第9話 書状

      ◆


 僕の話を聞いて、珍しくナクドは眉をひそめた。

「クズリバ様に取り次いで欲しい?」

 朝の稽古が終わってからの、ナクドが生活する居間でのことだった。

 すでにナクドの道場の稽古には四日ほど、参加していた。これといって変化もなく、門人たちも少しずつ僕に親しさを見せてきている。

 この時期は特に狙ったものではなく、直感的に今なら話せるだろうという時期だった。もちろん、ナクドが不審に思うのも想定している。

「どなたか、お知り合いはいませんか」

 そう食い下がってみせると、ナクドは外を見るように視線を外した。そちらには表からは見えない庭がある。畑が作られてはいるが、今はまだむき出しの土にわずかに緑が覗くか、藁が敷かれている様子しか見て取れない。

「清凍の件ですね?」

 視線を向かいに座る僕に向けないまま、言葉だけは向けられる。不快ではない。むしろ、ナクドの困惑、逡巡は僕にとって好都合だ。

「そうです。是非とも、その名刀を見てみたいのです」

「見るといいますが、見て、それでどうなります」

「どのようなものか、知りたいのです」

「知って、どうしますか」

 視線が僕に戻ってきた。ナクドは険しい顔つきをしている。

「名刀だとわかれば、どうされるつもりですか? 奪うのですか?」

「奪うなど、不可能でしょう。下手なことをすれば、切られてしまう」

「アイリ殿がそう簡単に切られるとも思えませんが」

 買い被りですよ、と僕が笑ってみせると、ナクドも少し表情に笑みを浮かべた。

「アイリ殿、私は、あまり欲を見せないほうがいいと助言しなくてはいけないようです」

「欲、ですか?」

 思わぬ言葉に、僕は少し意外な思いがした。

 僕はここまで、様々な場所で名刀を探してきたが、おかしなことをしていると笑うものはいても、欲を出すなと言われたことはない。刀を見たい、という僕の素朴な思いを欲と表現した人は初めてだ。

「これは欲ですかね」

 思わず言葉にすると、そうでしょう、とナクドが頷いた。

「人間には関与できる範囲、世界が確かにある。それを無理に広げよう、境界を越えよう、他人の領域に踏み込もうというのは、欲だと私は思います。あまり褒められたことではない類の欲です」

「品がない、という感じですか」

「そうですね、そう言ってもいい。ですが、私も達観したようなことを言える立場でもない」

 何気ないナクドの言葉だったから、すぐに反応できなかった。ナクドにも負い目のようなものがあるようだ。それは何だろう。

 問いかける前に、ナクドは僕の頼みごとの結論を口にしていた。

「いいでしょう。クズリバ様の御家老に親しくさせていただいている方がいます。ツツイ様という方です。ツツイ様に書状を出しましょう。旅のものが清凍を拝見したいと言っている、という内容で構いませんか?」

