転移

 野良犬だったソラは幹也にとても懐き、幹也もソラを可愛がる。ソラは賢い犬だった。


 残暑も去り、秋が進むある休日。

 ランニングが苦で無くなった幹也は、来るサッカー大会に備え、ソラを連れて軽く走りながら遠出する。

 目的は隣町に住んでいる久美の家。

 

 最初は会うつもりが無かったが、近くまで来ると無性に逢いたくなる。

「ソラ、少し寄り道していくぞ。大切な女の子に会うのだから、絶対に吠えるなよ」

 幹也は、ソラの目を見ながら言う。


 幹也は携帯で久美を呼び出す。間もなく久美が現れた。幹也の言葉が通じたのか、ソラは大人しくしている。

「可愛い。この犬が、この前話していた、野良犬だったソラちゃん?」

「うん。僕に懐いてくれてね。結構大人しい。久美ちゃんも気に入ると思うよ」

「実はね、私も家で犬を飼いたかったの。でも、両親が犬を飼ったら何処にも行けなくなるから駄目だって。仕方が無いから猫を飼っているけど」

 久美は腰を落とし、ソラの近くに寄る。

「クウーン」

 ソラは、なんとも言えぬ愛らしい声を発する。

「可愛い」

 久美はソラの体に触る。ソラはそれを嬉しそうに受ける。

「ねえ、ソラを連れて土手まで行きましょ。私にソラのリード持たせて」

 久美は幹也からリードを受け取る。


 土手まで行くには少し距離がある。偶に車が通る道の歩道を二人は嬉しそうに会話しながら、ソラを先頭に歩く。

 家からの車の出入り用に造られた、ガードレールや植樹帯が途切れた場所に差し掛かかった。

 その時だった。ソラが久美の手からリードを引き千切るかのようにして、突然勢いよく道路に飛び出す。運悪く、後ろから自動車が来てソラは轢かれてしまった。

 誰も防ぎようのない一瞬の出来事だった。


ソラは体から血を流し、動かなくなった。半狂乱になった久美は、横たわっているソラに近づく。そして涙を流す。

「ソラ、ご免なさい。私がリードをしっかり持っていなかったから。ご免なさい」


 一連の出来事に、幹也は全く動けなかった。

 先の方で車を駐めた運転手が遣って来た。幹也が先に口を開いた。

「すいません。ウチの犬が飛び出したりして。僕の方で処置しますので行ってくれて良いです」

 運転手は犬の状態も気になったのだろうが、自分の車も気になったらしく、何かを言いたげだった。

 しかし、幹也の哀しみと激しい怒りの形相に、運転手は車に戻る。そして、車のフロント辺りを見回って、やがて車を発進して去って行った。


 幹也はソラを抱いて歩道に移した。そして怒気を込めて、

「ビク! お前の仕業だな。何故ソラを殺した!?」

 低い声で呻く様に呟く。

 久美は、幹也の言葉や表情に驚き動揺を見せる。


 幹也は久美の様子に気付き、落ち着いた口調に戻して、

「何かソラを包む布とか無いかな?」

「私、家から探して来る」


 暫く経って、久美がシーツを持って戻って来た。幹也はソラを包むと抱き上げた。

「ゴメン。僕帰る。ソラを庭に葬って上げたいから」

 久美はコクリと頷く。


 幹也は動かなくなったソラを抱いて帰る。その間、彼は激しい怒りを込めて言う。

「ビク! どんな理由があったにしろ、僕は絶対に許さない。絶対に、許さない」

 幹也の瞳は涙で濡れていた。

 比較的大らかにビクという宇宙物質を受け入れていた幹也。しかし、この日を境に幹也の気持ちが大きく変わった。



 久しぶりに道久が幹也を訪ねた。

「ソラが轢かれたんだって?」

「うん」

「それじゃあ、ソラの中に居たマイクロチップだかナノチップだかが、久美ちゃんに乗り換えたと言う事か」

 幹也は何も応えない。


「おい、ビク。お前は阿(あ)漕(こぎ)な真似をしやがるな。命という物を何だと考えている?お前達のように冷たい物質とは違うのだ。俺たち生物には温かい血という物が通っているんだ」

