第13話「揺れる想い―昼の邂逅と、夜の甘い誘い」
翌日、俺は騎士団の都合による訓練があるかもしれないと思っていたが、午前中は意外と暇ができた。第三遊撃部隊としての初任務を終えて、少しの調整期間があるらしい。
「どうやら手が空いたな。さて、何をするか……」
宿舎の簡素な部屋で肩を回しながら、昨夜のことを思い出す。ベアトリクス、ラニア――ふたりから“話がしたい”と誘いを受けているが、どっちが先になるのやら。
ちょうどそんなことを考えていた矢先、扉が軽くノックされた。
「あの……シチトラかしら?」
女性の静かな声。間違いない、ベアトリクスだ。
「おう、開いてるぞ」
扉を開けて入ってきた彼女は、黒いローブをさらりと羽織り、手には魔導書のようなものを抱えていた。隊の制服ではない、私服に近い装いが新鮮だ。
「おはよう。昨日はお疲れさま。……朝早くから訪ねてごめんなさい」
「いや、丁度いい。おれも暇を持て余してたとこだ。何か用でもあんのか?」
ベアトリクスはローブの胸元を軽く整えながら、小さく頷く。
「昨日言ったとおり、あなたの“魔力の流れが見える”という現象について、少し話を聞かせてほしくて。隊の詰所だと人の目があるし、ここで構わないなら少しだけ――」
「もちろん。人に聞かれんほうが都合がいいしな」
そう言いながらイスを勧めると、ベアトリクスはふわりと腰掛け、魔導書をそっとテーブルに置く。
「ありがと。……それで、改めて聞きたいんだけど、あなたは魔力を視覚的に『形として』見ているの? それともただ『気配』で感じ取っているだけなの?」
「うーん……オレ自身、正直よく分かってねえんだよな。何となく『色付きの風』みたいに捉えてる気はする。俺に言わせりゃ“刀を振るときの勘”みたいなもんだ」
「色付きの風……そんな表現、普通の魔法使いが聞いたら卒倒するかも。視えるなんて前代未聞だわ」
ベアトリクスは手元のメモ帳を取り出し、興味深そうに書き込みを始める。その横顔には学者のような真剣さがあり、同時にどこか楽しそうでもある。
「なるほど。まるで空気の流れを捉えるように、魔力の動きを捉えてる。身体強化術を施している相手や、魔法詠唱中の相手の“動きの予兆”が見えちゃうわけね……」
「おれとしては当たり前に思ってたけど、この世界の常識じゃ違うらしいからな。下手に騒ぎになっても面倒だし、あんたのほうで黙っててくれりゃ助かる」
「ええ、もちろん。私としても、あなたを奇異の目で見られる状況にはしたくない。……何より、あなた自身が変に意識しすぎると逆に力が乱れるかもしれないし」
そう言ってベアトリクスはペンを止め、じっと俺を見つめる。その瞳には、ただの研究対象を見るのとは違う、深い感情が混ざっているように感じる。
「ねえ、シチトラ。……あなたはこの世界で、剣士として、どうなりたいの?」
「どう、って言われても……強いて言うなら、あんまり縛られずに生きたいだけだな。騎士団に入ったのも、あの村を守りたかったからで……まぁ、守るもんがあるなら斬る。それだけだ」
「ふふ、あなたらしいわ」
ベアトリクスは少し微笑んで、両手を膝の上で組む。黒髪がローブの襟元に落ち、どこか柔らかい雰囲気を醸し出している。普段のクールさより、ずいぶん近しい空気を感じる。
「……おれ、思ったんだけど、あんたわざわざ朝っぱらから来るなんて珍しいな。そんなに気になったのか? オレのことが」
半ばからかうように言ってみたが、ベアトリクスは頬を少し赤らめ、視線を逸らす。
「…………まぁ、ね。こんな“研究欲”を掻き立てる人はいないし、それに……夜の見回りのときも、あなたは思った以上に優しかったから。……その、ちょっと気になったわ」
「そりゃまた光栄なこった」
俺が素直に返すと、ベアトリクスは小さく笑って立ち上がった。
「ありがとう、シチトラ。今日は色々と聞けて助かった。これ以上邪魔しちゃ悪いから、そろそろ行くわ。隊の訓練、午後からあるみたいだし……」
「おう、そうだな。また一緒に出動するときは頼むぜ」
「ええ、こちらこそ。また……ね」
彼女は魔導書を抱えて扉のほうへ向かう。去り際にチラリと振り返り、何か言いかけて……結局言わずに笑みだけ残して部屋を出ていった。
扉が閉まる音を聞きながら、俺はしばし立ち尽くす。妙に胸がざわつくのは、彼女のミステリアスな雰囲気に当てられているからか。それとも……
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その日の午後、短い訓練が行われた