 はい、と答えたが、どうもナクドの呼吸で話が進んでいる。ナクドの負い目を確認するのを拒否されながら、同時に僕の要望もうまく加減された形でクズリバ氏に伝わりそうだ。

 旅のものが家宝のような名刀を見たいと言って、それで受け入れる領主などいないだろう。

 それでも何もしないよりはいいと思い直して、僕は丁寧にナクドに礼を言って頭を下げた。

 道場を出る時には、ここのところと同じようにミズキが外で待ち構えていた。彼女の父親がやっている食堂で食事をするのも習慣のようになっていた。

「今日はナクド先生とどのようなお話をされていたの?」

 ミズキの言葉に正直になったのは、ミズキの知っていることをうまく引き出そうと考えたからだ。

「クズリバ様に清凍を見せていただけるように、書状を書いてもらうことになった」

 え、とミズキが言葉に詰まった様子だったので、瞬間的に視界の隅で彼女の顔色を僕は確認した。

 ミズキは目を丸くしている。驚きを隠せないといったところか。何がそんなに驚くような要素なのか。

「ナクド殿はクズリバ様と仲違いでもしているのかな」

 何気ない口調でそう探りを入れてみると、ミズキは、ええ、と肯定するような声を出したが、それ以上の言葉はなかった。少し踏み込んでみるか。

「何故、仲違いを? ナクド殿は誠実な方だと思うけど」

 それは、とミズキはまだ言葉にできないようだった。

 ここでさらに深追いするとミズキとの関係にヒビが入るのは明白だ。うまく逃れるべきか。

「まぁ、クズリバ様が僕を相手にしない可能性が十分にある。そうなればもう、やりようはない」

 ミズキが僕の顔を見上げた。先ほどとは違う感情が面に浮かんでいる。

「それって、アイリ先生がこの街を離れてしまうということですか?」

「そうなると思う」

 そうなんですか、とミズキが小さな声で言った。懐かれている自覚はあったが、ここまで寂しそうにされると僕でも良心の呵責を感じる。かといって、クズリバの街に長く滞在する理由はなかったし、まだ行っていない土地が多くある。

 その未知の領域へ踏み出すことと比べれば、ミズキとの想像もつかない何らかの未来は価値が弱く感じられた。

「アイリ先生は、この街に刀鍛冶がいたということはご存知ですか?」

 不意にミズキがそんなことを言い出したので、僕は彼女が興味を引くために昔話でも始めたのかと思った。

 しかしどうも、大昔のことでもないらしいとわかったのは、ミズキの話が妙な方向へ転がったからだ。

「この街は材木を商う街じゃなくて、鉄を商う街だったらしいんです。そもそも材木の商売も、タタラのために必要な燃料として山を切り開くところから始まったんですって」

 それで、と僕が促すと、ミズキは記憶を探るような顔つきで話を続けた。

「すぐそばでいい鉄が取れて、それがいい鋼になって、いい刀が作られたんです。今は木を流すだけの川ですけど、その川もテツガワっていうくらいですから」

「刀が作られたって、どれくらい前のことかな」

「私のお爺ちゃんのお祖父さんの世代らしいです」

 なんだ、と僕は思わず笑っていた。それだけ前になれば、大昔と言ってもいい。いい刀鍛冶がいたとしても、現状のクズリバの街を見ればすでに職人はおらず、技術も散逸したのだろう。

 そんなことを考えている僕の横で、ミズキはまだ話している。

「この街はその頃に他の領主から攻められるのを嫌って、城郭を巡らせたんです。もう見る影もないですけど」

 城郭が所々で崩れているのはここ数日、折を見て街の様子を見物したので知っている。もちろん、鍛冶屋がないのもその時に知ったことだ。

「どうして、その話を?」

 そう確認すると、えっと、とやはりミズキは言葉に詰まった。どうやら、僕の興味を引きたいだけの会話だったか。

 ちょうど食堂が見えてきたところだったので、僕はこの話題を深掘りしなかった。話を始めたミズキも、そんな僕の態度にホッとしたようだった。

 この日の翌日、ナクドの道場での稽古が終わってから、いつものようにミズキと並んで道場の敷地を出ようとすると、身なりのいい人物が入れ替わりに道場へ入っていくのを見た。ミズキが足を止めたのは、少し道場を離れたところだった。

「今の人、クズリバ様からの使者だと思います」

 ミズキは初めて見せる真剣な顔をしていた。

「道場へ戻った方がいいのではないですか?」

 そう促され、僕はミズキに断って道場へ戻った。道場へ入る前に、再び先ほどの人物とすれ違った。頭を下げたが、相手は目礼程度だった。

 僕が道場へ入ると、板の間にナクドの姿があった。僕に気づくまで、彼は苦々しげな顔をしていた。その表情が僕を見て変化する。笑みを見せようとしているが、成功しているかは微妙なところだ。

「クズリバ様から、返書がありました」

 僕が進み出てナクドの前で膝を折ると、ナクドは書状をこちらに差し出してきた。受け取り、目を走らせる。一度ではなく、二度、三度と確認した。

「クズリバ様は、お会いするそうです」

 ナクドの静かな言葉に、僕は頷き、その旨が書かれている書状を畳んだ。

 返書は簡潔な内容だが、明日、館へ来るようにとのことだった。

 狙いがあったとはいえ、思わぬ展開の速さだ。

 しかし、クズリバ氏は僕の何に興味を惹かれたのか。



(続く)

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ただ、あとには屍だけを残して 和泉茉樹 @idumimaki

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