第六話「わたしにだって意地がある」
--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 10:07 谷口貴樹 --
「みなさ~ん! またお会いできてうれしいです! 本日二回目のぉ、『丘√チャンネル』で~す!」
声も動きもいつも通りのクオリティだ。周囲のいたる所にゾンビがいるというのに。
これは誰にでもできることではない。日々積み上げてきた経験がこれを可能にしているのだろう。
エハルは画面が揺れてしまわないよう気をつけながら、そっとエスカレーターから下りた。
スマホを撮影するにあたって、ジンバルという機器を使うことで手振れを抑えることが出来る。
それが無い場合、どれだけ気を付けたとしても画面はブレるものである。
しかしゾンビのプロであるエハルにその理屈は当てはまらない。
分厚い手足の筋肉とそれを支える頑丈な骨、そしてしなやかな体幹。
彼の筋肉と技術をもってすれば、スマホを構えた右手は絶対にブレることはないのだ。
「今回はなんと! いつも私の配信を見てくれてるリスナーさんが撮影してくれます!
しかもですね! その人はゾンビのプロ!なんですねぇ~~。なんというかその、
説明は難しいのでぇ、軽く自己紹介だけしていただいてもいいですか?」
そういって手のひらの先をエハルに向けている。
今の俺はただのカメラマンだ。そう振舞うべきだろう。
エハルは右手でスマホを構えたまま、端的に答えた。
「どうも。エハルといいます。ゾンビのプロです」
知夏はそれだけ? という顔をしたが、すぐに表情を切り替えた。
「エハルさんはですねぇ、とってもとおぉっても強力な、私の助っ人です!!
今回の企画をしてくれたのもエハルさんなのです!おっと!」
知夏は襲ってきたゾンビをサッとよけると、槍を一突きしてあっさりと仕留めた。
その動きに怯えている様子は微塵も見えない。配信によって恐怖が薄れるという考えはやはり正しかったようだ。
「さっそくお邪魔されちゃいましたが、今回の企画はまさにこれです!!
題して!! 『百貨店五階のゾンビを一掃してみた!!』です!! ちょくちょくエハル先生から
アドバイスをもらいながら、やっていきますよ~~!!」
知夏がいい終わると同時に、追加で現れた二体のゾンビを軽々と仕留めた。
槍を抜いてからバトンを回すようにして回転させると、カメラへ向けてポーズを取った。
ただ倒すだけではない。自身を見ている人間を意識できている。やはり、才能がある。
「しかもただ倒すだけじゃあ、ありません!! たった三十分で、ぜ~~んぶ!倒します!!
わたしは今日までゾンビと戦ったことなんてありません! そんなわたしが短時間で大量の
ゾンビさん達を一掃できるのでしょうか!? もしできたら高評価ボタンをポチっと!! おねがいしますよ~?」
背後からゾンビのうめき声が聞こえる。声からして数は三体だろう。
エハルは左手で知夏を指さした後、サムズアップして自身の後ろを差した。
知夏の頭に"!"マークが灯った。
「ハイッ!!」
こちらに走り込み、その勢いのままゾンビの頭を一突きすると、二体、三体と倒していく。
エハルはその一部始終を綺麗に画面に収めた。
「フッフッフ~、どんなもんです! さぁ! どんどんいきまっしょう!!」
(うむ。いい絵だ。コメントも良い反応をしている。この調子であれば、このまま任せて良さそうではあるが……)
エハルは周囲を見回した。近辺だけでも三十体以上のゾンビが二人に迫ってきている。
いかんせんゾンビの数が多い。ここで戦っていては数分と経たず取り囲まれるだろう。
「戦い方ぐらいは、教えるやるべきか」
エハルは近くにあったキャリーケースの取っ手を左手で握ると、雑に横へ振って後ろにいたゾンビ二体を吹き飛ばした。
画面はブレることなく、知夏を捉え続けている。
「ゾンビが大群とならないよう、移動しながら数を減らす必要がある」
エハルがゾンビを吹き飛ばして通れるようにした、服が陳列されている通路を指差した。
「その調子で、俺の指示通りに動いてくれ。まずはここを通る」
「しょ~ち、いたしました!!!」
かくして、五階『衣服と旅行用品』エリアのゾンビを一掃してみた!!の幕が上がった。
--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 10:12 丘口知夏 --
エハルさんの期待に応えたいし、原田さんさんのために早く降りたいし、森崎さんのかたきも取りたいし、
配信だってきっちりと終えたい!! 頑張りたいことが、たくさんあります!
