04 残酷な答え合わせ
「ねえ、ここって誰かの家じゃないの?」
オートロック付きマンションの一室に運び込まれて見渡す。部屋は広く、眺望もいい。少し殺風景と言える程ものは少なく片付いていた。
彼は黙ってキッチンへ向かうと珈琲を淹れ出す。その勝手知ったる様子に直感し思わず身震いした。
「まさかここ、貴方の家だなんて言わないでね……」
「そうだ」男は短く、何でもないように答える。目眩がした。
「ちょっと待って……貴方自分が何をしているか分かっている? 冷静になってよ……」
「ここが一番都合がいい。病院が近いし部屋もある」
男は当然のように答える。駄目だわ、昔から少し人とずれたところがあったけど。
「つまり貴方は、しばらく私と同居をする、と言っているのね」
「――そうだな」
男はその認識が無かったのか僅かの間考えてから言った。
「ふざけないで」冷たく言い放つ。
「絶対嫌よ。もう我慢できないわ。いいわ、脚も大分よくなったし、タクシーくらい捕まえられる」
「俺はお前は暫く誰かが傍にいた方がいいと思う」
「ああ、そう。お節介ありがとう。でも少なくとも貴方じゃないわ」
「お前は近くにそういう人間がいないだろ」
「余計なお世話よ」
かっとして、痛みも忘れて歩く。しかし手首が掴まれた。
「聞け」
「ッ……」
立ち止まると痛みでよろけるのを支えられ、仕方なく一度ソファに座った。吞気にコーヒーまで出される。
「見ていて痛々しい」
「知ったような事言わないでくれるかしら」
「既婚の男を追いかけて、仕事まで決めた。全部それを軸にして、他に人間関係を築こうとしなかった。それが壊れると冷静な判断力を失って死にかけた」
「……」
黙ってコーヒーカップに手を伸ばす。
そんなこと、分かっているわ。今更
「でも一言余計だわ。壊れてなんかいない」
「ああ、言い過ぎたな……。けど
「……!」
「俺も奇妙だと思う。あいつの事だから花束でも持って見舞いに来そうなものだ。だがあいつが言って来たのは――」
「何か……私に?」
唇に近づいた黒い水面が揺れて波立ち、こぼれないようゆっくりとソーサーに戻す。
「俺に、今回の被害状況だ。近辺だからと心配を装っていたが、今迄にそんなことはない。何故報道よりも前に俺に言って来たと思う?」
「私に――間接的に知らせる為だとして……職務体系を尊重して、よ。もう直属の上司じゃないから。でも、私が早く正確な情報を知りたいだろうと」
「お前の安否は聞いても来なかった」
「――だから何? 心配して欲しいなんて甘えていると思った?」
「死にかけても突き放すような奴だって、分からないのか?」
「貴方はあの人を余りよく分かっていないようだわ。仕事に対して真摯だし、厳しい事も言う。でもそれは私を信頼しているからよ」
どうしてだか口を閉じたら泣いてしまいそうで、そんな訳にはいかず止まらなかった。見当違いだと分かりながら目の前の男を
「貴方は昔から甘えたところがあるわね、霧崎君。仕事より家族を大切にすべきだとか。この仕事は普通の仕事じゃないのよ。国から任命されて、国民の命を預かっているの。貴方達だけじゃなくて貴方達を取り巻く日本ごと守るのが、あの人の大きな愛なのよ」
「……お前のあいつに対する解釈を否定する気はない。そうではなくて、」
男は言い淀み何か押し留めるかのようにぐっと指先を握り込んだ。
「あいつの背中を追い続けても幸せにはなれないと、そろそろ気づけ」
「幸せにならなくて結構よ」
「幸せにできないのにそういう風に追われ続けられたら、迷惑じゃないか?」
「――……っ」何も言い返せなくて唇を噛む。
「あいつと何か、あったんだろ」
「――別に……あったとしても、貴方には関係ないわ」
「一応あれは俺の父親だ」
「だから? 何かあったら私をどうするの?」
――殴りたいなら殴ればいい。その権利はある。固い表情と握られた拳を前に、反抗的に言い放った。
「そうだな。何かあったなら、あいつとは絶縁する。思い切り殴ってから」
「それは好都合ね……。貴方の存在が、一番邪魔だったもの」
「目を覚ませ、日下葉那」
手首が掴まれ真直ぐ見つめられる。あの人に良く似た整った顔で、絶対に違う蒼い瞳と、怒った様な表情。乱暴さ。
そして何が起きたか分からなかった。
頭が持たれて、顔が近くて、唇が押さえられていた。
何が起きているのか分からなかった。
顔が離されて、相変わらずの少し怒った様な蒼い瞳が射抜くように見つめている。
「俺がお前を幸せにしたい」
放心していた。
「お前のあの時の表情を、もう一度見たい」
「あの時って……」
「お前が目を覚ました時……居たのは親父じゃない」
「俺だ」
崖から真っ逆さまに堕ちて行く、そんな感じ。
溢れだした涙が止まらなかった。
――あの幸せは、夢ではなく、嘘だった……
初めてのキスは、好きな人ではなかった……
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