ち前の妄想力を膨らました。

走って、跳んで、梯子を昇れて、扉も開けられて、閉めることもできて、それで物陰に隠れて……。

なんだったらナイフとか持っちゃって、背後から音もなく忍び寄ってきて、電気のスイッチだって押せるかもしれない。

暗闇の中で計算高く動き、正確に人間を一人一人殺して回る暗殺者のような、そんなとんでもなく恐ろしいゾンビが、知夏の頭の中で育まれていく。

知夏は小刻みに震え出した。


「そりゃもうめちゃくちゃに、こわいですねぇ……!!」


「そう、恐ろしい存在になる。大量の『作法』を得るほどに脳を食べ続けたゾンビは、もはや個性と呼べるような特殊な能力を獲得する。

さらに食べ続けてしまえば、その個体は一万の群れよりも圧倒的な脅威だ」


「い、一万!? 『ユニーク』って、そんなに強いんですか……?」


「俺が変電所を守っていた時、三体のユニークを見たことがある。奴らはそれほどの脅威があると俺は感じた。

あの時は守ることに手一杯で、残念ながら討伐には至れなかった」


「ハイ!? エハルさんでも倒せないんですかぁ!?」


「早合点するな、一対一なら倒せる。だが奴らは自分が不利だと分かると逃げてしまうんだ。

追うにしても、物量で抑えられてはな。俺一人だと厳しいというのが現状だ」


「だが、今の俺には力強い味方がいる」


知夏は目をパチクリとさせた。


「それってぇ……わたしのことですか?」


「他に誰がいるんだ?」


「そ、それはそうですけれどもぉ」


「ゾンビのプロであるこの俺が頼りにしてるんだ、もっと胸を張れ」


「ハ、ハイィ……がんばりましゅう……」


「さて、話を戻そう。この百貨店の中、ここより下の二階か一階に『ユニーク』がいるだろう。

三階は一通り見たが、それらしいのはいなかったからな。この指からして狡賢い奴だ。

綿密な作戦を立てる必要がある」


「綿密な作戦、ですかぁ?」


「うむ。そのためにまず、この『ユニーク』の特徴を探りたい。確かめたいことがあるんだ。一度、四階へ戻ろう」


「う。またあのエスカレーターを歩くんですかぁ? やだなぁ」


「あれは日本製だ。そう簡単に抜け落ちたりはしないさ」


「そ、それはそうなんでしょうけどぉ……こわいものはこわいですよぉ」


二人は四階へと戻った。





四階『玩具と文房具、本と映像と音楽』は三階と異なり殺伐とした雰囲気はなく、相変わらずシャッターがそこかしこでおりている。

ここはなんだか落ち着くなぁ、と知夏は思っていた。


「このエリアは至るところでシャッターが下りているだろう。倒れているゾンビは少ない。

森崎さんたちはシャッターでゾンビを隔離して四階を制圧したのだと分かる」


コクコクと知夏は頷いた。四階を制圧せずに三階を制圧しようとは普通思わない。

それに五階で知夏が倒したゾンビさん達は四階から上がってきた、という考えにも納得がいく。


「シャッターが中途半端に上がっているのは『作法』を持ったゾンビによるものだろう。

だが鍵がかかっていたのはエスカレーター前だけだ。ここまで考えると、何か違和感がないか?」


「う~ん、あっ!」


知夏の頭に"!"マークが灯った。


「シャッターを開けるゾンビが初めからいたら、制圧中に開けられてるかも! そうなったら普通、

全部に鍵を閉めますよね?? でもそうじゃなかったってことは制圧した後から『作法』を持ったゾンビが

やってきて、その子がシャッターを開けたんじゃないでしょうか!?」


「いい考察だ。しかし森崎さん達はこの階まで制圧に成功してきた、実力ある五人のチームだ。自分たちを

無視してシャッターに近づこうとする不審なゾンビを見逃すとは思えない。それにその行為自体『作法』だけでは

説明がつかない」


「ふむぅ。じゃあ、『ユニーク』が何かしたってことですかねぇ?」


「『ユニーク』が何かをしたのは間違いない。だがこの階でそれらしい戦いの痕はなく、三階には明らかな激戦の痕がある。

