第6話 稽古

       ◆


 翌日には朝からナクドの道場へ行った。

 宿の女中には前日の夜に正直に、道場で稽古をすることになった、と告げたが、女中はまるでそれを知っていたかのように「お帰りになった時に召し上がるように、お食事を残しておきます」と自然と口にした。この時点では朝食をどうするか、決めていなかったので任せることにした。

 翌朝は自然と早く目が覚め、明け方に支度をした。稽古着はナクドが貸してくれるというので、最低限の荷物で済む。

 道場へ着いてみると、門人がすでに二人ほどいて、何やらおしゃべりの最中だった。僕は「失礼」とだけ告げて道場に上がり、奥へ向かった。門人は不思議そうにしているが、声はかけてこなかった。知らない相手を誰何するほど気力があるようではないらしい。

 道場の奥がナクドの生活のための場になっているとは聞いていたけれど、小さなものだ。寝間と居間のような部屋、小さな台所くらいしかない。声をかけて奥へ入ると、ナクドの返事があり、入ってくるように声があった。

 従って中に踏み込めば、ナクドは箪笥を漁っていた。こちらを振り返り、穏やかな笑みが僕を出迎える。

「おはようございます。一応、稽古着を用意しましたが、それで丈は合いますか? 着替えてみてください。寝間を使ってください」

 言われるがままに、畳の上で畳まれていた稽古着を借り、寝間で着替えた。おおよそ丈はあっている。稽古着で居間へ戻ると、ナクドは他にも何着かの稽古着を畳に並べていた。

 そんなナクドは僕を見て、一度、頷く。

「良かった。それで問題ありませんね。実は古い稽古着をどこにしまっていたか、わからなくて参りました。世話を頼んでいるクタという老人が管理してくれているのですが、昨夜のうちから用意しておくべきでした」

 クタというのは、例の下男のような年老いた男性だろう。

「さて、アイリ殿、この道場では竹刀での打ち合いで技を磨きます。本気で打ち込むのは禁止です。全員分の防具が用意できないので、そういう方針です」

「はい、わかりました」

「私とアイリ殿は流儀も何も違いますが、基礎を教えていただければ、それで構いません」

 ナクドの言葉に頷くしかないが、不思議にも思える。

 ナクドは僕の技量を詳細に知らない。刀を抜いたところどころか、竹刀を振っているところさえ見ていない。それなのにこちらの技量を把握できるものだろうか。

 もちろん、些細なことから推測はできる。視線の配りや歩き方、姿勢などからだ。しかしそんなもので実力の実際を把握するのは不可能だ。

 ある程度の使い手でも構わない、ということだろうか。

 それともナクドはまだ僕を認めてはいなくて、今日の様子次第で本当に認めるかどうか決める、ということか。

 ナクドに全てを見抜く眼力があるとは思いたくない。そこまでの眼力なら、僕の魂胆はたちどころに見抜かれてしまうから。

 何も考えていない態度で、よろしくお願いします、と僕は一礼した。

 声がして、それは僕の知らない声だったけど、稽古の時間を告げている。行きましょう、とナクドが道場へ向かうのに僕も続いた。

 門人は十五名ほどが集まっていた。僕は借り物の竹刀を手に、彼らの前に立つナクドのすぐ後ろについた。

 まずナクドが僕を門人に紹介した。旅をしておられるアイリ殿です、短い間ですが剣術を指導して頂きます、といった具合だ。やや面映いが平静を装った。挨拶をするように促されたので、簡潔に名乗り、短い言葉で終わりにした。ナクドも不満はないようだった。

 稽古が始まり、門人同士が打ち合うのだけど、ナクドもその中に混ざっていく。それなら僕も混ざらないわけにはいかない。

 相手をする男性は十代が多い。みんな元気で、活力にあふれている。そして雰囲気が明るい。

 溌剌とした竹刀は軽やかで、自由だ。

 そんな竹刀を、僕は最低限の振りで避け、逆にこちらの振りを当てていく。

 一度や二度では相手も引き下がらない。それが五回を超え、十回を超えると、さすがに彼らも動きが鈍くなってきた。

 その段になって僕は相手にいくつかの指導をした。振りが読まれていること、そもそも振りが単調なこと、相手の動きを見ることとどこを見ればいいか。門人の青年は真剣な様子で聞いているが、理解はできない、というようだった。

 次の門人と交代して、同じことを繰り返した。三人目、四人目と相手をしたところで、ナクドが全体に声をかけ、稽古の終わりを告げた。僕は反射的に窓の外を見たが、明るさから時間を察するのは難しい。どれくらいが過ぎたのか、道場には熱がこもり、汗の匂いが濃密に漂っていた。

 これからどうなるかと思ったが、門人が揃って壁際へ移動して腰を下ろしたので、なるほど、ここからはナクドが型を示し、それを学ぶ時間か、と察しがついた。案の定、ナクドがそう口にした。

「アイリ殿、これからは私が型を見せ、見て学ぶ時間です」

 はい、と頷いて僕も壁際へ下がった。

 ナクドは竹刀を置いて代わりに刀を手に取り、道場の中心へ移動した。

 ナクドの型は昨日も見ているが、近くで見られるのはありがたい。少しはナクドの実力を把握できそうだ。

 ナクドは抜刀から始め、複雑な型を滑らかに繋げていった。

 それにしても、見たこともない型とはいえ、僕が身につけている型と共通している部分もある。そのあたりは、ある種の剣術の原理から来るのだろう。

 相手を早く切る、相手の一撃に切り返す、というよくある想定に対する答えが、どの流派にも求められる。そもそも剣術がそういうもので、実戦で必要となる動作を詰め込んだものが型だ。

 実戦の場では型通りに物事が進むことはないし、実戦で起こる全てを型が網羅できるわけもないが、型は決して無駄ではない。

 僕がナクドの流れるような動きを見ながら考えたのは、ナクドは人を切ったことがあるか、だった。

 推測は、おそらくある。

 何人かは不明だが、剣に迷いがないあたりに経験者であることが滲んでいる。

 僕は最後までナクドの型を見たが、僕に言えることはあまりない。本能的にナクドと切り結ぶことも想像したが、そんな展開は今のところ、起こりそうにない。それでも想定してみてもナクドを切れるかどうかは、判然としなかった。

 ただ、唯一、気になることがあるにはあった。

 それはナクドの技ではなく、ナクドが使っている刀だ。

 不思議と視線を吸い寄せる力がある。

 銘のある刀だろうか。

 しかしまさか、いきなり聞くわけにもいかない。保留にして、僕はナクドが鞘に刀を納めるところを見てから、そっと息を吐いた。



(続く)

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