サービス業の許愛もとあは、世間の大型連休には仕事を休めないので、許愛が参加するツアーには新婚のカップルなどはいない。旅慣れた人たちで構成され、全体的に落ち着いている。リタイア後の老夫婦がメインターゲットではあるが、許愛のような一人旅の参加者も、ちらほらいる。重たそうな一眼レフを首から下げて、ファインダー越しに狙いを定めているパターンが多い。


 空港で観光バスに乗り換えて、一行は網走国定公園へと向かう。いくつかの映画のロケ地としても有名な場所だ。チェックインの時間まで、こうして時間を潰すのだ。

 移動中のバスの中でも、遠くからこちらを見ている冬毛のキタキツネや、湖畔林で羽を休めている大鷲が目撃でき、それなりに盛り上がった。


 到着した宿は、なかなかに豪華だった。旅慣れた常連の皆さんは、屋内の展望風呂で済ませる方が多かったので、露天風呂はとても空いていた。貸し切りとまではいかないが、各々、適度な距離感を保っている。雪国の風情、雪見風呂。音のないセカイで、白い息を吐く。その贅沢を堪能しながら、全身の筋肉が、次第に緩んでいった。冷たい空気が、頬をやさしく撫でてくれていた。


 青白く光る雪原を見つめながら、ふと思い出す。精神科医である兄の許貴もときが、オープンダイアローグ(対話による治療)の研修でフィンランドに訪問した時の土産話を。

 現地の医師仲間であるジョエルに誘われて、フィンランド式のサウナでじっくりと汗をかききったあと、二人は全裸のまま雄叫びをあげ、雪の絨毯にダイブしたのだという。ピンク色に火照った肌が真っ白な雪の中に埋まり、気持ち良さとともに心臓が爆発する。こんなに強く激しく、脈は打つものなのかと感激したらしい・・・

 もしも雲の上から、天使がそれを眺めていたら、人間たちの好奇心について、何を思っただろうか。


 そんなことを、ぼうっと考えているうちに、いよいよのぼせそうになった。わりと熱めのお湯だったが、露天のため長い時間、入ることができた。身体の芯まで温まり、幸せとはこういう感覚のことをいうのだろうなと、ひとりで納得する。

 湯涼みがてら、宿の土産処を覗いてみることにした。

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