第17話「補佐官の初仕事」


「――こういう部屋に落ち着くのは、まだ慣れねえな。」


騎士団長補佐に任じられてから数日。

俺は騎士団本部の奥にある執務室で、机の上に山積みになった書類を眺めながら嘆息を漏らしていた。

戦場を駆け回っていた頃のほうが、よほど気楽だったと思う。けれど、これも王国を守るため。受けたからには応えなきゃならない。



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そんなとき、控えめなノックの音が響く。

「失礼しまーす。シチトラさん、いらっしゃいますか?」

顔を覗かせたのは、魔法学院の制服姿――ラニアだ。

「よう、ラニア。……ああ、ちょうど良かった。少し手伝ってくれねえか?」

「あ、はい! なんでも言ってください。今日は授業が早く終わったんです。」


ラニアはにこやかな笑顔で部屋に入ってくる。俺が執務室を使うようになってから何度か訪ねに来てくれているが、まだこの空間に慣れない様子でキョロキョロと辺りを見回す。

「改めてすごいですね、騎士団長補佐……本当におめでとうございます。」

「へいへい、ありがとな。実際、仕事の山に埋もれそうだけどな。」

苦笑交じりに言うと、ラニアは「わたしでよければ整理を手伝いますよ」と張り切ってくれる。助かる話だ。



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すると、再びノックの音が。

今度は黒いローブをまとったベアトリクスが顔を出す。

「失礼するわ。シチトラ、団長から書簡を預かってきたの……って、あら?」

彼女の視線が、室内で俺と並んで書類をめくっているラニアに向かう。

「……こんにちは。わたし、ラニアと言います。魔法学院の学生で……シチトラさんとは村でお世話になった仲なんです。」

ラニアがぺこりと頭を下げると、ベアトリクスは少し面食らった顔をしたが、すぐに口元を引き締める。

「そう。私はベアトリクス・ローゼン。騎士団の魔法使いで、第三遊撃部隊に所属してるわ。……あなたとは初めて会うわね?」


そう、二人はこれまでタイミングが合わず“すれ違い”ばかりで、ちゃんと顔を合わせるのは今日が初めてだ。

ラニアは学院での実地研修や魔物討伐で俺と行動していたし、ベアトリクスは第三遊撃部隊の任務で俺と一緒だったが、お互い接点がなかったのだ。

「よ、よろしくお願いします……!」

ラニアがやや緊張気味に挨拶すると、ベアトリクスも杖を抱えたまま、静かに目を細めて応じる。

「こちらこそ。……あなた、ずいぶん親しそうね、シチトラと。」

「え? あ、はい……そ、その……いろいろあって仲良く……」


空気が一瞬ピリッとする。俺は内心で(まずいな)と冷や汗をかきつつ、二人に視線をやる。

――お互い初対面ながら警戒モード? あるいは興味津々?

ともかく、このままでは気まずい雰囲気になりかねない。

「ま、まぁ二人とも落ち着け。今日はこれを受け取ってくれないか、ベアトリクス?」

話を切り出して、その場を和ませようとする。ベアトリクスが差し出した書簡と、こちらの書類を交換して、執務机へ軽く並べる。



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「これは……王の名による“叙勲(じょくん)”の話?」

ラニアが手に取った紙に目を走らせる。どうやら、大軍を退けた功績を正式にたたえるため、近々“表彰式”を行うという内容らしい。

「シチトラ、前に聞いたわ。騎士団長補佐にもなったし、さらなる叙勲を受けてはどうかって動きがあるみたい。」

ベアトリクスが補足する。けれど俺は、すぐさま首を横に振った。

「いや……これ以上は遠慮したい。すでに身に余る昇進をもらったから、表彰式とかは辞退しようと思ってる。正直、面倒だしな。」


ラニアとベアトリクスが同時に「えっ」と声を上げる。

「辞退しちゃうんですか? せっかく王様のご意向なのに……」

「そうよ。もらえるものはもらっておいたほうが……。」

だが俺は、むしろそこが気が引けるポイントだった。

「今の立場だけでも充分すぎるくらいだし、さらなる叙勲で式典なんて開かれたら……余計に目立つだろ。おれには性に合わねえよ。陰で動きたいタイプだからな。」

「ふふ、確かにあなたは表舞台より実戦向きかもしれないけど……。」

ベアトリクスは呆れと納得が混じったような表情だ。ラニアも困り顔で「もったいない気はしますけど、気持ちはわかります」と俯く。


「団長にも伝えてくれ。『今回は辞退する』って。おれはこれ以上、勲章やらをもらう気はねえってな。」

そう言い切ると、ベアトリクスは短く息をつき、わかったと頷いた。

「……仕方ないわね。とはいえ、王国としては“大功”を挙げた人材を前面に出したいだろうし、断ることでいろいろ騒がれるかも。覚悟しておいて。」

「ま、そのあたりは上手くやるさ。」



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するとラニアが「でも、噂では王女様も表彰式に出席するかもしれないと……」と言いかけて、はっと口を閉じる。

