第5話 食堂

       ◆


 ナクドは一度、道場の奥に消えて刀を腰に帯びて戻ってきた。それまで僕はミズキと二人で待つことになった。

 今にもミズキは僕に質問を向けそうだったが、堪えたようだった。それくらいの忍耐力はあるらしい。剣術を学ぶのもある種の忍耐力の確認なので、その点では素質はあるかもしれない。

 行きましょう、とナクドが戻ってきて促した。誰かが留守番をするのかと思っていると、ちょうど玄関の前を老人が箒で掃いているのに出くわした。下男のようだ。ナクドは「食事に行ってきます」と老人に声をかけたが、老人は無言で頷くのみである。

 三人で道場の敷地を出て通りを進む。やはり人が激しく行き来するようではない。

「この街は静かですね」

 何気なく言葉を向けると、そうですね、とナクドが応じた。

「この街に住む人もいますが、ほとんど楽しみの場ですからね」

「楽しみの場?」

「食べて、飲んで、騒いで、その他諸々の場、ということです」

 ミズキがわざとらしく咳払いしたのは、その他諸々が意味するのはつまりそういうことだろう。

「普段はどこにいるのですか? その、大勢の人は」

「山ですよ。材木を作るのがこのあたりの主な稼業です。私の父もそんな仕事をしていました」

 ナクドが言いながら、僕にとっては明後日の方向を指差した。どうやら山を指差していると理解が及んだ。

「最近はあの辺りで木を伐採し、整えているそうです」

「どうやって運ぶのですか?」

 それはですね、とナクドが僕に笑いかけた。

「川に流すんです」

 なるほど、短い説明だが、光景が想像できた。大抵の木は水に浮く。だから材木を川に浮かべて運べば、簡単に下流に運ぶことができる。船を作る必要もないのではないか。

 僕が勝手に納得しているのを察していないわけではないだろうが、ナクドは丁寧に説明してくれた。

「この辺りでは、四つの職人に分かれてますね。木を伐採するのが、切手。木の枝を払ったり皮を剥いだりするのが、裂手。それを川まで運ぶのが、運手。そして、川に浮かべた木を下流まで無事に届けるのが、流手。流手以外はこの辺りで起居して、活動します」

「しかし、下流の街はクズリバ様の領地ではないですよね」

「ええ、その通りです。そちらの領主と取り決めがあるのです。特に揉め事もなく、関係は良好なようですよ」

 そんな話をしているうちに、食堂に辿り着いた。太い通りを折れ、もう一度道を折れた先で、やや奥まっている。それでも客は何人もいた。僕たち三人が入ると、中年男性が「いらっしゃい」と言ってから、急に恐縮した。

「これは先生、お世話になっております」

 そんな言葉からするに、この中年男性がミズキの父らしい。年齢はわからないが、明るさとは裏腹に疲れているように見えた。ミズキが僕とナクドに一礼し、店の奥へ走り込んで行った。それを横目で見た男性が、ナクドを伺うようにした。

「先生、娘はどのようなものでしょう」

「よく稽古をしていますよ」

 そうですか、と応じる男性は安堵しているようだった。それは娘が恥をかいていない事に安堵している、というように僕には見えた。

 そんなことを思っていると、男性と僕の視線がぶつかった。が、すぐに男性は視線を切ってナクドの方を見た。

「先生、こちらの方は?」

「アイリ殿という、旅をされている方です。少しの間、私の道場にいてもらうことになるかもしれません」

 僕は無言で頭を下げた。男性も頭を下げる。

 そこへ女物の着物に着替えて前掛けをつけたミズキが戻ってきた。服装が変わっただけでも、印象はガラリと変わった。

「お父さん、いつまでも先生を立たせてないで、席に案内して」

 バツの悪そうな顔をした男性が、あちらへ、と空いている席を示したので、そこへナクドと僕は落ち着いた。注文をする必要があるのか、何を出すの店なのか、気になったがナクドが何もしようとしないので、僕も黙っていた。

 クスクスとナクドが笑い始めた。

「ここは出すものは一つしかないのです。どんぶり飯に焼いたり煮たりした肉を乗せるだけのものです。大雑把なものですが、味はいいですよ。量もありますし、安い」

 なるほど、品書きすらないのはそれが理由か。

「肉は昨日、別の店で食べましたが、何の肉かわかりませんした」

「この辺りでは鹿がよく取れますから、鹿じゃないでしょうか。猪も取れます。豚を飼育している牧もあることにはあるのですが、開けた土地がないので規模は大きくありません」

 へえ、と感心がそのまま声になってしまった。

 ナクドは他にも、水田についても教えてくれた。少し離れた日当たりのいい山の斜面を切り開いて、棚田が作られているらしい。それでもやはり狭いために、百姓は苦労しているそうだ。

「山などいくらでも切り開けそうなものですが、材木を売るために木を育てる必要もありますし、下手に切り開くと雨が降った時に山が崩れると言われています。クズリバ様はその伝承を大切にされているとのことです。とにかく材木が売れますから、米を買い付けるのに苦労がないのが救いですね」

「クズリバ様は、いい領主なのですね」

 相槌のように何気なく口にした言葉だったが、ナクドが一瞬、表情を強張らせたのを僕は見逃さなかった。見逃さなかったが、見逃した演技をした。ナクドもすぐに元の表情に戻って自然に答えた。

「いい領主なのでしょうね。太守様から名刀を頂戴するほどですから」

 何も気づかなかった顔で、僕は店の奥、厨房のある方を見た。ナクドには僕が料理を待っているように見えたはずだ。

 卓が並ぶ広間と厨房を隔てる暖簾をくぐって、ミズキが出てきた。両手にどんぶりを持っている。笑顔で彼女が卓にどんぶりを置き、お新香を持ってきますね、と奥へ足早で戻っていった。僕は待ちきれないように卓の隅の筒に差し込まれている箸を手に取った。

「いただきます」

 漬物の乗った小皿を持って戻ってきたミズキが小さく笑っていた。僕がどんぶりにがっついていく様子が滑稽だったのだろう。これくらいしておけば、ナクドにも僕の内心は読めなかったはずだ。

 焼いた鹿肉に味噌ダレをまとわせたものが白飯に乗っているだけのどんぶりをガツガツと食べながら、ナクドの表情の変化を思い起こして吟味した。

 ナクドはクズリバを本当にいい領主とは思っていないらしい。でも僕にはどうしてそうナクドが思っているのか、想像もつかない。領地経営で横暴な側面があるのかも知れないし、そうでなければ私服を肥やしでもしているのかもしれない。こればっかりは想像をたくましくしても、情報が少なすぎて真相にはたどり着けそうもなかった。

 どこかで探りを入れたいが、ナクドに直接に問いかけるのは気がひける。ミズキに問いかけると、話が伝わってナクドに警戒されるかもしれない。ナクドに警戒されても構わない気もしたが、ナクドからクズリバ氏に僕の存在が伝わる線がまだありうる以上、慎重になるべきか。

 領主がただの剣士を気にする理由はないが、今はまだ沈黙しているべきだと思えた。

「美味しいですか?」

 すぐそばで控えていたミズキが問いかけてくる。

「はい、とても」

 僕がそう言うと、ミズキもナクドも笑っていた。

 さて、これからどうしたものか。



(続く)

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