魔王討伐は予定調和でなければならない

うみしとり

プロローグ - ミッションを説明する

 浮遊大陸エンゲロン。

 テラのユーラシア二個分はある広大な大陸には極圏に位置する極寒の北部から赤道直下の南部まで様々な動植物が闊歩し、それぞれの地域に根差した多様な人々が生活を営む平和な大陸……だった。

 しかしこの大陸が位置する惑星系は破壊的エーテルの影響を受けており……って聞いているのかライラ!


 ライラ、と呼ばれた生命体はその白髪を広げたモップの様に空中に漂わせながら惑星間XYXYやおい同人学会が発行した公式雑誌をめくりながら軌道船ユーイックの会議室を漂っていた。


「聞いてるよ……君の声はいつもどおりはっきりと聞こえる……もうそこは資料で見たからとばして」

「教えてくれ。そのしみったれたエロ同人のどこにテンタクル惑星系の重力圏に関する話が出てくる」

「予習したんだよ……今回のインシデントの内容は全部頭に入ってる。君に説明してもらうまでもない。てかエロじゃなくて耽美だとあれほど言ったじゃないか」


 会議室の壇上で大きくため息をついたのは、ライラの上長にあたるメープル・オリジナル。一応そのちっちゃな体で軌道船ユーイックの艦長と代行者プロキシたちの取りまとめを行っている。つまりやんちゃな代行者たちが惑星上で何かをやらかすたびに始末書を書く可哀想な係だということだ。


 ライラは同人誌の一ページを見つめながらポテトチップスを継続的に口に運ぶ。


「メープルさ、とっとと私を降ろしてよ。それで全部解決するから」

「いいか、この作戦には惑星の民の今後千年以上の暮らしがかかってるんだ。もう少し責任感ってやつをな」

「それだよ、私が気になってるのは……」


 ライラは同人誌から少し顔を上げてまっすぐメープルの金色の目を見つめる。


「魔王だかなんだか知らないけど、どうして辺境の惑星にわざわざ介入するのさ。タスクの重要度的にもっとPUC惑星間連合議会が対処すべき事案あるでしょうに。ほらツナ星系のマグロサーモン紛争とか……」

「『商会』からの要請らしい。良質なメタルの産地だから10世紀もすれば惑星系の経済圏に大きく影響するってことだ。魔王によって人類圏が滅ぼされると困る」

「それだけで動くほどPUCはビジネスに寄ってないでしょ。もっと高尚な理由が必要なんじゃないの予算と指令が降りるには……」

「ひとたび魔王が君臨すれば人々は迫害と暴力、それから抑圧に苦しむことになる……」

「それだけ?」


 ライラのTシャツがふわりとめくれる。彼女は顔をしかめてだぼだぼのズボンに裾を突っ込んだ。

 宙に浮かんだ白髪寝ぐせ頭の代行者とスターポテトチップの残骸、それらを目で追いながらメープルは頭に手を当てため息を漏らす。


「ライラ、我々の存在意義はなんだ」

「毎日楽しくのんびりと」

「…………お前」

「冗談だってキレないで。えっと全ての民に自由と尊厳を。それから皆仲良くできるようにする……あとなんだっけ、できるだけそっとしておく……」

「たとえ辺境の惑星においても、そこに人類がいる限り、彼らの自由と尊厳は守護されるべきだということだ」

「……彼らが滅びを望んでいたのだとしても?」

「どういう意味だ」

「いやおせっかいかなって。救われる意思のない世界に、我々は手を差し伸べるべきなのか……」


 ライラは窓の外の遠い銀河をぼんやり眺めながら口の中にチップスを放り込む。

 メープルは眉を寄せて彼女をじっと見つめた。


「それを決めるのは議会だ。エンゲロン大陸での活動はすでに指示されている」

「わかってるって。で、魔王を倒して帰ってくればいいの?」

「そうだ」

「てか魔王って何? 資料によく書いてなかったんだけど」

「不明だ……観測室の予測では破壊的エーテルの集合じゃないかとされている。人類圏に影響をもたらすほど破壊的だが、我々で対処できないほどのものではない。彼らの伝承としてその存在が示唆されていて、その予定された誕生が差し迫っている。実際に異常なエーテルの流れが大陸の特定領域に観測されているから、その伝承はおそらく…………」