「王女殿下?」

俺が聞き返すと、ラニアは小さく頷く。

「わたしも断片的にしか知らないんですけど、王女殿下が、隣国との政略結婚を拒否したことが原因で、あの“大国”が不快感を示し、侵攻に踏み切った……という説があるみたいで。だから表彰式で王女と面会する可能性がある、と噂されてるんです。」

「なるほど。じゃあなおさら目立ちたくねえな。王女殿下と顔合わせたりしたら、いろんな面倒に巻き込まれそうだし……。」

不穏な事情が渦巻いているのは確かだ。ベアトリクスも同調するように言葉を継ぐ。

「それに、面子を潰されたその大国が次の手を打ってくる可能性もある。ここでさらにシチトラが表彰されて“国王の英雄”として扱われたら、相手にとってはさらに厄介な存在になるかもね。」


実際のところ、“呼吸法”や“魔力分解”など、俺の能力が広く知られれば知られるほど、敵は対策を練ってくるだろう。

「いっそ、目立たず裏方で働くほうが得策……って、やっぱり辞退しよう。異例の昇進だけでも十分話題になってるんだし。」

「うん……わたしはシチトラさんの意思を尊重します。もともと式典が好きってタイプでもないですよね。」

ラニアが控えめに笑うと、ベアトリクスは「それは確かに」とくすりと笑った。



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こうして、俺は王の叙勲を辞退する方向を正式に決めた。

せっかくの褒賞を蹴る行為には不思議がられるかもしれないが、団長や周囲の理解さえ得られればいい。

ベアトリクスは「伝えておくわ。いろいろ質問はされそうだけど」と言い残し、書簡を抱えなおして出て行く。

ドアが閉まったあと、ラニアはどこかホッとした表情でこっちを振り向いた。


「……わたし、ちょっと安心しました。正直、あなたがさらに華々しく称えられたら、もっと遠い存在になっちゃう気がして……」

「ラニア、お前……。」

「もちろん、おめでたいことなんです。でも、わたしはこうして一緒にお茶を飲んだり、書類の整理を手伝ったりできる関係でいたいですから……。」

そう言いながらも、彼女の瞳にはほんの少し寂しさが混ざっている。俺が騎士団長補佐になった時点で、すでに“異世界最強剣士”として要人扱いだ。距離が開く不安を感じるのも無理はない。


「悪いな。おれ自身、出世なんざ望んでなかったんだけど、流れがそうさせちまったし……。けど、こうして一緒に過ごせる時間は続いていくと思う。」

言葉を探して伝えると、ラニアは「はい……」と小さく頷く。

一方で、さっきのベアトリクスにも“似たような感情”を覚える気がしてならない。彼女は彼女で、クールな仮面の奥に複雑な思いを抱えているんじゃないか……と思うと、胸がざわつく。



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「ところで、ラニア。さっきはベアトリクスとの初対面だったよな? どうだった?」

俺が何気なく聞くと、ラニアは少し戸惑った表情を見せる。

「え、えっと……すごく、綺麗な方ですよね。大人っぽくて、ちょっと近寄りがたい感じが……。」

「魔法使いとしても優秀だし、第三遊撃部隊の要みたいな存在だからな。きっと学院でも噂になるレベルだ。」

「そう、なんですね……。でも、なんだか鋭い視線を向けられた気がして……。シチトラさんと、すごく仲が良さそうだし、それが気になったのかも。」

ラニアは頬を赤らめつつ視線を落とす。その仕草に若干の嫉妬心が垣間見えるのは、俺の勘違いじゃなさそうだ。


(いっぽう、ベアトリクス側も“ラニアとどういう関係なの?”と警戒してるのかもしれない。何とも複雑な三角模様になってきたな……。)



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そんなことを考えていると、廊下のほうでバタバタと人の足音が響き、別の隊員が執務室に駆け込んできた。

「シチトラ・ハシダ補佐官、団長がお呼びです。緊急の軍議だそうで……!」

「軍議? 何かあったのか?」

「はい、どうやら隣国が再度兵を動かしたとの情報が……。詳しくは団長から直接お聞きください!」


またか、と思わず目を瞑る。あの大国が、まだ諦めていないのだろうか。

ラニアが「わたしも同行しましょうか?」と申し出てくれるが、学院の立場もあるのでとりあえず遠慮させる。

「大丈夫だ。ありがとうな。ラニアは学院の授業を優先してくれ。事態が切迫したらまた呼ぶかもしれないが……。」

「わかりました。気をつけてくださいね……。」



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こうしてまた、俺は雑務や式典の話どころではなく、国境の危機対応へ駆り出されることになる。

叙勲を辞退したところで、周辺国の目は相変わらずこちらを注視しているらしい。

(王女殿下の政略結婚拒否が原因だって話、本当なら、ますます状況は面倒だな……。)


そんな思いを抱えながら、重い足取りで廊下を進む。

ラニアとベアトリクス――二人が“初対面”で微妙に牽制し合っている雰囲気も気になりつつ、俺は再び“守るべき国”のための戦いに向き合わなくてはならない。

王女の存在はまだ遠いが、近いうちに“表舞台”で否応なしに顔を合わせるかもしれない。そのとき、どんな波紋が広がるかはまったく読めない。

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