第十話「壁が厚けりゃ薄くしろ」
--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 PM 0:34 丘口知夏 --
「ふぅ~~~~~、おなか、いっぱぁい」
アヒージョを欠片も残すことなく食べきった知夏は地べたに寝転がり、食後の休憩を満喫していた。
「エハルさぁん……戻ってこないなぁ」
エハルは手早く食事を済ませると、探し物があるから待っててくれといって、食べ続ける知夏を置いて何処かへ行ってしまった。
食べることに夢中となっていた知夏は二つ返事で了承したのだが、食べるものが無くなりやることがなくなっていた。
激しい運動、お腹いっぱいのご飯、そして退屈。自然な流れで彼女は睡魔と格闘することとなった。
「ねちゃダメ、ねちゃ、ん~~~、むにゃ、むにゃ……」
そして即座にKOされた知夏。寝た。
体が揺すられている。知夏は眠たげな様子で目を開けた。
「そろそろ起きろ」
「ハァイ? もう朝ですかぁ……?」
「まだ昼だ。食事の後にすぐ寝るのはやめておけ。体に悪いぞ」
「はワッ!? わたし、ひょっとして寝ちゃってましたか!?」
知夏は勢いよく体を起こした。
「ニ十分くらいだがな。それでもこんなところで寝られるとは、たいしたもんだ」
ぐうの音も出ない答えだった。近くにゾンビが見えないとはいえ、壁も何もない広々とした空間で寝るだなんて
あまりに危険極まりない行為だ。もし大きないびきでもかいていたなら、いつ死んだっておかしくない。
「はぃ~~、こんごはこのようなことがないよう、気をつけますぅ……」
シュンとした知夏は子犬のような目でエハルを見上げた。
エハルは脇に玩具のラジコンを抱え、手には知夏が使っていた槍が握られている。
刃先はきれいに磨かれており、持ち手は一新されていた。キッチンペーパーは取り外され、
代わりに布が巻かれている。
「それって、わたしが使ってた槍ですか? なんかカッコよくなってますねぇ!」
「持ち手を修理しておいた。刃先は頑丈だが、質が良いとはいえ放っておけば悪くなる。手入れは欠かすなよ」
「おお~、包丁もこんなきれいにぃ。ありがとうございます!」
知夏は槍を両手で受け取るとエハルから少し距離を取り、生き生きとした様子でクルクルと槍を回して決めポーズをした。
そしてどこか満足した様子で、エハルが持つラジコンを興味津々に見た。
「ところでぇ、そのラジコンは何に使うんですかぁ?」
「三階からは数が桁違いに多いはずだ。すべてを相手にしていてはキリがない。これを使って誘導する」
エハルはそういってその場に座り込みラジコンの箱を開けた。ポケットから電池を取り
出しはめ込んで、軽く走らせた。それからダクトテープと自身のスマホを取り出したと思うと、
ダクトテープでラジコンの前方にスマホを貼り付け始めた。
そしてラジコンを手にスマホを操作した。
「youtubeでエハルと検索してもらっていいか?」
「ハ、ハイッ」
知夏はスマホを取り出しパパっと検索すると、一つのライブ配信を見つけた。再生数はゼロ。たったいま配信されたものだ。
「これですかね?」
知夏はエハルに自分のスマホを見せた。
「そうそう、それだ。この配信画面を頼りにここからラジコンを動かす。大勢のゾンビを集めたら駐車場までおびき出し、
シャッターでまとめて締め出す。きっと相当な量が釣れるはずだ」
駐車場なんてあったんだ、と思った知夏はエレベータ―横にある階層表を見た。四階より上には無いが、三階から一階までは
駐車場があるようだ。確かに駐車場ほどの広さがあれば大量のゾンビを一箇所に集められるかもしれない。
「なるほどぉ~! それなら走り回らなくて済むし、安全で楽ちんですね! ん? でもまってください」
「どうした?」
「ラジコンって、分厚い壁があると電波が届かない気がしましてぇ。ここからだと三階まで動かせるのかなぁ、と」
「それは問題ない。壁が厚いなら、薄くすればいいんだ」
知夏はギクリとした反応をした。
「ま、まさか、拳で床に穴を空けるんですか……?」
「俺を何だと思ってるんだ。さすがにそこまではできない」
エハルは立ち上がってエレベーターの前に立つと、扉のわずかな隙間に両手の指をそえた。
「アハハ、ですよねぇ?」
金属が擦れる半ば悲鳴のような音を発しながら、エレベーターの扉が開いていく。
手を差し入れると、勢いよく扉を開け放った。
「ええ……」
「ほう、幸先がいい。エレベーターが三階にある。足場があるだけ楽に済むな」
「電気が使えるんですから、ボタンを押して普通に下りればいいじゃないですかぁ」
「自動ドアだからな。いざという時に閉まらなかったら困る。