知夏のやる気は最高潮に達していた。
二人は服が陳列された棚が並ぶ通路を小走りで進んでいる。
棚が途切れ十字路となっている正面には、二体のゾンビが呆けた様子で立っていた。
「屋内戦の基本は、各個撃破だ。群れからはぐれている奴から確実に倒していく。まずはあの二体からだ」
「ハイッ!」
一体は背後から、もう一体は横から槍で頭を貫く。すかさず視聴者に向けて笑顔でピースサインをする。
「棚一列分だけ右に曲がる。次はあの三体だ」
「ハイッ!!」
こちらへ向かってきている、進行方向から右に曲がった先にいたゾンビ三体を順々に処理していく。
「続いて壁まで真っすぐ移動する。目の前の二体を頼む」
「ハイッ!!!」
「端までついたな。右にいる二体を頼む。左の四体は俺がやっておこう。」
「ハイッ!!!!」
指示通りに二体のゾンビをサクサクっと倒して、知夏は後ろを振りむいた。
「エハルさん! 手伝いますよぉ! ってあれ!?」
エハルは既に四体のゾンビを倒し終え、こちらにスマホを構えていた。
左手には血みどろのハンガーが握られている。どうやってハンガーでゾンビを四体も倒したのだろう。想像もつかない。
エハルがハンガーですぐわきの壁を小突いた。
「あとはシンプルだ。ひたすらこの壁伝いに真っすぐ進む。ただし試着室には近づくな。『作法』持ちがいるからな」
「それと、俺の心配はするな。好きに暴れていいから、自分のことに集中するんだ」
「は、ハイぃ……」
何だか怒られたような口ぶりに知夏は少しシュンとした。
エハルはそんな知夏をジッと見ている。
そして一拍あけてから、左手をゆっくりと知夏に向けて二回指差しをした。
「ハイ? それはなんの合図ですかぁ……?」
知夏の背中に、指のようなものが当たった。
「ってうわぁ!?」
知夏はとっさに身をひるがえした。
真後ろに音もなく迫ってきていたゾンビを素早く捉えて槍を構え、頭を貫く。
「あ、あぶなかったぁ~~! ちょっとエハルさぁん、教えてくれたっていいじゃないですかぁ~」
「常に移動し続けながら倒す。これが重要だ。俺たちが一箇所に留まる時間が長いほど、奴らも一箇所に集まってくる
からな。こうして壁伝いに周りながら倒していけば、群れと戦うリスクは大きく減る。背後から奇襲されるリスクもな」
気のせいだろうか。何となく、いつもより冷たい感じがする。今の説明もどこかトゲがあったような気がした。
「な、なるほどぉ~~! 勉強になりますね!! みなさんも気をつけましょう!!」
知夏は元気よく返事をしたが、内心、もっと早く教えてくれてもいいよねぇ~~? エハルさんの意地悪ぅ!! と心の中で毒づいた。
「壁につきあたったら右に曲がれ。それまではひたすら真っすぐだ。邪魔するやつらは、すべて倒すように」
モヤっとした気持ちは表には出さず、知夏は元気よく敬礼してみせた。
「りょうかいでぇ!あります!!」
知夏は振り返って次の獲物を見つけると、悪戯を思いついた子供のように、ニヤリと笑った。
(好きに暴れてくれっていってたし……ちょっと意地悪もされたしぃ? ここは一つ、
私の長所でエハルさんをぎゃふんといわせちゃおうかな~~??)
