05 初めてのデート

「ただいま」


 彼はとん、とテーブルに箱を置く。私はぺらと本のページを捲る。

 出口を無くして、私の心は死んでいた。


「ケーキを買って来た。……評判らしい」

「私、いらないわ」


 この人も多分、誰とも付き合った事なんかないわね。どうしたらいいか分からないに違いない。それでこういうそれっぽくて上っ面の発想になるんだわ。

 紅茶と、皿に載ったバスクチーズケーキに溜め息をつく。


「夜に甘いものは食べないの、太るから」

「葉那は痩せ過ぎだと思うが……」  


 本を置いて立ち上がる。


「もう寝るわ。それと気安く名前を呼ばないで・て何度目かしら?」


「おやすみ」

 後ろから、軽く引き止めて頭にキスをされる。

 気持ち悪い。振り払って歩く。

 未だ少しズキズキするけれど、できるだけ正常に見えるような歩速で進んだ。


 どうしてあの人は勘違いしているのかしら。まるで私がもう恋人にでもなったような接し方じゃない。一度のキスだけで男女関係が成立するとでも思っているのかしら。

 隅から隅まで無神経なくせに。


 


 ボンゴレ・ビアンコアサリの酒蒸しスパゲティとサラダ、ワインの軽い夕食。

 ここに来てからもう何週目かしら。

 今はもう仕事に復帰している。以前より淡々として。

 結局処分なんてものはなく、傷病休暇だけの扱いだった。彼が口下手なだけだった疑いがある。それでも前より事務処理的なものを任されるようになった気がするけど、仕方ないわね。信用を取り戻す為には着実にこなしていかないと。

 でも不思議と以前より悔しくない。頑張ったところで誰が褒めてくれる訳でもないし、特に何か価値も感じられない。


 彼との関係は特に変わっていない。

 食事は和食が好みだと知ってからは洋食ばかりにしている。


「次の休みに映画を観に行かないか」

「一人で行ってくれば?」

「……」 

 別に冷たくしてる訳じゃないの。単に貴方に興味がないだけ。

「――そうね。次の休みはショッピングに行くから、付いてきても構わないわ」


 早く目を覚ましてあげた方が手っ取り早いわ。貴方と私じゃ全く、趣味も嗜好も違うのよ。



 洋服と、靴とバッグを適当に買って予約していた店に入る。

 つまらないわ。

 まあ誰といたってつまらないけれど。


「貴方も私といたってつまらないでしょ?」

「いや、お前といると楽しい」

「ねえ霧崎きりさき君、貴方、ちょっと勘違いしてるだけだわ……。私が好きだと言ったのは貴方じゃなくて貴方の父親なの。ここ、理解してるわよね?」

「ああ。あの時初めて、女を可愛いと思った」

「そう……」


 駄目だわ、これ。何を言っても通じなさそう。


「霧崎君て、どういう人が好みなの?」

「特にないな……。葉那は?」

「大人で多趣味でエスコートの上手い男性ね」

「そういう奴って、外面だけだと思うぜ」

「そう。まあ、貴方には無理ね」


 言って、くいとワインを飲み干す。

 空のグラスを軽く向けると、彼がボトルを傾けて躊躇いがちに言う。


「少しペースが早くないか?」

「お酒を飲む女性って好きじゃないかしら?」

「いや、そうじゃなくて……顔が少し赤い」

「じゃあ、もう帰るわ……」


 バッグを持って立ち上がり伝票に手を伸ばすと先に取り上げられる。


「私……貴方におごられたくないの」

「俺もだ」

「面倒な人ね……」

 歩くとくらりと酔いが回って来る。


「じゃあいいわ。貴方のエスコート、見てあげる……」


 男に寄りかかり、腕を組ませた。



 タクシーで対向車が過ぎて行く夜の灯りを見る。

 特に会話もなく部屋に着きとさりとソファに身を預けると、水を入れたコップが前に置かれた。


「つまらない人……」

「不合格か?」


 残念そうに苦笑いして隣に座る。


「真次さんならきっと、近くのホテルで少し休ませてくれたわ。ここは照明が明る過ぎて、目眩がするもの……」


 彼は立ち上がり照明を落とした。

 窓の外にビル群の夜景が見下ろせる。


「今日……葉那は楽しくなかったか?」


 手が握られていた。だから何でそう……


「逆に何で貴方が楽しかったのか謎だわ。私たち、特に何も話してないじゃない?」

「さあ……。何か、目で追ってる」

「貴方多分、『彼女』が欲しい年頃なんだと思うわ。誰か大学の友達に紹介して貰ったら? 流行の映画を観たり、雑誌に紹介されたケーキ屋に行ったり……それで喜ぶ女の子の方がいいんじゃないかしら」

「お前は何で喜ぶ?」

「休日はパリでオペラを鑑賞して老舗チョコレート店のカフェでゆっくり過ごすかしら」

「旅行に行くか」

「旅行じゃないのよ」くす、と微笑う。

「まあ感覚の違いなのかしら……価値観の差って埋まらないと思うわ」

「他で埋めればいいだろ」


 躊躇いもなく唇が近づいて、奪われた。――いいえこれはただ、唇が触れ合って離れただけ。


「貴方って乱暴ね」微笑わらって言えば

「……お前の気持ちが分からない」と彼は見つめる。

「どうして?」

「キスしても嫌がらない」

「程々に嫌よ……でもね、もうくだらないのよ。手を握られて嫌なのと同じくらいの感覚」


 握られた手を軽く振る。


「じゃあ葉那は多分、俺の事を好きになれると思うぜ」


 またキスをされる。

 だけど今度は唇を割って舌が入ってきた。

 意外。いつまでも触れるのが限界だと思っていたけれど。


「ん……」


 霞んだ頭、少し気持ち悪くて心臓が早くて、抵抗するのもだるくて、卑怯者ね。

 舌が咥内をなぞる。どうしてこんな行為が性的なのかしら。


「霧崎君……酔っているの?」

「俺は酔っていない」


 目鼻の距離で息が整わないうちに、また咥内を犯される。

「ふ……」

 貴方はいいわね。でも私は溜まっていく唾液をどうすればいいの?

 貪るような勢いだからだんだん押されて行って、ついに背がソファに沈み込む。


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