 カプセルに触れればビクと直接会話が出来る。道久は幹也が常に携帯しているカプセルに触れて離している。

 すると、

『人間だって蚊やゴキブリを目の敵にして殺しているだろ。豚や牛も殺して食べている。何を偉そうに。ワシたちと何が違う』

 ビクが呟く。

「それは違う。地球上の生物は自分たちが生きる為なら他の犠牲は許されている。地球の自然がそれを許したからこそ繁栄して来た。弱肉強食だ。確かに、人間ののエゴで命を粗末にしている部分はある。だが、地球外生物が地球生物の命を勝手に左右するのは許せない」

苦しい論理展開だとは感じつつも、幹也は更に言い足す。

「人間の身勝手、エゴで、今地球の自然から人間は厳しい叱責を受けている。自ら人間は責任を取っている所だ。お前等にあれこれ言われる筋合いは無い」


 地球外物質が反省しているとは到底思えないが、ビクは黙している。


「ビクお前、単なる金属の塊の癖に俺たち地球生物に何をするのだ? 我々はな、一度死んだら二度とこの世には戻れないのだぞ。お前等みたいに部品交換や修理すれば復活する命とは違うんだ」

 ビクが反撃する。

『確かにワシたちはマザーコンピューターが創り出した物に、親が望むパーツを付けるだけだ。しかし、遊びで作り上げているのでは無い。仲間達のプラスになるよう真剣に作っている』


「ビクよ。それなら、自分が作ったロボットが壊されたらどう思うのか? 修理すれば良いぐらいに考えるのか?」

『その場合は責任を持ってパーツ交換なり修理してやる』

「それでも元通りにならなかったら?」

『マザーに返す』

「その時、どんな気持ちで返すのか?」

『我々には人間ほど感情と言う物が深くない。幹也という人間に入って、初めて人間の感情という物に接した。だが、複雑過ぎて我々には分かり難い』

 

「じゃあ、僕がソラを失った悲しさは分からないという事なのか?」

 幹也が割り込み、叫ぶ。

『そう言うことだ』

「お前等の目的の為には、これからも多くの地球上の生命を犠牲にしていく積りなのか?」

 道久も怒りながら迫る。

『そうではない』

「ビクの仲間がどうなろうと、どうでもいい。ソラの命を返せよ」

 幹也が再び強く叫ぶ。


 ビクは再び黙ってしまった。

「おいビク。お前等の本当の目的は何なんだ? 地球を征服する積りなのか?」

 道久は、ビクに向かって問い詰める。

「叔父さん。ビクはだんまりを決め込んだよ」

「全く、肝心な時には黙ってしまう。汚え奴だぜ」


 何を思ったのか、道久は突然触れているビクのカプセルを、お手玉のように両手で扱い、カプセルを掴んでいない手を、ゆっくりとポケットに突っ込む。

 そして、ビクに気付かれないように目と体を使って、幹也に何かを伝える。

 何度か同じ動作を繰り返し、ビクのカプセルを幹也に返した。


 道久の不思議な動きに、幹也は暫く考える。やがて、幹也は何気ない振りして片手をある方向に向けた。

 そして、

「叔父さん、ちょっとトイレに行ってくるね」

 幹也は部屋を出る。


 道久は、幹也が指し示した机に行き、引き出しを開け、ソラに着けていたカプセルを手にすると、そのまま声を掛けずに幹也の家から去った。


 道久は、家に戻るとキッチンからアルミ箔を持ち出し、簡易天体観測小屋に入る。

 カプセルに幾重にもアルミを撒くと金属箱に入れ、小屋裏の土の中深くに埋めた。

 ソラがクビにぶら下げていたカプセルを。

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