騎士団の中央演習場に第三遊撃部隊が集まり、上級騎士らから“身体強化術”の基本をレクチャーされた。
とはいえ、俺はどうにもピンとこない。明確な魔力がない身だと、身体強化術そのものが扱えないのだ。
「ふうん、やっぱり腕が光ったりはしねえな」
「焦らなくてもいい。シチトラには剣士の地力があるし、そのうち独自の使い方を掴むかもしれん」
レオンが肩を叩いて励ましてくれた。ありがたいことだが、どうやら魔法を使えない俺が公式の強化術を覚えるのは厳しいらしい。
夕方、訓練が終わり、皆思い思いに帰路につく。俺も宿舎へ戻ろうとしたら――
「シチトラさん!」
遠くから呼びかけてくる声。ラニアだ。学院の制服姿で、こちらを見つけて手を振っている。どうやら今日は早めに授業が終わったらしい。
「おう、ラニアか。ちょうど今終わったとこだ」
「よかった。実は……もしよかったら、今日の夜、一緒にお食事なんてどうでしょう? わたし、あなたが帰ってきたことに気づいてから、ちゃんとお話しできる機会が少なくて」
ラニアはやや控えめに上目づかいをしている。彼女の可憐な雰囲気は、ベアトリクスのクールさとはまた違う魅力がある。
「食事か。まぁ、いいぜ。ところで場所は?」
「えっと……学院の近くに、ちょっとした酒場があって。雰囲気は……その、悪くないです。行ってみます?」
「酒場か。構わねえよ。久々に酒でも飲もう」
そうして俺は、ラニアとの夜の約束を取り付けた。
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日が落ちる頃、王都の一角にある小さな酒場。
学院の学生が集うには少し大人っぽい雰囲気の店だが、ラニアは慣れた足取りで奥のテーブルへ座る。
「うまそうな匂いだな」
俺はさっそく酒を頼み、ラニアも少しだけ“軽いお酒”を注文する。
「シチトラさん、狼の魔獣の話、もっと聞かせてください……。怖かったですか?」
「怖いってほどじゃねえ。戦国時代だろうが魔物だろうが、斬るときは一瞬だ」
「そ、そうですか。やっぱりすごいですね」
ラニアは尊敬と不安を混ぜたような表情で頷く。俺も話し相手がいるのは悪くないから、自然と口数が増える。
食事をしながらグラスを傾け、しばし談笑が続く。やがてラニアは少し酔いが回ったのか、頬を紅くして、俺をじっと見つめてきた。
「どうした?」
「……いえ、ちょっと思い出してました。あの村で一緒だったときのこととか。あなたがゴブリンや鬼豚をあっさり倒してくれたあの日々……今も不思議な感じです」
「俺だって不思議さ。戦国の世からこんな魔法だらけの世界に来ちまって、気づきゃ騎士団員だ」
「ふふ、そうですよね。……でも、あなたにとってはきっと自由に旅するほうが性に合ってたのかも。そういうこと、思ったりしませんか?」
ラニアがグラスをもてあそびながら尋ねる。その瞳には、俺を気遣うような優しさが溢れている。
「そりゃ、思わなくもない。たまにはフラッとどこかへ行きたくなる……が、今は村や仲間がいるし、悪くないと思ってる」
俺がそう答えると、ラニアは小さくうなずき、さらに一口酒を飲む。顔がさらに赤みを帯びてきた。
「そっか……よかった。わたし、あなたがここにいてくれると嬉しいですから」
その言葉に、素直に胸が温かくなる。ラニアが俺を慕ってくれているのは分かっていたが、こうして直接言われると妙にドキリとする。
やがて、酒場を出る頃には、ラニアはかなり酔いが回っていた。
「大丈夫か? 顔、真っ赤だぞ」
「だ、大丈夫です……ちょっとふらふらするだけ……」
「宿舎まで送るよ。学院の寮だっけ?」
「え、ええと……実は今、寮が工事中で、一部の学生は別の仮住まいをしてるんです。そっちまで来てくれますか……?」
ラニアにそう頼まれ、断る理由もない。夜道を歩きながら、彼女の腕を支えてやると、甘い酒の匂いが鼻をくすぐる。
「ごめんなさい……あなたにばかり頼ってばかりで……」
「いや、気にするな。ほら、転ばねえようにしっかりつかまれ」
「うん……ありがとう、シチトラさん……」
俺たちが辿り着いたのは、学院近くの古いアパートのような建物。部屋の前まで来ると、ラニアは鍵を取り出して扉を開け、中へ俺を振り返った。
「少しだけ、寄っていきませんか……?」
その瞳は酔いのせいか潤み、どこか熱っぽい。さすがに俺も、ここまで誘われて断るのは難しい。
「大丈夫か? 酔ってるんじゃ――」
「……酔ってます。でも、シチトラさんともう少し一緒にいたいんです。……ダメですか?」
