第4話 ナクド
◆
一度、旅籠に戻って荷物を置いた。
刀を帯びて道場へ戻ると、既に中を覗き込む人々はいなくなっていた。稽古は終わったのだろう。
玄関を探して建物を回り込もうとすると、同じように回り込んできた人物とぶつかりそうになった。僕がとっさにさっと身を引くと、相手は短く高い声を上げてたたらを踏んでいる。
「すみません!」
こちらが謝罪する前に、相手が澄んだ声を発して一礼した。その段になって、相手が男性ではなく女性だとわかった。しかし服装は男性のそれだ。袴もつけている。
その女性、というか、少女が顔を上げ、僕と視線がぶつかった。小さく首を傾げている。
「お見かけしない方ですが、先生にご用ですか」
「ええ」言葉を少し選んだ。「お聞きしたいことがありまして」
「どうぞ、こちらへ」
帰ろうとしていたはずだが、少女が先に立つそぶりを見せたので、それに従うことにした。
玄関から道場に入り、草鞋を脱いで板の間に上がる。お待ちください、と言葉を残して少女が奥に消えたので、僕は板の間に正座をして待つことにした。奥に私的な空間があると見て取れた。
耳を澄ますと、外で誰かが笑いあっている声が聞こえる。おそらく門人の男たちが裏手で汗でも流しているのだろう。僕が剣術を習った道場でも、稽古が終わると井戸の周りに集まって水を浴びたり、打ち身に濡れた布を当てたりしたものだ。
過去を思い浮かべていると、足音が近づいてきた。
姿を見せた男性は師範と目した男性だったが、すでに稽古着から着替えている。少女がその後ろに控え、さりげなく膝を折った。
男性の余裕のある微笑みが僕に向けられた。
「私にご用だとか?」
僕は軽く頭を下げた。
「アイリと申します。旅をしております」
「アイリ殿。私はナクドと申します」
この人物がやはりナクドか。僕はそう思いながらも、声に顔を上げなかった。ナクドが腰を下ろしたのは衣擦れの音でわかった。
「アイリ殿、顔を上げてください。私にどのようなご用がおありなのですか?」
その言葉を待って顔を上げて、まっすぐにナクドを見る。
ナクドはいかにも善良そうに見えた。一方で、刀を帯びるものとしての覚悟、もしくは経験があるようだった。遊びで剣を取るような人物ではない。
その独特の落ち着きに、信頼できるものを感じた。
「実は、刀を求めて旅をしています」
まっすぐに打ち明けるのに、少しナクドは興味を持ったようだ。
「すでにアイリ殿は刀を帯びているようですが?」
「クズリバ様がお持ちという名刀のことです」
ああ、と納得するような声をナクドが漏らした。
「クズリバ様が太守様から頂戴した刀のことですか」
「素晴らしい名刀だとか」
「清凍、という銘の刀ですよ」
あっさりとナクドが口にしたので、僕はそれに釣られていた。
「ナクド殿はご覧になったことがある?」
まさか、とナクドが朗らかな笑みを見せた。
「見たことはありませんが、その銘はよく知られています。アイリ殿がご存知ないということは、かなり旅をしてきた様子。違いますか?」
「ええ、名刀の噂を辿っているのです」
「その話し方からすると、東から参られたようですね。私の父も、元は東から流れてきたと聞いています。アイリ殿の喋り方は、亡くなった父とよく似ている」
話が脱線しているが、僕としては少しでもとっかかりができているわけで、歓迎できない事態ではない。
「ナクド殿は、この街の生まれですか?」
「少し離れた集落ですが、クズリバ様の領地ではあります」
「侍ではない?」
「養父がこの道場で剣を教えていました。私は養父から剣を学び、ここを継ぎました」
混乱しそうになるが、そうですか、とわかったような態度を取っておく。