「オーケー。よくわかんないけどいつも通りそれっぽいのが出てきたら倒してくればいいんだね」

「ああ。我々は事前に『勇者』のミームを流布した。君はその勇者として地上で活動することになる。精々カッコよく世界を救ってきてくれ」

「一つ言いたいことがあるんだけど」

「何だ?」


 資料映像を指差しながらライラは頬を膨らませる。

 指の先には剣を携えた20代のイケメンがキメ顔でカメラに向かってウインクしている。


「なんで私の向こうの身体、XYになってるのさ。見ての通り存在がXXに近いからすごくやりにくいのだけれど、今からでも作り直してくれない?」

「無理だ。一つにミームによる制限、二つ目はお前を現地と同期させる時の星辰的に男の方がやりやすかった。三つ目は……実はこれが一番大きな理由なんだが、その方が面白そうだから」

「ねぇメープル。いや艦長様……何か言いたいことがあるならはっきり言った方がいいよ? 私で良かったら話聞くよ? ほらチップスもあげる……だからさ、考えなおそ? 大事な作戦なんでしょ? 面白さってそんなに必要かな?」


 差し出された脂質と糖質の塊をメープルは手で跳ねのけて満面の笑顔になる。


「いや特にないよ! こんなに優秀な代行者は他に居ないからね……私は上長として凄く幸せだ……始末書を書く手が止まらないくらいに……そうだライラ、せっかくだから例の『耽美』とやらを地上で実践してきたらどうだ? 好きなんだろ?」

「あれは傍から見てるのが楽しいのであって自分はちょっと」


 無機質なシステムコールがスピーカーから流れる。


「エンゲロン大陸との位相差10ミリット……作戦開始十分前です。代行者は降下室に来てください」


 メープルはライラにウインクする。


「時間だ。じゃあ頑張れよ代行者。世界を救ってこい」

「このクソ上長……お前の休日を始末書で埋め尽くしてやる」

「何か言ったか?」

「何も! 行ってきます!」


 背中を向けて会議室を後にするライラにメープルが声をかける。


「……気をつけてなライラ。お前の言った通りこの件は少しきな臭い。だが地上の民の生命が重要なのもまた事実なんだ……手をこまねいて見ている訳にはいかない」


 ライラは振り返る。衛星で太陽光が遮られて一瞬影が落ちる。

 その目が光を失った冷ややかさでじっとメープルを捉えた。


「ほどほどに頑張りますよ。どうせ皆いなくなるんだから……」



 去って行ったライラの後ろ姿をぼんやり見つめながら、メープルはどさりと椅子に腰かける。他に人がいなくなった会議室でポテトチップスの容器が宙にゆったりと舞っている。

 資料をばさり、とデスクに投げ出して彼女は無機質なチェアにもたれ掛かる。


「結局、僕も君を救うことができていないんだな……」


 資料の上のグレーかかった顔写真に写るライラの表情は閉ざされた氷のように無表情だ。彼女の出身星、その星の唯一残された名残が経歴書の一番上に寂しげに記載されている。


「あるいは君の言う通り、それはおせっかいなのかもしれないね……」


 メープルの見上げる夜空に、その星の名前はもうない。

 苦虫を噛み潰したような顔で、残酷なほど暗い夜空を彼女は見つめていた。

 位相を合わせるために軌道船がゆっくりと回転し、大きな丸型の窓の先に惑星の青々とした海洋空が浮かび上がる。その中央には緑と土色の巨大な浮遊大陸が座していた。


 惑星の反射光に照らされて会議室が深海の様な青に染まる。


「もしかしたら――新しい出会いが君を変えてくれたりするのかもしれない」


 ブリッチのオペレータから矢継ぎ早に通信が入る。


「惑星圏との同期完了、位相誤差なし、代行者バイタルグリーン。いつでも行けます……」

「作戦実行。幸運を」


 ふわりと一瞬、代行者が転送されたことを示す光が柔らかく宇宙空間に放たれた。

 それを満足げに見つめてメープルは手をデスクの上で組む。


「往け若者よ。新たな冒険が、君を変えてくれんことを……気をつけて」


 彼女の組まれた手は仲間を送り出すたびに震えている。

 でもそんなことは誰も知らない。当の彼女でさえ見ないふりをしている。

 メープルはうーんと伸びをして立ち上がる。


「さて、奴が何かやらかす前に……コーヒーでも入れようかな」


 人間工学的に設計された未来的なマシンのスイッチを押せばポットから抽出された焦げ茶色の液体がなみなみとコップにたまる。それを口に運びながら眼下の巨大な惑星をメープルは眺めやって呟く。


「魔王討伐は予定調和でなくてはならない」



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