第八話「フィジカル・オブ・ザ・デッド」
--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 10:56 丘口知夏 --
「みなさんおつかれさまでしたぁ~。これにて配信をぉ、おわりまぁ~す」
知夏は配信が止まったことをしっかり確認すると、大きく息を吐いた。
それから大の字になって床に寝そべった。
「ハわぁ~~~! つ~か~れ~た~~!」
時間はもう十一時になろうとしている。配信だけでさえ疲れるというのに、その最中ずっと走り続け、
さらには数えきれないくらいのゾンビをこの槍で倒したのだ。
手も足も、なんならもう全身が悲鳴を上げている。明日はきっと筋肉痛で動けないだろう。
「ああ~~~、このままここでぐっすりスヤスヤといきたいですねぇ……」
「そんなに寝たいなら、戻るか?」
エハルが知夏を見下ろしながらいった。両手に大きな黒いダッフルバックとカピバラぬいぐるみのリュックサックを持っている。
ムム、といって、知夏は飛び起きた。
「もどりません!! あとすこしで四階なんですもん!! ここはがんばらないとぉ! です!」
「いい根性だ。四階へ行くにあたって、一ついい知らせがある」
「ハイ? なんでしょう」
「ついでに少し四階の様子を見てきたんだ。一通り見て回ったが、ゾンビはほとんどいなかった。
ここにいたゾンビの多くは四階から上がってきたのだろう。
三階へ続くエスカレータはシャッターが降りていたから、三階から上がってくることもない」
「なるほど! つまりは五階と一緒に、四階も制圧できてたってことですね!」
「そういうことだ。原田さんのためにも急がないとな。これを持っていけ」
エハルはそういって、カピバラのリュックサックを知夏に手渡した。
「おお! すごくかわいいですね! ありがとうございます!」
リュックサックを受け取りスマホを中に入れてさっそく背負おうとしたものの、ためらってしまった。
その理由は知夏の着ている服があまりに血だらけだったからだ。せっかくの可愛い頂き物なのだ。できれば汚したくはない。
そんなことを考えていると、とても恐ろしいことが頭に浮かんできた。
「こんなに血だらけだと、感染しちゃうんじゃ……?」
思ったことをそのままつぶやくと、血の気が引いていくような感覚がした。
「そこは安心していい。血液で感染はしない」
「え、そうなんですか? よかったぁ……でも、なんでそんなことまで分かるんですか?」
「経験したからな。大量の血液を浴びることは勿論、吐しゃ物をかけられたことだってある。
七日間戦い続けたが、それでも俺はゾンビになっていない」
「たしかに、エハルさんはそうなんでしょうけどぉ」
(それって、エハルさんだからなのでは……?)
この人ならゾンビウイルスなんて筋肉の力で吹き飛ばせそうだと、知夏は思った。
その気持ちが顔に出ていたのか、エハルは言葉を付け加えた。
「なにも俺だけじゃない。同じような経験をして生き残っている者は大勢見てきた。
どれだけ弱っていたとしても、ゾンビの唾液が身体の中に入りさえしなければ感染はしない。
これは絶対だと断言してもいい」
知夏の恐怖心が薄れていく。そこまで言われると納得するしかない。
でもそれはそれとして、カピバラさんを汚したくはない。
「まあ、とはいったものの、そのままでいるのは衛生面でよくはない。どちらにせよ、着替えるべきだな」
知夏は首を縦にブンブンと振った。
「そうだな、俺も着替えるとしよう。終わったらエスカレーター前に来てくれ」
「やったぁ! しょうち、いたしましたぁ!!」
元気よく返事をすると、一目散に婦人服コーナーへ走った。
着替えを終えた二人はエスカレーター前に立っていた。
知夏の服はオレンジ色の長袖のパーカーに、赤色をしたひざ丈ほどのスポーティなズボンへと変わっていた。
手袋もいい感じに指に穴が開いたものがあったので、新調した。しかし靴は変えず、磨いて汚れのみを落とした。
エハルはというと、本当に着替えたのか分からないほど、全く変わっていない。
黒いフルフェイスに黒い革ジャン、黒いシャツ、黒いジーパン、黒靴下に黒い靴。すべて黒一色のままだ。
よく見れば確かに汚れや血痕はかなり少ないので、着替えてはいるのだろう。
知夏は手に持っていたカピバラリュックを背負い、槍を両手で握った。
「よぉ~~し! 準備は万端ですね! さ!はやく行きましょうエハルさん!」
