うわ!でっかい猫!

獣乃ユル

うわ!でっかい猫!

 ここで一つ質問なのだが、大きな猫と言われたときに貴方はどれくらいのサイズを思い浮かべるのだろうか。まぁ世間一般的に考えるのならば、ある程度ふくよかな猫、具体的に言うなら一桁kg後半くらいなものであろう。


 ある程度重くはあるが、膝の上に乗ってもあまり負担には感じない。

 数時間乗せているときつい。くらいのイメージであろう。


 かくいう俺も、数分前まではそう思っていた人間だった。



 ◆



 ことの発端は、先輩からかかってきた一通の電話であった。


「なぁ、後輩くん」

「はいはいなんですか急に」

「部室にでっかい猫が入ってきた」

「……ん?」

「うん、その反応は至極真っ当なんだが、でっかい猫なんだ」


 真剣な声色でものすごくほのぼのとした情報を零してくるものだから、普通に理解が追いついていなかった。彼女からふざけるようなことはありはするものの、それにしてはあまりにも神妙な声すぎる。


 紹介が遅れたが、電話先の女性──俺が言うところの先輩──の名前は「冬嶺ふゆみね六花りっか」。成績優秀、容姿端麗の皮を被ったおふざけ人間である。ウグイスのモノマネが得意。


 1個上であり、同部活の先輩でもある。


「できる限り急いで部室に向かってくれないか」

「いや……冬休みなんですけど??」

「うん。そうだよ」

「……??」

「じゃ、そういうことでね。頼んだよ〜」


 以上、事の発端である。

 意味がわからなかったが、高校生男子の性として面白いワードにつられてしまった俺は、片道二十分の高校へとあるき出したのだった。


 外は遥か遠い空から降る雪化粧によって白銀に彩られ、雲の隙間から射す日光が銀世界を照らし、まばゆく染め上げる。そんな中で俺の頭の中はでっかい猫一色だった。


 よく考えれば俺達の部室は二階である。

 どうやって入ったんだでっかい猫が。でっかい猫なんて身動きが難しいんじゃないのか。でっかい猫とはいえ冬だぞ、寒くないのか。


 そんなくだらない思考を冬の打てば響くような空気にぶん投げつつ歩いていると、いつの間にか校門が見えていた。冬休みに入った校舎には人の気配がまったくなく、ただの建物と化した教室だけが窓の向こうに写っている。


 そこで、一旦先輩に電話をかけてみた。

 下駄箱に靴を入れ、外靴から履き替えたあたりで彼女が電話に出る。


「着きました、そっちはどんな感じですか?」

「まぁ、一旦安定状態にあると言っていいね。とても落ち着いた様子だよ」

「でっかい猫が?」

「でっかい猫が。とてもリラックスしている。じゃあ、早くおいでね」


 つー、つー。

 通話が切れたスマートフォンからは情けない電子音が漏れ、それにつられるように俺の歩幅は大きくなっていく。限界だ。男子高校生の好奇心が、「安定した状態で部室に居座るでっかい猫」を求めている。


 玄関前の廊下を通る。部活動の部室やらなんやらは教室のある校舎とは別の校舎に設置されているため、渡り廊下を通って、階段を登っていく。


 なぜかわからないが心拍数が上がっていく。

 どこからか湧き出てくる期待感が冬場で冷えた体を中から燃焼させ、心臓は飛び跳ねるように脈を打っている。


 そしてようやく、そこにたどり着いた。

 彼女はそこにいた。部室の扉を前にして、興味深そうに扉についた小さな窓から中を見続けている。かと思えば俺の足音に気づくなり剣呑な表情で、ともすれば手術を終えた医者のような表情で振り返る。


「ああ、遅かったね。後輩くん」

「先輩……いいや、六花先生。状態は、どうなっているんですか」

「期待通り。いいや、期待以上と言っていいかな」


 よくわからない小芝居を挟みつつ。


「ほら、見てみな」


 彼女のほっそりとした指先がドアにひっかけられ、その真理の扉が開かれる。

 その先には──


 は、獰猛な獣だった。

 円形の双眸は鋭い光を灯し、得物を探すように部室の中を見回している。

 両前足、両後ろ足はぐるりと畳み込まれており、遠目で見ればクッションのようでもある。しかし、そこにしまわれた爪は確かに、獲物を切り裂くための意思と権能を持って光沢を放っていた。