ここに戻る際に向こう側から開けるのも手間だし、初めから開いていた方が便利だ」
便利も人それぞれなんだなぁ、と知夏は思っていると、
エハルはさも当然のようにエレベーターの真上へと降りた。
「知夏。ラジコンを取ってくれ」
「あ、ハイッ! ええとぉ、こちらになりますぅ~」
扉が急に閉まったりしないだろうかと気にしつつ、下を見ないように恐る恐る手を伸ばしてラジコンをエハルに渡した。
「うむ」
エハルはラジコンを受け取ると、エレベータ上にある非常用扉を開き、颯爽と中へ跳び降りた。
振動でエレベーターが上下に揺れる。壊れて落っこちたりしないのだろうか。知夏は心配そうに見守っていると、
エレベーターの中から大音量でロックな音楽が流れ始めた。加えて、エレベーター扉の開閉音が聞こえてくる。
少しすると、音量は気持ち小さくなった。
「よっ……と、これでよし」
エハルが非常扉に手をかけ、軽々と飛び上がってきた。
体についた埃を軽くはたきながら、知夏に呼びかけてくる。
「配信は映ってるか?」
「おっとぉ。そうでしたそうでしたぁ」
知夏がライブ配信を見ると、尋常じゃない数のゾンビが群がってきているのが映っている。
「あわわわわわ。め、めちゃくちゃいますよ!?」
「映ってるようだな。よし、では駐車場まで案内してくれ」
「ハイ!? わたしがですかぁ!? 場所分かりませんよ!?」
「俺も分からんが、どこも似たようなもんだろう。さあ、指示をくれ」
エハルはその場でしゃがみ、両手でラジコンのコントローラーを握っている。
エハルが電波が届く位置にいなければならない以上、画面を見せるには知夏がエレベーター
の上に降りるなり渡すなりする必要がある。
知夏は手が引っかかるところを握りしめ這いずるようにして下を見てみた。そして戦慄した。
四角く切り取られ窓一つない暗く深い空間の中に、ワイヤーのみで繋がれた四角い箱。
箱の上から中の明りが漏れているせいで、この空間がとても暗いということがいやでも分かる。
閉所、暗所、高所。それら三つの恐怖が詰め合われたこんな空間に足を踏み入れるなど
ぜったいに出来ない。
観念した知夏は目の前の配信画面に集中することにした。
「じゃ、じゃあ、いいますよぉ……? とりあえずまっすぐです!」
「うむ」
画面が前へと動き出した。工具とその材料となるものが陳列されているのが見える。
エレベーター横の階層表と合わせてをみるに、三階は『工具と材料』エリアだ。
ただエリアの詳細までは見てとれない。
「ここをひだりです! あっ! もうちょっとみぎに! はいストップ! ここで、ええと、とりあえずまっすぐです!」
「何秒後に曲がるだとか、前もって言ってくれると助かるんだが」
「そんな器用なことできないですよぉ!! あっ!駐車場の矢印ありましたよ!! ひだりです!!」
曲がった途端、ゴツンという音とともに画面が真っ暗闇になった。
「あら!? ぶつかっちゃったかもです!
さがってさがって~、ちょっとひだりに! そうそう! で!ずっとまっすぐです!!」
画面が元に戻り、ゾンビの足元を駆け抜けていく。
左手には先ほど見たものと同じ工具が映っている。
「とすると、エレベーターからでてすぐ左手に駐車場があるのか。だいたい二十メートルほどか、電波が届く範囲で良かった」
「なんですかぁ!? 遠回りだっていいたいんですかぁ!? しょうがないじゃないですか!! 知らないんですもん!!」
「そういう意味でいったわけでは……次の指示を頼む」
「もう! おっ、もうそろそろ着きますよぉ~~。この自動ドアをまっすぐ抜けてぇ」
ガンッ!とぶつかる音がした。駐車場はすぐ目の前だ。
「あれ? ぶつかっちゃった……エハルさん緊急事態です!! ドアが開きません!!」
「落ち着け。人感センサーに感知されなかったというだけだ。ゾンビを感知すれば開くから、少し待て」
「なぁるほどぉ。あ、開いたぁ。エハルさん! まっすぐです! そこからぁ……どのへんまで進めばいいですかね?」
「真ん中あたりで頼む。大体でいい」
「ハイッ! じゃあ、ここでストップです!……どれだけゾンビが集まったかだけ見たいのでぇ、Uターンってできます?」
「これでいいか?」
画面がクルリと旋回し、駐車場の中からデパート内を見る形となった。
幅五メートルほどの通路を埋め尽くすほどの群れが長蛇となって押し寄せてきている。
「うわぁ、すごい量。いったいぜんたい、何体いるんでしょう?」
「三百はいるな」
急に横から声が聞こえたのでそちらを見てみると、
エハルは真横で画面を覗いていた。
「うひゃわぁあ!!??」
知夏は大きく飛びのいた。
「もう!! ビックリさせないでくださいよぉ!」
「ん、すまない。そういえばジャンプスケアは特に苦手だったな」