知夏はそういうとエハルの返事を待たずエスカレーターへ真っすぐ走った。到着するなり駆け降りていき、
四階『玩具と文房具、本と映像と音楽』エリアに足を踏み入れた。そしてすぐさま周りを見渡した。
エハルが言った通り、ゾンビはほとんどいなかった。見えるのは数体で、それもシャッターを挟んだ向こう側に閉じ込められている。
重厚な足音が降りエスカレーターから聞こえてくる。
「そう焦るな。まったく、体力があるのかないのかよく分からん奴だ」
知夏はエハルの方を向き、頭の後ろをかいて謝る動きをした。
「えへへ、すみません。もうすぐだって思うと、つい」
エハルは周りを見渡した後、知夏に問いかけてきた。
「……ところで今は配信していないが、もう怖くないのか?」
「ハイ?」
知夏は首を傾げた後、顔を強張らせ口をぽかんと開けた。
「たしかに!!!!????」
なんでだろう。今までのわたしなら一人で下へ降りるだなんて、考えただけで怖かったのに。
どうしちゃったんだろうわたし。あ、なんかこわくなってきた。
知夏は自身の心が分からなくなり、そのことに恐怖を覚えた。
「ちょ、ちょちょちょ~~~っと、考えますね!」
知夏は自身の胸に手をあててじっくりと考えてみた。
昔見たホラーな映画とゲームのワンシーンを思い出していく。
彼女は良いもの悪いものを問わず、過去に体験したことをそのときの新鮮な気持ちで思い出すことが出来るのだ。
「う~~~~~~~~~~~~~~ん、うん? うん、うん、こわいですねぇ! いや? ですけれども?」
「けれども?」
「ちょっっっとだけこわくなくなりました! です!!」
「そうか。一歩前進だな」
「ハイッ!」
エハルは一つ頷くと、再び周りを見渡した。今までよりも注意深く見渡している気がする。
先に一人で偵察もしていたようだし、何をそんなに警戒しているのだろう。
「このエリアに脅威は感じられない……とすると、下か」
「どうしたんですか? エハルさん」
「少し思うところがあってな。それは後できちんと説明する。今は知夏の用事を優先しよう」
知夏の用事とはつまり、屋上で感染した原田さんのための映画と小説探しだ。
「ありがとうございます! え~と、映画コーナーはどこかなぁ~? あっ! ありましたありましたよ!」
映画、本、音楽は一つのコーナーとしてまとめられていた。床は赤いじゅうたんが敷かれており、
百個は超えているだろう焦げ茶色の棚にはキッチリ隙間なく商品が並べられている。
『映画・本・音楽』と看板が掲げられたその入り口はシャッターで閉じられており、六体のゾンビがシャッターを叩いている。
「鍵がかかってないと楽なんだが、どうかな」
入り口の前まで来ると、エハルはシャッターに手を掛けると、シャッターはガラガラと音をたてて動いた。
「よかった、壊さずに済む。知夏、こいつらを倒してもらってもいいか?」
「ガッテンしょうちです!」
知夏は自慢の槍をシャッターの隙間に通して冷静に、六体のゾンビをプスリプスリと刺していった。
「かんりょーしました!」
エハルはどこか不思議そうな様子で、知夏を見ている。
「ハイ? どうしました? ハッ!? もしやまた背後にゾンビが!?」
勢いよく後ろを振り向き槍を構えるも、そこには何もいない。
「かけ声、しなくなったな」
知夏はエハルに向き直った。
「……たしかに!!」
「ゾンビへの恐怖心が薄まった証拠だ。出す音を減らせば減らすほど、ゾンビに気づかれるリスクは減る。
今のように静かに倒すことができるなら、知夏はもう、いっぱしのゾンビサバイバーだ」
「わたしが、ゾンビサバイバー……!!」
「そうだ。だから自信を持っていい。ゾンビのプロのお墨付きだ」
エハルはそういうと、シャッターを上げた。
「原田さんの好きな映画と本とやらを教えてくれないか? 俺も手伝おう」
「ハイッ!」
知夏はポーチにしまっていたノートを取り出した。
「え~っと、確かこのあたりに書いてましてですねぇ……あったあったありました、
映画は『スペード―マン』、『アルティメットグリーンマイン』、『ルリラランド』
小説は『下町キャノン砲』、『星の魔王様』、『容疑者Zの転職』……あっ、書いてないですけどたしか他にも――」
「わかったわかった。とりあえずその六つを探そう。ここは中古も取り扱っているようだし、
どれも名作だからきっとあるはずだ。俺は映画を探すから、知夏は小説を頼む。終わったらこっちに来てくれ」
