(2)――「私は、私のことを知りたくて来たんです」

「ようこそいらっしゃいました。どうぞ、お掛けください」

 調査相談窓口のカウンターには司書が一人、椅子に座っており。私の来訪に気がつくと、椅子に座ったまま、わかりやすく仕事用の微笑を浮かべ。私に、カウンター前にある椅子に座るよう促してきた。

「なにをお探しですか?」

 私が椅子に座ったことを確認すると、司書は早速用件を聞き出そうとしてきた。

 当然だ。ここはそういう場所だ。なにも世間話をしに、ここへ来たわけではない。

「私には、私に関する記憶がなくて……」

 どう言語化したものだろうか。

 これは調査相談窓口の利用客によくあることなのだが、自分がなにを知りたいのかを明確化しないままやってくる人間は、まま居る。今日の私も、そのうちの一人というわけだ。

「私は、私のことを知りたくて来たんです」

 だから現状は、そう伝えることしかできなかった。

「なるほど。お調べいたしますので、少々お待ちください」

 今のやり取りのどこで調査への糸口を掴んだのか、司書はすぐに備えつけのパソコンになにかを入力し、調査を開始した。

 司書がどんな画面を見ているのか、こちらからは伺えない。しかし、無駄のない手つきでなにかを入力し、画面を確認し……という動作を繰り返している。

 図書館にはそれぞれ蔵書システムというものがあるし、この図書館には、私のような人間が来た際の調査方法がマニュアル化されているのかもしれない。そう思わせる手際の良さだった。

「お待たせいたしました。こちらの資料は如何でしょうか」

 しばらくの後、司書はそう言って、一冊の本を持ってきた。

 それは、桜色の本だった。

 表紙に絵も文字もなにもない、まっさらな装丁の本。ページ総数は、三百ページほどだろうか。

「確認させていただきます」

 そう断って、私は司書から提示された本を手に取った。見た目の割に、手に取りやすい重さの本だ。重過ぎず、軽過ぎず。手にしっくりと馴染む。

 ぱらぱらとページを捲っていく。

 どういう括りの本なのか、目次には人名がずらりと並んでいる。

 ふと、そのうちのひとつの名前に目が止まった。


 桜居さくらい宏次朗こうじろう


 その名前を見た途端、すとんと腑に落ちるように、これが私の名前なのだと思った。

 理由も論拠もない。しかし、桜居宏次朗という文字列を目にしたその瞬間に、これは私のものだと思ったのだ。それ以上のことは説明できない。

 目次が示すページに飛ぶと、桜居宏次朗の生まれについて記載されていた。


 桜居宏次朗。男。☓☓☓☓年☓月☓☓日、■■県立■■■病院にて生まれる。家族構成――父親・桜居■■■、母親・桜居■■、祖母・桜居■■。


 この本には、それ以上の情報は書かれていなかった。

 しかし逆に言えば、私の基礎的な情報は手に入ったとも言える。

 この本の情報を信じるのであれば、私は■■県出身の現在三十五歳の男性であることがはっきりしたのだ。それがわかっただけでも、自身の輪郭がはっきりしてきたようで、心が僅かに軽くなる。

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