ナクドはどれだけ大きく見積もっても三十代半ばだろう。それで、父親の記憶がはっきり残っているわけだから、簡単に計算すると実の父と死別したのは十歳くらいだろうか。死別ではなくとも道場ぬしの養父に引き取られて、ざっと二十年間、剣術の稽古を続ければ、なるほどそれなりの使い手にはなれるはずだ。
ただ、ナクドから感じる凄みは長い稽古で地道に積み重ねた技量にはないものがある。
才能、のようなものだ。
才能というものには、決して訓練では覆せないものがある。
どうやらナクドは相当に幸運だったようだ。才能を宿しており、父とおそらく母を失ったのは悲劇だが、才能を生かせる道場主に拾われたのだ。そんな幸運は滅多にない。
「アイリ殿は、お若いように見えますが、おいくつですか?」
ナクドの方も僕に興味をそそられたらしい。これも僕には都合がいい。
「二十四です。ナクド殿は?」
「私は二十八ですね。急に年齢などを聞いて、すみません。アイリ殿があまりにも落ち着いて見えたもので」
危うく僕は唸りそうになった。年齢に驚いたふりをしたが、実は違う。
もっと容易い相手かと思ったが、ナクドは一筋縄では行きそうもない。剣術の技術と同時に、観察眼も持ち合わせている。剣技を磨くということに、観察眼を学ぶという部分も含まれることがあるが、ナクドの視線は油断ならない。
「この街にはしばらくおられる?」
僕の内心は読めなかったらしいナクドからの言葉に、ええ、と答えるが、内心では警戒していた。身の危険はないだろうが、僕がこの街に滞在するつもりであることを先を読まれている事実に、警戒しない理由はない。観察眼は洞察力にも繋がる。確かな想像力と言い換えてもいい。それがあれば斬り合いでは圧倒的に優位に立てる。
当然、斬り合い以外でも。
僕よりも一枚も二枚も上手らしいナクドは軽く頷くと、「門人に稽古をつけていただきたいのですが、どうですか」と言い出した。この提案自体は意外でもない。旅の途中で経験してもいた。実際に短い間、見知らぬ相手に稽古をつけたこともある。
「ご迷惑なら、断っていただいでも構いません」ナクドは余裕のある微笑みを見せている。「アイリ殿の旅のお話を是非ともお聞きしたいのですが、それはいかがですか?」
断りづらさを演出する誘導が露骨に思えたが、それは考えすぎか。どうやらナクドは大らかな、余裕のある人物らしい。そして僕を警戒せず、むしろ好奇心が勝っている。
「いえ、ナクド殿がお許しになるなら、僕の方こそ稽古をつけていただきたいと思います」
ご謙遜を、と笑ってから、すっとナクドが頭を下げた。
「いつまでかはお任せしますが、御指南、よろしくお願いします、アイリ殿」
「こちらこそ、よろしくお願いします、ナクド殿」
僕も頭を下げた。
想定外の展開になったが、とりあえずはこれでクズリバの街での自分の立場はできた。ナクドからクズリバ氏に接触できないとしても、ナクドの道場は足がかりになるかもしれない。
顔を上げると、ナクドの後ろに控えたままの少女が僕を見て頭を下げた。
「ミズキと申します。よろしくお願いいたいます、アイリ先生」
僕は改めて軽く頭を下げた。
少女が剣術を学ぶことは珍しい。こんな田舎では極端に珍しいかもしれない。ミズキをナクドが軽く扱わない様子からすると、有望な素質の持ち主なのかもしれなかった。
さて、とナクドが表情を改めた。
「アイリ殿、昼食は済ましてませんよね。どうですか、ご一緒しませんか」
答える前に、ミズキがわずかに身を乗り出した。
「アイリ先生、うちへ来てください。落ち着きますよ」
うち、というのはどういうことかと思ったが、ナクドが教えてくれた。
「ミズキの父上が食堂をやっているのです。どうですか?」
色々と解せなかったが、勢いに任せて「是非」と答えていた。
(続く)
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