第8話 強請り
◆
「言わないでもわかるだろう、お嬢ちゃん」
僕は食事を続けたが、かすかに椅子が揺れる音がして、ちらりとそちらを見ると僕が入るより先にいた客が、卓に銭を置いて足早に店を出て行くところだった。
それを確認した時、野太い声の持ち主が視界に入ってきた。
上背がある若い男で、長い髪の毛を無造作にくくっているのと、ヒゲが顎を覆っているのが印象に残る。着物は粗末ではないが、綺麗でもない。
目つきには粗野なものが見て取れた。
その視線が僕の視線と合った。
「見ない顔だな、兄さん」
ちょっと、とミズキが声を上げた。
「この人は旅の人よ。関係ないわ」
「別に俺はなんとも言ってないだろうが。おい、俺には飯を出してくれないのか」
「客のつもりなら、もっと大人しくしなさい」
ミズキが自分より頭ひとつもふたつも上背のある相手に強く出るのは、側で聞いているとヒヤヒヤする。僕の見立てでも、世間一般の感覚でも、髭面の大男からは紛れもない暴力の気配がする。
どっかりと卓の一つに着くと、飯を出しな、と男が言った。
ミズキが何かを言い返そうとしたが、その時、奥の暖簾をくぐってミズキの父親が出てきた。手にはすでにどんぶりを持っている。その場の全員が沈黙している中で、どんぶりを髭面の前に置いた男性の「お待たせしました」というささやかな声は実際以上に大きく聞こえた。
「アオイさん、俺が本当に欲しいものはわかってるよな?」
髭面の男の言葉に、アオイという名前らしいミズキの父親はすぐには答えなかった。僕は耳こそ澄ませているが視線を向けていないので、二人がどういう顔をしているかは見えない。
「リリギさん、この店には何もないよ」
「信じられんな。あんたの父親、おの爺さんは何か知っているんじゃないか?」
「もう呆けてしまって、何も覚えちゃおらんよ」
「俺が試してもいいんだぜ? 本当に何も覚えてないか、指の二本か三本を落とせばはっきりする」
勘弁してくれ、と言ったアオイはどうやら頭を下げたようだ。
僕は黙って食事を終え、どんぶりを置いた。
もし揉め事になるようなら、割って入るつもりだった。リリギという名前らしい髭面の男の言葉には、ただの恫喝ではない響きがあったからだ。
刀を抜くのではないか、と思えた。
アオイもミズキも黙り、リリギも黙った。
その沈黙が限界まで緊張を張り詰めさせたものの、リリギの短い吐息という形で緩んだ。
「また来るよ。次はもっとマシな答えを用意しておきな」
椅子が音を立て、リリギは立ち上がったようだった。
ただ、足音は店の外ではなく、こちらへ近づいてくる。そう、僕にだ。
すぐ背後にリリギが立ち、僕はさりげなくいつでも動ける姿勢をとった。
肩に手が置かれた時、やっと僕はゆっくりと振り返った。
リリギが僕を見下ろしている。愉快げな表情をしていた。
「邪魔したな、兄さん。俺の分も食べてくれよ」
彼の視線がつと逸れた。瞬間的に僕も視線を短く動かした。
リリギは僕の刀を見たが、僕もリリギの刀を見た。リリギの腰にある刀、その柄はよく使い込まれているように見えた。手入れがされていないようでもない。あまり歓迎できない事実だ。
ただ、リリギは刀を抜くつもりはなかったようだ。ポンポンと僕の肩を改めて叩くと、それきり何も言わずに僕に背中を向けて離れていった。その様子をアオイとミズキの親子も見送っているが、ミズキが攻撃的な眼差しなのに対し、アオイはどこか疲弊したような表情だった。
暖簾の向こうにリリギの姿が見えなくなり、やっとミズキが普段の様子を取り戻した。
「アイリ先生、あの男の言うことを真に受ける必要はありませんからね」
「食事のこと?」
「他にないですよ」
そんなやり取りの後、アイリが僕の向かいの席に戻ってきたが、リリギが姿を見せる前の空気には戻らなかったし、僕も食事をあらかた終えていた。アオイはリリギに出したどんぶりを手に店の奥へ戻っていき、それきり姿を見せなかった。
僕はミズキに礼を言い、銭を渡してから店を出た。
思ったよりも時間が過ぎてしまった。荷物を手に通りを進みながら、リリギのことを考えた。
彼はアオイに何を要求したのだろう。アオイやミズキの態度からすると、何かを強請っているようだった。僕には何を強請っているかは想像もつかない。少なくとも銭ではないようだ。
それはそうと、リリギは堅気の人間の雰囲気ではない。小悪党、というには落ち着き払っていたが、彼が食堂に入った時、店の外に仲間がいた可能性はある。僕はリリギやアオイ、ミズキに気を取られていて、店の外にまでは気が回らなかった。
考えることが多すぎる、と自分でも思った。
クズリバ氏が持つという、清凍という名刀。
そこに繋ぐきっかけになるかもしれないナクド。
何かを強請っているリリドと、何かを強請られているアオイとミズキの親子。
もっと状況を簡単にする必要がある。この際、リリドとアオイとミズキの親子の関係は脇へ置いておこう。ナクドの線から、クズリバ氏へ接触するのが先だ。
旅籠に戻り、稽古着を洗濯してもらうことにした。女中が、お食事は? と確認してきたので、昼過ぎにお願いします、と伝えた。女中も文句などは言わない。
僕は自分の部屋で一度、袴を脱いで、座り込んだ。
障子を開き、表を見る。二階の部屋なので、通りが見える。しかしあまり人は多くなかった。
これからどうするべきか考えながら、しばらく僕は何を見るともなく眼下の光景に目をやっていた。
(続く)
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