第五話「恐怖をもみ消せ長所を活かせ」
--2027年5月11日 ゾンビパンデミックから7日目 AM 9:43 谷口貴樹 --
六階『家具と生活雑貨』に潜んでいたゾンビをすべて倒しきった二人は、昇りエスカレーターの前にいた。
「てぃ! やぁ! ん~~、よいしょお!」
「もう少し、静かにできないか?」
エスカレーターが稼働していることを考慮してのことだろうか、辺りを囲うようにして家具を積み重ねたバリケードが張られている。
おかげで五階から上がってきたゾンビはせき止められ、六体のゾンビが行き場を失いさまよっていた。
今のところ危険はないが、数が増えれば後々面倒なことになる。そこで知夏が家具の隙間から、一体ずつ槍で倒すことになった。
......そこまでは良かったのだが。
知夏の元気が良すぎるかけ声を聞きつけたゾンビが次から次へと、文字通りエスカレーター式に五階から運ばれてきているのだった。
「こうして気合を入れないとぉ! 怖くてできま、せん!」
「これでもまだ怖いのか……」
このバリケードは家具を積み上げるだけではなく、ロープで家具同士を縛りさらに建物の柱に繋がれたワイヤーでその場に固定された、中々に堅牢なものだ。
仮に二十体ほどが群がったとしても崩れることはないだろう。
知夏にそのことを伝えはしたのだが、彼女の恐怖心が消えることはなかった。
彼女の恐怖の対象はあまりにも多い。高いところ、狭いところ、暗いところといった定番はすべて怖がる。音にも敏感だ。些細な物音一つ
で身体を強張らせ、ゾンビを見れば声を出して驚く。何も無い時は一人でたられば話を始め、怪談のような妄想に発展させて自ら怖がりはじめる始末だ。
この恐怖症の塊のような女性にこの過酷な世界で生き残れるようなタフさを与えるというのが、彼が自身に課した課題でもあった。
(せめてゾンビに対してだけでも、恐怖心を無くすことができればな)
恐怖に打ち勝つ秘訣があるとすれば、まずは恐怖に慣れることだ。そのためにはリスクを管理しつつ、数をこなすしかない。
討伐数は十体を超えた。充分に数はこなしている。だが彼女は未だに恐怖心を拭えずにいる。
これから先は激戦となる。これだけゾンビが上がってきているのだからそれは明白だ。いちいち怖がっている余裕などない。
より大きい音で誘導してこのまま待ち着実に数を減らす、という作戦は時間がかかりすぎし、それでは原因を先延ばしにするだけだ。
(慣れることが難しいとなると、勇気を振り絞ってもらうしか思いつかないのだが……それが出来ればこうはならないよな)
「ううむ。どうしたものか」
エスカレーターによって運ばれてくるゾンビを眺めながらエハルは悩んでいた。
エハルは自身の黒いジーンズのポケットから、しわだらけのメモ用紙と"変色した一本の指"を取り出した。
これらは森崎さんの遺体から見つけたものだ。
メモには「四階に行くな」とだけ書かれている。指は背中に刺さっていた。おそらくゾンビの指だ。
爪は鋭く尖り、抜けにくいような返しまで付いている。
先端にヤツメウナギのような小さな口があり、歯がある。つまり指が一度刺さればこの小さい不気味な口で噛まれ、感染するだろう。
今までは森崎さん一行のおかげで楽に進めてはいるが、このような有利な状況は階下にはもうないだろう。
これだけゾンビが上がってきているということは、これより下の階は制圧できていないことを示している。
しかし「四階に行くな」と書かれた理由が単に制圧できていないからだとは思えない。
この指をもつ"より凶悪なゾンビ"がこの百貨店の何処かにいる。
森崎さん一行はそのゾンビにやられたのだと、エハルは確信していた。
五階でもまともに戦えないようなら、知夏を四階へ進ませる訳にはいかない。
もし"凶悪なゾンビ"が四階にいて、さらに大量のゾンビまでいるのなら、知夏が自身を守れるようになる必要がある。
「みんなのかたきをどんどん討っちゃいますよ~~!これはぁ、森崎さんの分!原田さんはまだ生きてますからぁ、これも森崎さんの分!
ええい!これも森崎さんの分だ!!」
「ん?」
エハルは知夏の討伐ペースが段々早くなってきていることに気がついた。
こころなしか、槍さばきも良くなっている気がする。
そういえば六階でも、後半になるにつれて段々と調子づいていたような……?