ジャンプスケアとはホラー映画などでよくある、大きな音とともに何かが飛び出してくる演出のことだ。
「そうですよぉ。だからホラー映画はあんまり見ないんですからぁ」
「まあ、これでほとんどのゾンビを駐車場に追い出すことはできた。あとは下に降りて、締め出すだけだ」
知夏はこじ開けられたエレベーターの扉の奥を見た。
「あそこからは嫌ですよ?」
「そうだろうな。エスカレーターで降りるから安心しろ」
知夏は安心したようにホッと息をはいた。
「それならだいじょうぶです!」
そして何気なくスマホを見て、エハルの配信状況を確認した。
配信はもう滅茶苦茶な状態だった。ラジコンのタイヤが前に転がっていく様子を最後に
画面が上向きになると、それから何も映らなくなった。
「エハルさんの、スマホがぁ」
「気にするな。誰かと連絡するつもりもない。むしろ気が楽になったくらいだ」
スマホが壊れて気が楽になるなんて、わたしじゃ絶対無理だなぁ、と知夏は思った。
「そんなことよりもう行くとしよう。準備はいいか?」
知夏は慌てて準備を始めた。食べた後に片付けも何もせずに寝てしまっていたのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくださいねぇ~、えぇと、手袋つけて、ノートを入れてぇ」
知夏は空になったペットボトルを手に取った。
「エハルさん、これにお水を入れてきてもいいですか?」
「飲むためなら、止めておいたほうがいい。浄水場は機能していない可能性がある。感染の危険はないとは思うが、腹を壊したくはないだろう?」
「あっ、そっか。水道の仕事をする人がいなかったら、きれいな水は飲めないですもんねぇ」
知夏は首を傾げた。
「そういえばですけど、なんで電気はまだ使えるんでしょう? 電気だって管理が大変そうなのに」
「それについては俺が対処済みだ」
もう何度目かはわからないが、知夏は何を言っているのか分からずに、目をパチクリとさせた。
「ハイ? 対処済みって、どういうことです?」
「スカイツリーから緑色のガスが発生した後、俺は東京にあるすべての変電所を巡った。物資をそこで勤める者に届け、
ゾンビの侵入を阻むための備えをし、共に防衛もした」
さらっと当たり前のように言っているが、とんでもないことをいっているような気がする。
何をどうすればそんなことができるのか。知夏には想像もできなかった。
「電気は我々人間にとって、もはや不可欠なものだ。電子レンジが使えれば保存がきく食料にも困らないし、
自動ドアを割って出入りする必要もない。情報伝達も円滑に行えるし、電気がなければその場で命を落とす者だっている。
こんな風に料理ができたのも、電気があるおかげだ。冷蔵庫が機能していなければ既に腐っていただろうからな」
この人は本当にすごい人なのだと、知夏は強く感じた。
彼は都市崩壊の危機をすぐに察知し、頭を回し、行動を起こしていた。誰よりも早く大勢の人を救っていたのだ。
ゾンビによる危険が迫っているといって信じてくれる人などまずいないだろう。
知夏自身も初めに逃げ込んだデパートでその目に見るまで、まさかゾンビが現実に現れるとは思ってもみなかったのだから。
この人は初めからずっと、一人で戦い続けてきたのだ。ここまでよくしてもらってようやく戦えるようになった。
自分とは全然違う。
どうすればここまで強くなれるのだろう。そう考えると、知夏は胸が苦しくなった。いつの間にか、うつむいてしまった。
「ん? 大丈夫か? 気分でも悪いのか?」
その声で知夏はハッとした。ただでさえおんぶにだっこの状態だというのに。
これ以上気をつかわせたくなかった知夏は顔を上げて、元気よく言葉を返した。
「いいえ! いつか何も気にせずお水をがぶがぶ飲めるように、がんばらないとぉ! って思いまして!」
エハルは納得したように頷いた。
「そうだな。ただこれから先、休憩の予定はない。飲み水は確保しておいた方がいい」
エハルは顎に手を当てた。
「七階にはまだ残りがあるはずだが、この場で煮沸してもいい。どうする?」
知夏は残り少ない五百ミリペットボトルのお茶をポーチにしまった。
「それなんですけどぉ。駐車場までの通路に自販機が見えたので、そこで買おうかなと」
「そうか。ならいいんだが」
「……普通のお水、売ってるといいなぁ~」
彼女は炭酸飲料が苦手で、そもそも味がついている清涼飲料水をほとんど飲まない。
飲み物でカロリーは極力とらずに食べ物は好きに楽しむ、という乙女心な主義がある。
乙女心で覆い隠した本心を胸に秘めて、知夏は歩いた。
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