一章② 遭遇、逃避、遭遇
そこにいたものを一言で表すなら巨人だった。その背丈は天井より高いのか僅かに身を屈めて猫背で通路を見下ろしている。手足も長くこの通路には収まり難いようで窮屈そうに縮こまっているようにも見えた。
肌は青黒く粗末な布で体の下部を辛うじて覆っている。その顔は正に鬼の様相であり、さらに頭部からは蒼い角が生えていることを考えると巨人ではなく鬼と表するべきだろう。青鬼。そう巨大な青鬼だ。
「あ」
目が合う。すると青鬼はその鋭い騎馬の並んだ口を開き…………
「っ!」
即座に首を引っ込め振り向き走る。
「逃げろっ!」
叫ぶ、がすぐに春人は思い出す。
「透さん! 先頭!」
その声に天音と彩花の足が止まった。これまで通った道を把握しているのもトラップを見抜けるのも透だけだ。先頭は絶対に彼でなくてはならない。幸いにして二人とも止まってくれたおかげで透がその脇を駆け抜けて先頭に立つことができた。
「何よ! 何が出たのよ!」
追いついてきた春人に天音が叫ぶ。
「鬼! でかい青鬼!」
「はあ!? なによそれっ!」
思わず天音は振り向き、即座に顔を前方に戻す。
「なによあれっ!?」
そして叫ぶ。確かにそこにはでかい青鬼としか言いようがない生物がいた。そのサイズが明らかに通路に合ってないせいで足もしっかりと伸ばせず這うように進んでいる…………しかしその大きさゆえかゆっくりに見えても速い。
「ひゃっ、ひゃう!?」
彩花も振り返ってそれを見てしまったのか奇矯な声をあげる。
「大丈夫? 走れる?」
慌てて春人が駆け寄って尋ねると、青ざめた顔で彩花はこくこくと頷く。幸いにして青鬼の迫る速度は逃げられないほどではない…………躓いたりしない限りは追いつかれることはなさそうに思えた。
だからただ全力に、四人は通路を走り続けた。
◇
「そ、そろそろ大丈夫じゃないかな…………」
青鬼から逃げ出して十分くらい走ったところで春人はそう口にする。五分くらい走った時点ですでに青鬼の姿は後ろに見えなくなっていた。それから通路を何回も曲がっているので撒いた可能性は高いだろう。仮に追いついて来るにしても休む時間はあるはずだ。
「ふひー、さすがに疲れたわ」
透が足を止めて大きく息を吐く。
「はん、だらしないわね」
そんな透を天音が鼻で笑うが、彼女も胸を大きく上下させていた。無理をしているのは明らかだが、今は空元気でも元気の内だろう。心が折れていないなら何よりだ。
「…………」
そして彩花は声を出す気力も無いのか無言で息を整えていた。酸素が足りないのか顔も青ざめているしやはり体力はあまりないのだろう。
「えと…………水を飲みましょうか」
そんな三人を見回して春人が提案する。全力疾走で疲れているし、それが無くても探索を初めて一時間以上経っていた…………その前から合わせればもう二時間近い。水は貴重ではあるがここらで水分補給してもいい頃合いだろう。
春人はリュックから水の入ったペットボトルを二本取り出すと一本を天音に、もう一本を透に渡す。残る一本はスポーツ飲料が入ったものだが、それは塩分と糖分を補給できる貴重品なのでまだ空けない方がいいだろう。
「悪いけど回し飲みで、それとあまり飲み過ぎないようにね」
なにせ確保できている水はこれだけなのだから。
「わかってるわよ」
注意されるまでもないと天音は鼻を鳴らし、それでも我慢できないというようにペットボトルの蓋を開ける。そのまま口に運んで一口…………二口。唇を離して一息を吐く。そしてさらにもう一口と唇を近づけようとしたところでぴたと止まる。
「…………はい」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたペットボトルを彩花は落とさないようにしっかりと受け取る。
「敬語じゃなくていいわよ。女同士なんだし」
「え、でも」
彩花が戸惑ったような表情を浮かべる。
「いいから」
そんな彩花に天音は強く繰り返す。
「私もあんたを彩花って呼ぶから天音って呼びなさい」
「は、はい…………ええと、天音」
「よし」
天音は頷く。
「それじゃあさっさと水飲んじゃなさい」
「あ、うん」
思い出したように彩花はペットボトルに口をつける。
「仲良きことは素晴らしきかな、と」
「…………いいんですかね」
「少なくとも歩み寄ってるんだからいいんじゃないの?」
適当に答えて透は春人にペットボトルを渡す。
「気を遣いすぎて自分の意見が言えないようじゃ困るし」
こんな異常な状況下なのだ。全員が自分の持つ知識をフルに活用してなお生き延びられるかもわからない…………それなのに自分の意見を口にできないような空気感ではどうにもならないだろう。
「そうですね」
それに春人は頷き、自分も水を飲むとペットボトルをリュックにしまう。
「ところでこれからのルート何ですけど、どうしますか?」
十分ほどとはいえ全力疾走で戻ってしまっている。進んだ道を戻ればあの青鬼に再び遭遇するだろうからルートは大きく変える必要がある。
「とりあえずあの化け物のいないところ迂回するしかないんじゃないか? 別に今のところは目的地があるわけじゃないしな」
春人達はこのダンジョンの脱出が目的ではあるがその出口の場所もわかっていない。確実に脱出するなら左手法で進むべきだが、化け物との遭遇や水食糧の確保を考えればそれは現実的ではない。
透のおかげでマッピングは出来るのだから、まず地道に未踏範囲を潰していってなにかしらの活路を見出すしかないだろう。
「何はともあれまずはやっぱ水の確保がしたいな。歩いて走ってわかったけど水が無いと本当につらい…………この分だと三日も持たないんじゃないか?」
「…………僕もそう思います」
そもそも一人で三日過ごす程度の量しか春人は用意していなかった。四人で分けるには少なすぎるし、そこに今のような運動が加われば消費量は跳ね上がる。飲みたいように飲んだら恐らく今日一日で水は無くなってしまうだろう。
「水道みたいなのがあればいいんだがな」
ダンジョンだから川はあり得ない。だとすれば期待できるのは地下水を利用した水道などの設備だろう。ここがどのような意図の元に作られた場所なのかはわからないが、化け物とはいえ生き物が生息する場所なら水場が設置されている可能性は高い。
「水音に注意して進むしかないですね」
だとすれば話しながら進むのはあまりよくないかもしれない。基本は黙って進んで誰かが話し出したら集中力が切れたという事で小休止…………体力面も考えてそんな方針で進むようにするしかないだろうかと春人は考える。
「はい、水返すわ」
話に一区切りついたところで天音が春人にペットボトルを差し出す。二人とも量を控えたようで水はそれほど減っていなかった…………まあ、今の二人の話は聞こえていただろうし普通の神経ならがぶ飲みは出来ないだろう。
「それでこれからどうするのよ」
「もう少し休んだら出発かな」
ペットボトルをリュックにしまいながら春人が答える。水は見つからないにしても疲労困憊して動けなくなる前に寝るところくらいは見つけたい。現状では長時間ゆっくり休める場所すらないのだから。
グルゥ
その唸り声は耳を澄ます必要すらなくはっきりと聞こえた。
ただ素直に休むことすらこのダンジョンは許してくれないらしい。
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