顔をエハルへ向けて知夏は言った。
「エハルさん! かるく走りながらでも、いいですか?」
「構わないぞ。配信に支障なくついていくからな」
「ありがとうございます!」
そのままの体制で知夏はお辞儀のような動きをした。そして改めて前を向いた。
「ではぁ、いきますよぉ~~?」
知夏は唐突に、全速力で走り出した。あっという間に二十メートル先のゾンビの前へ辿り着き、ゾンビの鼻を貫く。
素早く体をグルンと回転させてその勢いで槍をズバッと引き抜き、再びトップスピードで走っていく。
彼女が配信の次に自信があること。それは、走ることだった。
中学と高校はずっと陸上部で、都大会で結果を出したこともある。社会人となってからも毎朝五時に起きシャトルランとランニングは続けていた。
「わたしの走り、とくとご覧あれぇ~い!!」
全速力でゾンビへと突撃しては、また突撃していく。知夏は五体のゾンビを貫いた後、突き当りの壁にタッチした。
百メートルは走っただろうか。あまり離れすぎてもそれはそれで困るので、いったん立ち止まることにした。
「ふぅ~~~~。どうしますぅ、エハルさぁん? ペースを落としてあげても、いいですよぉ……!?」
エハルはすでに、知夏のすぐ後ろで平然とスマホを構えていた。驚いている様子も、息を切らしている様子すらもない。
そもそもヘルメットをしているので、どんな表情かは分からないのだが。
「な……なんですとぉおお!?」
「足に自信があるとは聞いていたが、なかなかじゃないか? 歳の割には」
"歳の割には"という単語が、知夏の脳内で大きく反響した。
「としの、わりにはぁ……?」
二十六歳は若くない。そういうことだろうか。
いや待てよ。"歳の割に足が速い"というのは、足が遅いという意味なのではないでしょうか。
つまりはあれですか? 自信がある割には足が遅いね、と。でももう、いい歳だからしょうがないか、だと。
そういうことをいってますよね????
自慢の足の速さを小馬鹿にしたような言い回しをきっかけとして、知夏の心は噴火した。
先ほどのちょっとしたエハル意地悪から積みあがっていた微かな苛立ちが心の火炎をより燃え上がらせる。
この黒づくめファッションの筋肉男は、私をバカにしてる。きっとそうに違いない。いや! 絶対にそうだ!!
「ムムムムムムムム」といいながら、知夏は頬を膨らました。
配信すら忘れるほどの熱い気持ちが湧き上がった。
しかしエハルが手に持っているスマホを見て、ほんの少しだけ熱を抑えた。
知夏はフッと笑った。
「負けられない戦いが、できてしまったようですねぇ」
知夏はそういうなり、準備体操を始めた。
アキレス腱を丁寧に伸ばしながら、穏やかな表情でエハルに語りかける。
「エハルさぁん。わたし、ちょおっとだけムキになっちゃいますよぉ……? ついてこれますかねぇ……?」
「もちろんだ。好きなだけムキになるといい。そのほうがいい絵も取れる」
ゾンビのプロだかなんだか知らないけど、強いからといって、凄いからといって、
人を馬鹿にして良いわけない!! 私にだって、プライドがある!!
