搬送

壱原 一

 

今のアパートに住み始めて、6年以上になる。


入居当初から、平均して月に1度ほど、夜中、近所に、救急車が来る。


短期間に連続したり、半年以上空いたりする。


物見高く覗きはしないので、聞こえる音からの推測だが、いつも、斜め向かいの、単身者用アパートに、到着しているように思う。


まさかこれほど頻繁に、一つのアパートの人々が、別で傷病に臥す事はなかろう。


きっと、持病のある人や、はたまた時おり聞くような、心に欠乏を抱える人が、1人、繰り返し、救急車を、夜中に呼んでいるに違いない。


夜中に呼ばれた救急車は、わんわんとサイレンを鳴らし、閉めたカーテンの隙間から、赤い回転灯を閃かせて停まる。


サイレンが切れた途端、水を打ったような静寂が戻る中、機敏に、がらぁとドアが開き、恐らく斜め向かいのアパートへ向かう。


しばし無音の時が流れて、再び、がらぁとドアが閉まり、ひっそり帰っていった後は、何事もなく夜が過ぎる。


帰りにサイレンは鳴らない。


今のアパートに住み始めて、6年以上になるが、夜中に呼ばれた救急車が、帰りにサイレンを鳴らした事は、知る限り一度もない。


緊急の状態でなければ、そのように帰ると聞くし、万一、亡くなっていたら、警察が呼ばれるとも聞く。


つまり、これまで急を要する大事はなかったと言うことで、夜中に救急車が来る度、気忙しく、漫ろになりながらも、何となく拠り所を感じていた先頃。


夜中に呼ばれた救急車が、がらぁとドアを閉めた後、赤い回転灯を点し、わんわんとサイレンを鳴らして、道の先まで棚引かせ、誰かを搬送していった。


6年超の長きに渡り、一度もなかった事なので、どうにも気持ちが落ち着かず、初めて起きて、外を覗いた。


夜中の狭い道の先を、サイレンと赤色灯が去る。見送って、目を戻す途中、視界で何かが微動した。


釣られて正体を探すと、斜め向かいのアパートの、側壁に並ぶ窓に着く。


中層階の1窓の、片側が開け放たれていて、窓枠に両腕を突っ張って、上半身を乗り出して、救急車の去った方へ、大きく腹と首を捻り、ゆったり揺らぐ人影が見えた。


窓辺は、側壁を挟んで、玄関が並ぶ、外廊下側から、白くちらつく蛍光灯に、ぼんやりと照らされている。


人影は、開いた片側の窓の奥の、照明の点いていない、真っ暗な部屋の中から、生えたが如く乗り出して、風に吹かれる柳のように、ゆらゆらふわふわ揺蕩っている。


救急車の去った方へ、大きく腹と首を捻らせて、風に吹かれる柳のように、やんわり波打ち、揺蕩っていたが、ふと、屋内へ身を戻す素振りを見せたので、捲っていたカーテンを離し、視線から隠れる心地で、寝床へ入り、掛け布団を被った。


*


朝起きて、斜め向かいの、昨夜の窓辺を見てみると、窓もカーテンも閉まっている。


少しして、引っ越したらしく、今は、カーテンが全て外された、剥き出しの窓硝子越しに、何も無い、がらんどうの室内が、朗らかな朝の日光や、夜の外廊下の蛍光灯の下、ぽっかり、照らし出されている。



終.

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搬送 壱原 一 @Hajime1HARA

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