上目遣いのラニアにそう囁かれ、胸がざわつく。もちろんダメではない。むしろ、彼女の気持ちに応えるなら、ここで無下に断るのは失礼だろう。
「わかった……少しだけなら」
俺はこくんと頷き、彼女の後に続いて部屋の中へ入った。
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部屋は小さなベッドと机があるだけの簡素な造り。
それでも学院寮よりは自由がきくのか、ラニアの私物がちらほら散らばっていて、生活感がある。
「ごめんなさい、散らかってて……ちょっと片付けますね……」
「いや、そのままでいいよ。座るとこは……どこでも大丈夫か?」
「は、はい……」
ラニアは少し恥ずかしそうに笑い、上着を脱いでハンガーにかける。薄手のブラウス越しに体のラインが透けて見えるのに気づいて、思わず視線を逸らした。
「……あの、シチトラさん」
呼ばれて振り向くと、ラニアはしずしずと近づいてきた。
「本当にいつもありがとう。あなたがいてくれるから、わたし……この世界で頑張ろうって思えるんです」
「おれは大したことしてねえけどな。村で会ったときから、お前は十分頑張って――」
言葉を続けようとした刹那、ラニアがそっと俺の胸元に手を置き、顔を上げる。
「あなたのこと、もっと知りたくて……わたし、ずっと考えてたんです。どうしてこんなに惹かれるんだろうって。……シチトラさんは、どう思ってますか?」
その潤んだ瞳に見つめられ、俺は一瞬、言葉に詰まる。
「おれも……お前のこと、悪く思ってるわけじゃない。正直、素直に好意を向けられるのは悪くないさ」
「じゃあ……」
ラニアは俺の首筋に腕を回して、体を寄せる。酔いに染まった頬がさらに赤くなり、呼吸が少し荒い。鼓動が速くなっているのが伝わってくる。
「……一緒にいて、いいですよね?」
囁かれる声に応えるように、俺は彼女の肩をそっと抱いて、鼻先をほんの少し触れるくらいに近づける。
「ああ……いいと思う」
そして、軽く唇が触れた。
触れ合うだけの淡いキス。それでも、ラニアの体が小さく震えているのが分かる。彼女も緊張しているのだろう。
「……もっと近くにいて、もいい……ですか?」
その問いに答えるように、俺はさらに抱き寄せる。ラニアも嬉しそうな吐息をこぼし、ゆっくりと俺の首に腕を回してくる。
薄暗い照明の下で、甘い酒の残り香が混ざり合い、体温がじわりと伝わる。一瞬、ベアトリクスのことが頭をかすめるが……今は目の前のラニアの想いを受け止めたい。
「シチトラさん……好き、です」
ラニアが震える声で囁き、さらに熱い吐息を漏らす。そのままベッドのほうへ体を預け、俺を誘う仕草を見せる。
「……おれも、お前といるのは嫌じゃない」
それだけ言って、俺もラニアの柔らかな体を受け止めるように抱きしめた。唇がふたたび重なり、互いの息が混ざり合う。
緊張からぎこちない動きになりつつも、ラニアは一生懸命に応えてくれようとしている。肌と肌の間には微かな魔力の温度が感じられる気がした。
――その後、お互いの距離はさらに近づき、淡い夜の営みへと流れ込んでいく。
激しくはなく、どこか初々しい気持ちを大切にするような、やわらかい時間。
ラニアは最初こそ戸惑っていたが、やがて恥じらいを秘めながらも、俺に身を委ねてくれる。俺も無理はさせたくないから、そっと優しく手を添えて、彼女の心と体の震えを受け止めた。
やがて、満ち足りた吐息が静かに部屋に溶けていく。
ラニアは微笑みを浮かべながら俺の胸に額を当てている。酔いと甘い余韻のせいで、瞼が半分閉じかけている。
「ありがとう、シチトラさん……わたし、すごく幸せ……」
「こっちこそ、無理させなかったか?」
「ううん……あなたでよかった。ほんとに、よかった……」
そう言ってラニアは腕を伸ばし、俺の手をぎゅっと握る。心地よい疲労と愛おしさが胸を満たす。
「少し休むか? おれも今日は訓練で体がだるいしな」
「はい……もう少しだけ、このままで……」
――夜は更け、深い安らぎの時間が流れていく。
明日以降、また騎士団の仕事が忙しくなるだろうし、ベアトリクスからの“研究”も待っているかもしれない。
だが今は、ラニアの穏やかな寝顔と、互いの体温に包まれながら、短い休息を噛みしめたいと思う。
面妖な世界はまだまだ続くが、このひとときは静かな幸せとして心に刻まれる――そんな夜だった。
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