7 混乱②

 帰り道、そばで歩いていた一花が俺の脇腹をつつく。


「どうした? 一花」

「ねえ、お兄ちゃん……。さっきの人……、誰? ちゃんと考えてみてって言ってたよね? あの人」


 早乙女さんのことか。でも、告白されたことを一花に話してもいいのかよく分からない。この前、一花に「絶対彼女作らない」って言っておいたからさ。そういう話をするとまた不安を感じるかもしれないから、少し悩んでいた。


「ああ……、そうだよな。中学時代の友達だよ」


 そして一花には悪いけど、嘘をつくことにした。

 どうせ断るつもりだから———。


「そう? でも、どうしてって言ったの? あの人と何を話した? もしかして、告白とかじゃないよね?」


 何……? 鋭い。

 最初から知っていたのか、あるいは……ただの推測なのか分からないけど、告白という言葉にビクッとする俺だった。あれか、女の勘ってやつか? じっと俺を見ている一花からすぐ目を逸らしてしまった。


 なんかバレたような気がする。


「お兄ちゃん、告白なの? 本当に告白されたの? あの人に」

「い、いや! そんなわけないだろ? 一緒に遊ぼうって言われただけだ。冬休みだから……」

「なのに、どうして私から目を逸らすの? こっち見てよ、お兄ちゃん」

「あっ、うん……」

「ねえ、お兄ちゃん」


 そして一花が俺を呼び止めた。どうしたんだろう。


「お兄ちゃんは私がいるのに寂しいの?」

「えっ? いきなり? 寂しいわけないだろ? 一花がいるから。どうしてそんなことを言うんだ?」

「そうなの? じゃあ、ぎゅっとして!」

「えっ? 道端でそんなことをするのはよくないよ。一花」

「…………」

「家に帰ったらやってあげる、外はダメ。分かった?」

「うん……。分かった」


 そんなことで落ち込む必要はないと思うけど、一花……。

 そのまま手を繋いで家に向かった。


 ……


 さっきまでずっと悩んでいたくせに、はっきりと言えない。

 こういうの……。よくないって知っているのに、そんなことを考える暇もなく玄関で一花の体を抱きしめた。もし一花が俺の妹じゃなかったら……。そうじゃなかったら……、俺はきっと一花と付き合ったかもしれない。そして一花の言うのを全部聞いてあげたかもしれない。


 とはいえ、俺たちは家族だからさ。

 そんなことは一生できないと思う。


「ううん……。もうちょっと…………」


 可愛いってことは否定できない。

 あの外見の良い人しか好きになれない隼人も素直に自分のタイプって言うほどだからさ。綺麗な黒髪ロングと透明感のある肌、そして男の保護本能をくすぐる細い体と可愛い声。隼人がずっと一花の方を見ていたのも仕方ないことだよな。怖がってたからすぐ警戒してしまったけど……。


「一花、早く着替えよう。もういいだろ?」

「お兄ちゃんに抱きしめられるの好きぃ……。もうちょっとこのままでいたい……、ダメ?」

「玄関で二十分くっついていたけど……」

「ひん……。分かった」


 やっと部屋に入ることができて、しばらくベッドで横になっていた。

 そして玄関であったことを思い出してしまう。俺を抱きしめる一花の顔がまた真っ赤になっていたからさ……。それは俺のことを家族ではなく、恋人として……、恋愛対象として見ている顔だった。