 あくびによって開かれた口からは、牙が顔をのぞかせる。それは獣であった。そしてそれは……



「うわ!でっかい猫!!」


 でっかかった。

 いや、それ以外に表現ができないくらいにはでっかい。


 どれくらいでっかいか、という表現をすれば正しいのかはわからないので、風景を描写することとする。部室の真ん中には、長机が置いてあるのだ。全長にして2〜3m程度であろうそれを、その猫は軽々と占有している。


 横幅もとてつもない。

 横に二個並んだ長机を、その雄大な腹で捉えているのである。


「ね、でっかい猫だろう?」

「でっかい猫……なんですけど。どうして???」


 一通りびっくりし終えた俺の脳裏に次来るのは、困惑である。


「まず生物としてどうなんですかあれ」

「まぁ鮮度はいいだろうね、生きてるし」

「いや生物ナマモノじゃなくて」


 自分より巨大な生物をナマモノと断じて食用にするほど強くはない。


「わからないよ。分類すればネコ科であるということしかわからない」

「ヒョウの可能性も未だあると?」

「捨てきってはない」

「いやないとは思いますけどね??」


 ヒョウと呼ぶにはあまりにもまるっこすぎる。


「あ、こっち向いた」


 明らかに騒がしくなった俺達に気がついたのか一瞬ネコがこっちを睥睨するが、すぐに興味を失ったとばかりに再び入眠する。ふと隣を見ると、口元の緩みきった先輩が居た。


「かわい」

「先輩にも女子高校生らしい感性が……」

「ぶん殴られたいならそう言って?」

「まぁ、やぶさかではないですけど」

「きもい」


 美麗な顔を歪めてべーっと舌を出す。

 流石に踏み込みすぎたようなので、咳払いをして一旦閑話休題。


「というか、俺が来るまでずっと外で?」

「うん。廊下は暖房がついてなくて寒かったね」


 だからずっとコート着てたのかぁ。

 よく見ればほんのり頬は赤く染まり、上気しているようにも見える。見方を変えれば妖艶にも見えるその姿は、今はあまり気にならなかった。でっかいネコの前では人間は無力。


「なんで中入らないんですか」

「って言うけども後輩くん、見た目に騙されちゃいけないよ」

「というと?」


 びっ、と部室の中を彼女は指差す。


「あの可愛さだが、恐らく哺乳綱食肉目なわけだろう?」

「ネコ科ならまぁ」

「食肉目だぞ食肉目。あの子の機嫌によっては私はペットフードになってしまうんだぞ?」

「ペットフードにしては固くなさそうですけどね」

「まぁそこは骨の固さでバランスが取れるだろう。じゃなくて、普通に命の危機なわけだよこれは」


 大げさに体の前で腕を広げて語る彼女だが、言っていることは正解だろう。

 普通の大きさの猫でさえ、本気であれば武装していない人間よりも強いみたいな話を聞いたことがある。ならばその数十倍に巨大化した猫が人間よりも弱いわけはない。あの爪を振るわれるだけで哀れなエサの誕生だろう。


「じゃあ、なんでずっとここに?」

「かわいいから」

「かわいいからかぁ……」


 至って平静の顔でそう言われてしまえば返す言葉もない。

 確かに猫というのは元々が人間の本能に訴えかける可愛さを持った生物であり、それが大きくなれば嬉しいというものだ。何しろ空間あたりを占める可愛い濃度が上がる。……何を言っているのかわからなくなってきた。


 つまりでっかい猫がいると嬉しいという話だ。


「けどずっとこうしてるわけにもいかないじゃないですか」

「うむ。だから君を呼んだわけだ」

「……俺が来てなにか変わりましたか?」

「ん、可愛い後輩くんと猫の素晴らしさを共有できた」

「おっけー何も変わってないと」

「私の心持ちは変わった」

「猫は変わらずそこにいるんですよ」

「哲学的だねぇ」


 普遍的で絶対的な猫。いい響きではあるが、そこが部室の中であるのはとても迷惑である。普通に質量兵器だ。


「いやまぁね?実は心当たりがあるんだよ私は」

「猫に?」

「ああ。あそこに猫がいる理由を恐らく私は知っているんだよ」


 それは数日前のことだった、と話を初めつつ、彼女は憂い気に行きを吐き出す。校内だというのに寒すぎる気温は彼女の息を冷やし、白く染め上げた。そして、彼女はその真相を語り始める。