知夏はしゃがんで靴紐をぎゅっと結び直し、クラウチングスタートのポーズを取った。
槍は右手の三つ指に挟んでいる。そして静かに腰を上げた。
「そうですかそうですかぁ……でもそれは!! エハルさんがついてこれればの話ですけどねぇ!!!!」
知夏は自身でも驚くほど速いスタートダッシュを決め、その勢いをさらに伸ばして疾走した。
二十メートル先にいたはずのゾンビはもう目の前だ。知夏は槍を持つ手の位置を大きく下げるとゾンビの鼻に槍を突き立て、力強く思い切り貫いた。
槍は大きく貫通し、持ち手の半分が後頭部から飛び出している。
そして知夏は前へ跳んだ。貫かれた先にある持ち手を握りしめ、跳んだ勢いで槍を前に引き抜いていく。
着地した知夏は再び走りだした。次のゾンビに備えて引き抜いた槍を持ち直しつつ、通路を駆ける。
どうだ! これなら追いつけまい! 知夏はほくそ笑んだ。
よくよく考えてみれば、先ほどはゾンビを倒す度に立ち止まってはいたのだから、追い付かれるのも納得できる。
でもこの方法ならタイムロスはほとんどない。あとは純粋な足の速さ勝負になる。
そして当然! この全力全開の走りを、向こうの壁までやり切る!
黄色い団子髪が百貨店の隅をゾンビの頭を縫って駆け抜けていく。二百メートルはあろうエリアの端から端までの距離を走り切ると、
知夏は壁をタッチして直角に曲がり、全速力で再び走り出した。
「ちょおっと大人げないかもですけどぉ、わるく思わないでくださいねぇ!!!!」
知夏の勢いは鋭さを増していく。ゾンビまでの足の踏み込みが、槍の扱いかたが、ゾンビを倒す度に最適化されていく。
無駄な動作がそぎ落とされていくたびに、知夏の速さが上がっていく。
ついには倒すべきゾンビの順番が、一本のジグザグとした線で見えるようにまでなっていく。
貫いて、跳んで、走る。貫いて、走る。走る。端へ到着しては壁に触れ、また走りだす。
知夏の意識は半ばスポーツ選手が体感するといわれる、ゾーンへと突入していた。
壁に触れて、走る。壁に触れて――。
「まいった! 降参だ! だから少し、待ってはくれないか?」
知夏はハッとして急ブレーキをかけ、立ち止まった。そして振り返った。
エハルは少し遅れて知夏の元へと追い付くと、背中を丸めて左手を膝においた。
右手に持ったスマホは前に構えたまま息を切らし、肩で呼吸している。
(すごい疲れてそう……うう、怒られるよねぇ、さすがにぃ)
知夏は怒られることを覚悟して、エハルの言葉を待った。
「まさか槍を、前に抜くとはな。いい、発想だ」
知夏は目をパチクリとさせた。
怒られないだけでなく、トゲのある発言もない。むしろ喜ばれている、そう感じる言葉だった。
「それにしても俺が、フィジカルで負けるとはな……ふぅ、予想、以上だ」
全身から汗がふきでてくるのを感じる。室内は空調が効いているとはいえ、暑い。
普段から走り込みをしていて身軽な服装をした知夏でさえ、そうなのだ。
ヘルメットをつけ分厚いジャケットに厚地のジーンズを着ているエハルはもっと汗をかいているだろう。
それに靴だって重そうだ。自身は履きなれた運動靴だというのに。
「これだけ速く動き続けたんだ。奴らもどこへ行けばいいか分からず、混乱しているだろう……。
だから一分だけ、休ませてくれ。呼吸を整える」
「あ、あの~~、エハルさん」
「どうした?」
「私、ちょっと頭に血が上っちゃってました……すみません」
「いいんだ。先に焚きつけたのは俺だからな。それに、気持ちが定まった」
「ハイ? 気持ちが定まるとは??」
「なんでもない。少ししたら、また走りながら数を減らしていくぞ。ペースは落として、な」
「ハイッ! あっでも」
知夏は忘れかけていたことを思い出し、満面の笑みを浮かべて言った。
「残り時間がありますからぁ、できればちょい早でいきたいです! みなさんも、そのほうが嬉しいですよね!」
「そうだな。時間内にやらないと、配信に支障がでてしまう」
エハルはなぜか嬉しそうな声で答えた。
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