第7話 問いかけ

       ◆


 稽古が終わり、門人の男性たちが裏手の井戸の周りで汗を流し始めた。

 僕もその中に混ざっているけれど、まだどこか言葉のやり取りはぎこちない。実際に竹刀を向けあった門人は、僕の技量の一端を見ているのでさらにぎこちない態度だった。

 素早く汗をぬぐって、借り物の着替えに着替えてから、ナクドに稽古着について確認しに建物へ戻った。洗濯くらいはこちらでするべきだと思ったのだ。ナクドは奥にいるのかと覗いたが、姿が見えない。探すと道場にいた。

 一人きりで板の間に立ち、まっすぐな姿勢のまま動かない。

 声をかけようという思いは、即座に消えた。

 ナクドの放射する気配は、まさしく殺気だった。

 切るべき相手などいないが、まるで対峙しているような生々しい殺意が感じ取れた。

 僕は身動きを止め、ナクドの様子を伺った。

 時間が止まったような光景は、不意に空気が緩み、ナクドが僕を振り返った。

「失礼、アイリ殿。気づかなかった」

 答えるときに自然と唾を飲んでしまった。

「いいえ、こちらこそ、邪魔をしてしまったようで申し訳ない」

 ナクドはいつも見せる微笑みになり、この時には僕も笑みを返せた。

 今着ている着物も、使った稽古着もしばらく借りることで話がついた。旅籠へ戻ったら稽古着を洗濯しようと決め、ナクドに明日の朝にも来ることを告げて道場を出た。

 その僕を待ち構えている人物がいた。

 小柄で、長い髪はひとつに結ばれている。男装をしているが、女性だ。

 ミズキだった。

 僕に気づくと、駆け寄ってくる。

「アイリ先生、うちのお店で朝ごはんにしませんか?」

「いえ、申し訳ないですが、宿で頼んであるのです」

 そうなんですか、とミズキは残念そうだった。その表情に、僕は少し申し訳なくなり、自然と申し出ていた。

「では、先に昼食を食べることにします」

 最初は言葉の意味を理解できなかったようですが、理解が及んだミズキの顔がパッと明るくなった。

「ありがとうございます、アイリ先生!」

 そのまま二人で歩いて道場を離れた。

 ミズキが話を向けてきた時、その口調からして食事の誘いは口実で、実は僕のことを知りたいようだとわかった。

「アイリ先生はなんという国の出身ですか?」

「今ではもう存在しない国ですよ。今は滅ぼされて、別の名で呼ばれているそうです」

「旅をして長いのですか?」

「そろそろ五年になります」

 五年! とミズキが大きな声を出したので、僕の方が驚いてしまった。

「先生、ナクド先生に自分は二十四歳だ、って言ってましたよね。じゃあ、十九で旅に出たのですか?」

「そうなります」

「それって、その、凄く大胆じゃないですか? 旅に出ようと思ったきっかけは何ですか?」

「いろいろなことがありましたから、これ、とは言えません。旅に出たのも、偶然です」

「刀を探しているのも、偶然ですか?」

 思わず僕は苦笑いしてしまった。ミズキは単刀直入で、まっすぐに切り込んでくるからそれがなんとも面白い。小細工なしに、頭の中で考えていることがそのまま言葉になっているようだ。

「刀を探しているのは、そうですね、趣味です」

「もしかして、クズリバ様の館から清凍を盗み出したりするんですか?」

 今度はちょっと吹き出してしまった。やはり面白い女子だ。

 笑いを堪えきれない僕に、ミズキがむすっとした顔に変わる。

「なんですか、今の反応。私、おかしなこと言いました?」

「いいえ、おかしくはありませんよ。盗んだりはしません。ただ、見てみたいだけです」

「見て、どうなるんですか?」

「こんな刀があるのか、と思う。それだけです」

 わからないなぁ、とミズキが口にした時、もう食堂はすぐそこだった。

「クズリバ様の館は遠くにあるのですか?」

 何気なく問いかけると、あちらですよ、とミズキがすぐそばの山を指差した。館らしいものは見えない。山の向こうだろうか? いや、そんな街から離れているはずがない。

「山しか見えませんが?」

「山の中にあるんですよ。見えないだけです。道も整備されています。長い道ですけど」

「ミズキさんは行ったことがある?」

「子どもの時に遊びで門のすぐそばまで行きました。度胸試しというか。門衛っていうんですかね、槍を持った男の人が立っているのを見て、帰ってきました。館の中に入ったことはありません、そういう身分ではありませんから」

 なるほど、と応じたところで、もう食堂の前だった。どうぞ、と言いながらミズキが暖簾を上げてくれる。中に入ると、何人からが食事をしていて、そのうちの一人がミズキに声をかけた。ミズキも元気よく応じている。僕は空いている席に着き、ミズキの父親の姿を探したが、すぐには見えない。厨房にいるのだろう。

 しばらく待つと、着替えたミズキが戻ってきて、僕にお茶を出してくれた。奥とを隔てる暖簾が少し上がり、ミズキの父親が顔を見せて僕に無言で頷いた。昨日の明るい態度とは違うように思えたが、気にはならなかった。

 少し待つとどんぶりが出てきた。今日は昨日とは違い、味噌ではなく醤油で煮込まれているようだ。すぐに口をつけたが、悪くない。肉の癖のある味にも僕の舌が慣れてきたようだ。

 ミズキが戻ってきて、僕の向かいの席に着くと自分の分のどんぶりを卓に置いた。いただきます、と律儀に言葉にしてから、ミズキも食事を始めた。ここで食べるのか、と思ったが、問題はない。

「アイリ先生は」

 食事の合間にミズキが話し出す。ここに至る道すがらで聞けないことをここで聞くつもりのようだ。

「本当に刀が欲しくてここへ来たのですか?」

「刀は欲しくはありません。すでにありますからね」

 僕の腰には自分の刀がある。座敷へ上がると外さないといけないが、椅子に座る時はその必要がなくて楽ではある。

「それなら、なんで刀の噂を追っているのですか?」

「他に妥当な目的がないから、ではいけませんか?」

 ミズキはその時、僕の顔をまっすぐに見て、もっと踏み込んだことを聞こうとしたようだった。

 しかしその言葉は口から出なかった。

 邪魔するぜ、という野太い声とともに、誰かが店に入ってきた時、ミズキがぐっと言葉を飲んでそちらを睨むように見たのだ。

 その不意に変化した表情で、僕も危うく声の方を振り返りそうになった。

 経験上、こういう時に下手に動くと揉め事に巻き込まれるのはわかっていた。なんとか耐えて、何にも気づいていないフリでどんぶりを持ち、箸で飯と肉を口へ運ぶ。

 ミズキはそうはいかないようで、立ち上がり、声を発した。

 いらっしゃいませ、ではなく。

 何をしに来たのですか、と。



(続く)

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