「そうか……! わかったぞ……!!」
名案を思い付いたエハルは、知夏の隣に立った。
「知夏。やりながらでいいから聞いてくれ」
「それってぇ、槍で"やり"ながらってことですか~?うふふ。エハルさん、ウマいですねぇ~~」
やや調子に乗りすぎている感は否めないが、このコンディションがあれば恐怖を乗り越えられるはずだ。多分な。
「これが終わって少し休んだら、知夏にやって欲しいことがある」
「ハイッ! 何でもござれ! です!」
「うむ、すまないな。では下の階についたら、配信を始めろ」
「ハィッ! ん? ハイ!?」
知夏は手を止めて、エハルに顔を向けた。
「でも手で持ったら片手が塞がっちゃいますし、それに映像がブレるし、置いてたらそれはそれでいい絵が取れませんよ?」
そこを気にするのか。どうやら配信すること自体は嫌ではないらしい。知夏が気にしているのは、動画の質だ。
エハルはこの知夏の回答に手ごたえを感じた。
知夏の『丘√チャンネル』ではホラーゲームの実況をしたことが何回かあることを、古参リスナーであるエハルは知っていた。
彼女はありとあらゆるシーンで怖がりはしていたものの、見事にすべて完走している。
それだけではない。配信外で見れなかったというホラー映画も、本格的なお化け屋敷ですらも配信上でなら完走している。
つまり彼女は、たとえどんなに怖くても配信のためなら耐えられるという特殊な精神構造なのだ。
その我慢強さこそが、彼女の調子が上がるまでの心の支えとなる。
調子が上がりさえすれば本来のポテンシャルで戦うことができる。
そう、彼女の恐怖を克服する鍵は、配信活動だったのだ!
「スマホは俺が持とう。質は保証する。こう見えて、撮影には自信があるんだ」
エハルは自信満々に言った。撮影の経験はもう十六年も昔の話で、スマホでの撮影経験は一度もない、という事実は伏せておいた。
知夏は驚いた表情をした。
「なんですと!? それは心強い!! ぜひやりましょう!! 設定とかはわたしがすぐ終わらせますので!!」
「いい返事だ、決まりだな」
「ヤッタァー!! よぅし、そうと決まれば!! わたくし丘√はもぉっと、頑張っちゃいますよぉ~~!!」
知夏は槍をカッコつけて構えると、連続で二体のゾンビの頭を貫いた。
これは期待できる。この調子であれば、バリケードが無くとも戦えるだろう。
それからものの数分で、知夏は上がってきたゾンビを一掃した。
数にして二十三体。下から上がって来るゾンビは見えない。
「よし、そろそろ行くとしよう。設定を終えたらスマホを渡してくれ」
「ハイッ!」
知夏は目にもとまらぬ速さで指を動かすと、スマホを手渡してきた。
「終わりましたぁ!」
「む。流石に早いな。では降りるとしよう」
エハルを先頭にして、二人は降りエスカレーターに乗った。
「あの~、エハルさん。わたしもひとつ、お願いしたいことがあるんですけどぉ」
「撮影についてか?」
知夏はコクコクと首を縦に振った。
「闘いながら教えてもらうって方法で撮って欲しいんです」
それはいささか難しい注文であった。
知夏を画面に収めながら状況に合わせて指示を出し、その上で動画の質を一定以上にすることが求められている。
場合によってはエハル自身も闘う必要があるだろうし、個人的な思いとして、その最中に画面が大きくブレることなどあってはならない。
エハルは知夏を見た。
「その仕事、引き受けよう」
難しくはあるがこの程度をこなせないようではゾンビのプロとはいえない。
それに配信のためだとはいえ、知夏の前向きな発言を無下にしたくなかった。
「ただし、その分だけ知夏に求めることは増える。下を見てみろ」
エスカレーターの中央まで来たことで五階『衣服と旅行用品』エリア全体が見え始めた。やや上から見下ろした景色のそこら中でゾンビが蠢いている。
ここから見えるだけで三十体はいる。見えてない数も考慮すれば、百体はいるだろう。
「これを見ても、やれるか?」
知夏は一瞬怯えた表情をしたが、すぐに決心をした良い表情へと変わった。手に持った槍を強く握りしめている。
「やれます……!!」
「うむ。制限時間は三十分とする。それまでに一掃できなければ配信を切る」
「ハイ!? たった三十分で、この量のゾンビを……!?」
無茶な注文をしていることはエハルも分かっていた。急いでこのエリアのゾンビを倒す必要などない。
エハルが時間制限を設けた理由は、知夏がどれだけ戦えるかを見極めるためだった。三十分と時間を区切り結果を出すよう促されれば、
集中して全力で取り組むはずだと彼は考えた。これはいわば、知夏が四階へ進めるか否かを決断するためのテストなのだ。
「やれると言った以上はやってもらうぞ」
エハルは右手に持ったスマホを構えた。そして左手を開いて、肩の高さまで上げた。
「五秒前だ」
エハルはエスカレーターをちょうど降りきるであろう五秒前に、撮影開始のカウントダウンを伝えた。
「え!? ちょっ、心の準備がまだ……!?」
あえて耳を貸さずに、きっかり一秒後に親指を曲げた。
指導者たるもの、心を鬼にせねばならないこともあるのだ。
「四秒前」
続いて小指を曲げる。
「うううう! もぉう!」
知夏は素早くエハルの脇を通り抜け、エスカレーターから飛び降りた。
その様子を見たエハルは頷きつつ、カウントを続けた。
「三秒前」
薬指を曲げる。
後の秒数は指のみで数える。撮影の基本だ。
中指を曲げる。
クルリと振り向いた知夏は真剣な顔でこちらを見ている。
先ほどとはまるで別人だ。心なしか怒っているようにも見えるが、だとしても問題はない。
演技というものは負の感情すらも力に変えることができる。むしろ良いことだ。
きっちり一秒待ち、残った人差し指をボールを投げるようにして知夏へと向けた。
さあ、アクション開始だ。
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