「ハイッ! うけたまわりましたぁ!」
そうして二人は手分けして、映画と小説を探しはじめた。
--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 11:16 谷口貴樹 --
映画三つを見つけるのは容易だった。知夏はまだ探しているようなので、ついでに二本だけピックアップしておいた。
『強すぎた二人』と『エンディングノーツ』だ。原田さんの好みを知っていればよりベストなものを選べただろうが、どちらも心温まる最高の映画だ。
そういえば、屋上にDVDデッキとモニターは無かった気がする。普通は設置していないだろう。
ここまでやるからには最高の場所を用意してやりたい。であれば、屋上で移動することなく見れるようにするべきだ。
「モニターとDVDデッキはコーナー内から拝借するとして……延長コードも必要だな。
業務用コードが理想だが……複数の延長コードを繋げれば十分な長さにはなるか。よし。さっそく詰めていこう」
エハルは陳列された映画のパッケージを眺めながら、知夏を探しに行くかどうか悩んでいた。
作業を終えてから数分が経つ。知夏はまだ戻ってきていない。
「少しばかり不安だ……いや、今の彼女は十分戦えるはず。ここは信用するべきだ。
きっと、あれもこれもといった具合でバッグに本を詰め込んでいるのだろう……うむ。そちらの方が想像できるな」
自分を納得させながら視線を泳がせていると、
ふと、アクション映画特集と名がうたれた棚にある一本の映画がエハルの目に入った。
タイトルは『フィジカル・オブ・ザ・デッド』。映画に詳しい者ならタイトルを見るだけでゾンビ物だと分かる、よくある映画の一つだ。
だがその"よくある映画の一つ"は俺にとって、唯一無二の映画といっていい。これが無ければ今の俺はない。
懐かしい気持ちに浸っていると、せわしない足音が聞こえてきた。
「エ~ハ~ル~さ~ん! あっ!はっけんです!」
知夏が走って戻ってきた。
「いや~~、いろいろと目移りしちゃいましてぇ。いつの間にかこんなたくさんになっちゃいましたぁ~」
知夏はそういって、背負ったカピバラのリュックサックを見せびらかした。膨れ上がっていて、いかにも重そうだ。
「そんなことだろうとは思っていた」
内心ホッとしつつ、エハルは思い入れのある作品を知夏から隠すようにして立った。
「んん? もしかして、なにか隠してます??」
エハルはすぐに首を横に振った。
「いいや?」
「ホントですかぁ~~? ちょっと、うしろいいですかねぇ?」
こういう時、女性というのは妙に勘が鋭い。まぁ、そうはいっても、しょせん数えきれない作品の一つでしかない。
何も問題ないだろう。
「ただ映画のパッケージを見ていただけなんだがな」
知夏はエハルの背後にあるアクション映画特集の棚を覗きこんだ。
「こ! これは!? 『フィジカル・オブ・ザ・デッド』じゃないですかぁ!! すごい!
ファーストからセブンまで全部揃ってる!! わわわ! 初回限定版まで!?」
「……意外だな。こういう映画は、見ないと思っていた」
油断した、とエハルはこの場にいたことを後悔した。
『丘√チャンネル』でも映画の同時視聴は何度かやっていたが、ゾンビ映画を見ていた記憶はない。
知夏がこの映画のファンであることはエハルにとって想定外だった。
「たしかに怖い映画は苦手ですけど! これは例外です! なんたって、思い出の映画ですからね!」
「……思い出?」
この映画シリーズは確かに記録的大ヒットをした。だが心に残り続けるほどだろうか。感動できる映画なら他にいくらでもあるはずだ。
「大学で入ってたオカルトサークルのみんなと、わたしが初めて映画館で見た映画がこれの五作品目なんですよ。そこからハマっちゃいまして。
その日の内に沢山お菓子を買って大学に戻ってですね、泊まり込みでファーストから見直したんですよぉ~~!」
なるほど確かに、いい思い出である。しかし良くない考えがエハルを脳裏によぎった。
そのサークルの友人たちは今どうしているのだろう。それを考えると、心が沈むような感覚がした。
なんと答えればいいか、分からなくなった。
「思い出補正もあるかもですけど、ファイブのラストシーンがすごく好きなんです。主人公の晴樹が仲間を逃がすために、
一人で何千ものゾンビの群れと闘うんですけど、戦う直前に「俺は……俺は今、生きている」って一言だけいうんです!