彼らが『ユニーク』と遭遇したのは三階だ。そして撤退せざる負えなくなり、四階へと逃げた。下から上がってこないようエスカレーターを

破壊してまでな。ただそれでも『ユニーク』は上がってきた。だからシャッターを降ろし、鍵をかけた」


「ふむふむぅ。でもそれだと、他のシャッターは開けられないのでは?」


「この指は飛ばすことができ、刺さった人間を感染させることができる。

シャッターを挟んでいたとしても、指が刺さりさえすれば関係ない。

もしもこの指が人ではなく、ゾンビに刺さったらどうなるだろうか。人をゾンビにさせられるのなら、

ゾンビをよりゾンビらしくすることも可能なんじゃないか」


「ゾンビをよりゾンビらしくってことはぁ……『作法』を得るのと同じことになるんですかねぇ?

作法をゲットしたノーマルゾンビさんはシャッターを開けられるようになってぇ……? 

それでどんどんシャッターが開けられていくとぉ……でも、作法ってたくさんあるんですよね?」


「そうだ。俺もすべてを把握しているかと聞かれれば、自信はないな」


「わたしだったら急にシャッターを開けられるようになっても気づかないだろうなぁって、思うんですよね。

操られてるっていうなら話は別ですけど」


「ほう。知夏。それはとてもいい着眼点だ」


「ハイ?」


「この指がゾンビに刺さると、操ることが出来る。しかし人間は操ることが出来ない。そう考えればつじつまが合うし、

森崎さんが屋上まで帰って来れたことにも頷ける」


「でもさすがに、考えすぎな気がしますよ?」


「俺は変電所で三体の『ユニーク』を見た。そのうち一体は、ゾンビに隊列を組ませ統率していた。

指の数だけ操れるくらいは十分にあり得る」


「隊列を組ませるって……頭良すぎませんかそのゾンビ!? ……わたしだったらぜったい無理だなぁ」


知夏は自身がゾンビになり、運よく『ユニーク』になった姿を想像した。

なんとなく逃げ足だけは速そうな気がした。


エハルはポケットから黒いメモ帳と黒い万年筆を取り出した。

それを見た知夏もつられてノートと可愛いボールペンを取り出した。


「指を飛ばし、ゾンビに刺されば操ることができ、人に刺されば感染する。壁に突き刺さるほどの威力であることから有効射程は長く、

遠く離れたゾンビを狙えるくらいには精度もある。俺たちからすればどこに当たっても致命的だ。

万が一当たっても無事に済むよう、簡単な防具を用意した方がいいな。

シャッターを壊せるだけの力は無いと思っていいだろう。自身に力があるならとうに壊しているはずだ」


ふむふむと頷きながら必死にメモを取り続けた。その甲斐あってかユニークの全体像がつかめてきた気がする。

しかしなにかが足りない気がする。もっとこう、決定的な情報が……。


「特徴は十分掴めたな。最後に、このユニークの名前は『支配』と名付けておこう」


「しはい……! ちょっとカッコいい……!!」


まさしく求めていた名前という情報を知夏はノートにでかでかと書いた。おまけにグルグルと丸で囲んだ。


「次は装備だな。必要な装備は二つある」


防具はつくるといってたから、もう一つはきっと武器なのだろう。

爆発物だろうか。それともやっぱり、ゾンビ映画に出てくるような手作り感満載のカッコいい武器なんじゃないだろうか。

そう考えた知夏は、なんだかワクワクしてきた。


「一つは指が刺さっても貫通しない防具をつくる。三階に使えそうな材料も工具も

あるから、それは後で作るとして、まずはここで、もう一つの装備に使えそうなものが無いか探そう」


期待を胸に両手に握りこぶしをつくった。


「いったい、なにを作るんですか?」


「ゾンビの注意を引くための必須アイテム、デコイだ」


「デコイ……! デコイぃ……? デコイ……」


デコイというものが何かは知らなかったが、なんとなく武器ではなさそうな気配がして、

ちょっと残念な気持ちになった知夏であった。

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