 それにずっと好きって言ってくれたからさ。このままでいいのかな。

 こういう時、マジでどうすればいいのか分からない。

 距離を置くとすぐ泣き出しそうな顔をするし、そのままほっておくと本当にやばいことが起こりそうだからさ。どっちを選んでも一緒だった。


「お兄ちゃん〜」


 その時、一花が扉にノックをする。


「どうした? 一花」

「あれ? どうして制服なの?」

「あっ、今着替えようと……」

「じゃあ、居間で待ってるから早く来てね!」

「うん」


 急いで部屋着に着替えた後、俺はすぐ一花が待っている居間に向かった。

 そして俺は勇気を出して、一花に話すことにした。このままじゃダメだから、俺たちが家族として今の生活を維持するためにはちゃんと言っておくしかないとそう思っていた。


 俺は一花との曖昧な関係をはっきりさせたい。

 兄妹同士でこんなことを考えている俺も馬鹿馬鹿しいけど、それほど俺たちの関係は曖昧だった。


「一花……、ちょっと話したいことがあるけど。いいかな?」

「うん! なになに?」


 ソファに座って、俺はずっと我慢していたあの話をすることにした。


「最近、俺たちの距離感がおかしいというか……。ハグをするのは……、幼い頃からやってたし、あまり気にしないけどさ。一緒に寝たりするのはやっぱりよくないと思う」

「…………」

「そして兄妹同士でハグをするのもね、もう高校生だからやめよう」


 言った、言ってしまった。

 こんなこと……正直当たり前のことだと思うけど、なぜかすごく緊張して一花と目を合わせない。俺は……ずっと頑張ってきたからさ。そして一花には一花の人生があるから、高校生になってもっといい人と出会うんだ。


 都会に住んでいるから、都会にはたくさんの人がいるから。きっと会えるよ。

 高校生になれば、もっと広い世界が待っているはずだ。


「…………」


 すると、すぐ前から一花の泣き声が聞こえてくる。


「どうして……、そんなひどいことを言うの? 私には……、お兄ちゃんしかいないのに……。お兄ちゃんは私のすべてなのに、どうしてそんなことを……。私が可愛くないから? あるいは、あの人? 好きな人ができたの?」

「いや、お、落ち着いて。一花」

「だって、お兄ちゃんが言っているのは、どう考えても私のことがいらないって言っているように聞こえるから」

「距離感の話だよ、俺がいつ一花にいらないって言ったんだ……?」

「お母さんがいなくなってから、ずっとお兄ちゃんに頼っていたのに……。ずっと私のそばにいてくれるって言ったでしょ? どうして私と距離を置くの? どうして……、どうして……? お兄ちゃんは私の全部だよ? なのに……、どうしてそんなひどいことを言うの?」


 また……、その涙。俺は……、一花の涙に弱い。

 ずっと一花のそばにいたから、ずっとその涙を見てきたから、ずっとそばで慰めてあげたから、一花は女の子だから———。俺は……、もっと頑張るべきだとそう思っていた。


 そしてこの話を持ち出した時、こんな反応が出るってことも俺は予想していた。

 幼い頃にできたトラウマはそう簡単に消えないからさ。知っていたけど、それでも———。


「うっ……。お兄ちゃん…………」


 手がすごく震えていた。

 いつもの俺ならすぐ一花の涙を拭いてあげたはずなのに、今はそうしなかった。

 今、ここで耐えれば一花は成長する———。


 できる、俺は……俺は一花と普通の関係になりたい。

 だから———。

 だから———。


「……うっ……、お兄ちゃん……」


 本当に……、俺はどうしようもないやつだ。マジで。


「……一花、こっち見て」

「お、お兄ちゃん……。お兄ちゃん…………。うっ……、私のこと捨てないで。ずっと一緒にいたい。一緒に……いたい……」

「分かった。泣かないで……」


 結局、こうなってしまうのか……。

 泣きながら俺に抱きつく一花に、また負けてしまった。


「お兄ちゃん、また私を捨てようとした……。ひどい……! 私がどれだけお兄ちゃんのこと好きなのか知ってるでしょ?」

「…………」

「ねえ、答えてよ! 知ってるでしょ?」

「う、うん……。知ってる」

「じゃあ、私に謝って……。悪いのはお兄ちゃんだから……」

「はいはい、分かった。ごめんね……」

「言葉だけじゃ足りない!」

「うん? じゃあ、何かやってほしいこと……ある?」


 その時まで俺はハグしてとか、頬にチューしてとか、それくらいだと思っていた。

 でも———。


「キスして」

「…………」


 予想できなかったその言葉に頭の中が真っ白になってしまう。

 そして目を閉じる一花が俺を待っていた。


「…………」


 俺は……。

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