「あれは私が一人でクリスマスを過ごした夜のこと……」

「おお、物悲しい入りだ」

「私は布団の中で願ったわけだよ。来年こそは、猫と過ごしたいとね」

「そういうの彼氏とかじゃないんだ……」

「彼氏なんかよりも猫のほうが大事だろう!!」

「声でか」


 廊下に彼女の声が響き渡った。他の教室からびっくりした他の生徒がひょっこり顔を出していたが、先輩はなぜかウィンクで黙らせた。顔の良さの暴力やめてほしい。


「んでこう、あるだろう?羊を数えながら寝るやつ」

「ああ、日本語だと意味がないと言われているあの?」

「それだね。その要領で猫の大きさを数えてたわけよ」

「……ん??」

「1m,2m,3mってな感じで」

「それ羊の数以外で行われることありえるんだ」

「それで、ちょうどあのくらいの大きさで寝入ったんだよね」

「寝付きいいですね先輩」


 話に虚偽がないなら二、三秒で寝入ったことになる。幼稚園児でもその秒数ではねいらないんじゃないか??


「それによって生まれたんじゃないかと思うんだよねあれ」

「先輩の子じゃないですか。責任取ってくださいよ」

「なんかえっちだよそれ」

「思春期ですか???」

「世間一般的にはそう分類されているはずだよ。君も私も」


 そう言いながら、彼女は唐突に部室の中に入っていく。

 さっきまであの猫を脅威と捉えていた人間とは思えないほど軽い足取りで、部室の中へと進んでいく。その黒髪がたおやかに揺れ、ドアの向こうへと吸い込まれていく。


「え???」

「いやもう限界だ後輩くん。遺骨は拾ってくれ」

「え????」

「もうあの猫をモフりたい衝動に駆られて仕方がないんだよ私は」

「命に代えるほど???」

「ああ。使命のためならば」

「騎士の顔しないでくださいよそんなことで」

「うるせぇ!!おらーっ!!」


 情けない声を出しながら彼女が突貫する。

 猫はそれを拒みもせず、受け入れることもなく、ただそこで眠っていた。そして、彼女と、猫が衝突するその瞬間──




 ◆



「……あれ?」


 結論から言えば、俺は部室で目を覚ました。

 長机の対面では俺と同じように先輩が眠っており、温かい暖房の空気が充満していた。


「……夢オチとか、さいてー」


 何故か着たままだった上着を先輩にかけつつ、外を眺めた。年の終わりに進んでいく街は、クリスマスのときとはまた違った熱が街を覆っている。雲の隙間からテラス日光が、様子を伺うように街を照らしていた。


「んぅ……後輩くん??」

「どうしました?先輩」

「私、でっかい猫の夢を見たんだ。この部室を埋め尽くすぐらいの……」

「奇遇ですね。俺もその猫に先輩が突っ込む夢を見ましたよ」

「そうか。良い夢を見られたようで良かった」


 寝起きで目をぱちぱちしながらうわ言を言う先輩を見ながら、柄でもないことを考えていた。この年が終わるのが、少しだけ嫌だ。こんなだらけていて、くだらなくて、意味がわからなくて、でも温かい日常が、進んでしまうのが嫌だった。


 でも、それを笑い飛ばすように微笑んだ。


「先輩。いつか猫飼いましょうよ」

「なんだそれ、プロポーズかい?」

「そんなものです」

「まぁ……それもありだね。けど飼うなら犬がいいなぁ」

「あんなに言っておいて……」


 ふふ、と二つ笑い声が響く。


「うわ、でっかい猫の毛」


 先輩がふと何かを拾い上げる。それは先輩の髪の毛よりも長い……どころか、この学校にいる誰の毛よりも長いであろう毛だった。


「あー……クリスマスプレゼントじゃないっすか」

「ふふ、ありだね。こういうのも」

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うわ!でっかい猫! 獣乃ユル @kemono_souma

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