それからの叫び声がもう! 演技とは思えないくらいに凄くてですね!
本当に全力で戦ってるっていうのがこう、なぜかビシビシと伝わってくるんですよ!!」
この熱の入ったファントークを聞くに、映画自体も本当に好きだということが伝わってくる。
アドリブである最後の台詞まで覚えているとは、恐れ入った。
感謝の気持ちを堪えて、エハルは答えた。
「そこまで気に入ってもらえたのなら、その主演俳優もきっと、喜ぶだろうな」
「その、それなんですけどぉ……」
嫌な予感がした。
「もしかしてエハルさんは、この俳優さん、『江口貴晴(えぐちたかはる)』さんなのかなって、
実はず~っと思ってましてぇ……どうでしょうか?」
知夏は期待と羨望のまなざしでエハルを見つめている。俺がフィジカル・オブ・ザ・デッドの主人公晴樹を演じていた、江口貴晴
であって欲しいと輝いた目が訴えてかけている。だが、その期待に俺は応えられない。俺はもう昔の俺ではない。変わってしまったんだ。
「……いや、期待を裏切って悪いが、違う。名前も性格も違うし、体つきもな。あそこまで筋骨隆々じゃない。
それに、声も違うだろ?」
エハルは事実のみを伝えた。少なくとも嘘は言っていない。
「そういわれるとたしかにぃ? う~ん、でもゾンビに詳しすぎるしなぁ」
「ゾンビのプロだからな。俳優ではない、というだけだ」
「ヘルメットを取って見せていただけるとぉ」
「人に見せられるような顔じゃなくてな」
「では今からわたしがいうセリフをいっていただくというのはぁ」
「演技は苦手でな。見てのとおり、不器用でね」
「ぐぬぬぬぬぬぅ……!!」
知夏は頭を抱え始めた。どうしても俺に対する疑念を取り払えないらしい。ここは無理にでも話題を変えておこう。
「そんなことより、早く屋上へ戻ったほうがいい。感染を遅らせる処置はしたが、それでも今日の夕方には発症する。
今はもう昼時だ。彼の残り時間は少ない」
「そそそそうだ!! こんなことしてる場合じゃないですね!! エハルさん、いそいで戻りましょう!!」
「槍は置いていけ。危ないからな。あと倒れているゾンビにも気をつけるように」
エハルはそういって、映画を見るための物一式が詰め込まれたバッグを床においた。
「ハイ? エハルさん、こないんですか?」
知夏は愕然とした顔をした。
「知夏の目的は四階まで行って戻ることだが、俺はそうじゃない。ここでまだ、やることがある」
「え……そしたらエハルさん、また一人で降りるじゃないですか!」
「そうだな。ただ安全確認に、下に降りる準備もする必要がある。……あと三十分は、この四階にとどまるだろうな」
知夏の頭に"!"マークが灯った。エハルの意図は伝わったようだ。
「三十分ですねぇ……よぅし!」
知夏はスマホを取り出して画面を一度見ると槍を棚に立てかけてリュックサックを下ろした。
エハルが置いた黒くて大きいダッフルバッグを背負い、膨らんだカピバラのリュックサックを両手に抱える。
重さにして二十キロはありそうだ。
「いってきます! です!」
知夏は力強く走り出した。颯爽と映画コーナーを出ていき、エスカレーターをかけあがっていく。
俺と違って彼女なら、人の心を癒すことができる。適任だ。
「さて。俺は俺のできることをするとしよう」
エハルは知夏の槍を手に取り、歩き出した。
思い描く理想的なゾンビのプロ。彼女をそう育て上げる使命を胸に、入念かつ壮大な計画が始まろうとしていた。
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