第6話 幸せを呼び寄せる動物
俺とラックの出会いは、共同経営者だった親友に裏切られ、明日からどうやって生きていこうと途方に暮れていた夜、家の近所の踏切で線路の上をよたよたと歩く灰色の毛玉を見たことだった。
線路は餌となる昆虫がいて、線路脇の側溝はねぐらになるとのことで、野生動物にとっては良好な生息環境が揃っているので、タヌキを見ることは珍しいことではない。
俺も何度か線路の上のタヌキを見たことがあったが、それはどれも電車に轢かれて死体となっており、生きている個体を見たのは初めてだった。
この時の俺は、珍しいこともあるものだと思って通り過ぎようとしたが、タイミングよく踏切から警報音が聞こえて遮断機が下りて来たので立ち止まった。
もう後数十秒もしないうちに、いつも通り目の前を電車が通り過ぎる。
目の先に見える灰色の毛玉は、何故か線路の上を歩くことに固執しており、よたよたと危なっかしい足取りで歩いている。
背後から巨大な鉄の塊が振動を響かせながら迫って来るが、灰色の毛玉はまるで気付いていないかのようによたよたと歩く。
周囲には俺以外には誰もおらず、灰色の毛玉を助けるような勇気ある者は現れない。
「…………」
普段の俺なら……仕事に終われていた頃なら、周囲に目を配ることなどしなかっただろうし、何ならスマホでスケジュールの確認をしていて、目の前で不幸な事故が起きても気付かない可能性もある。
「ああ、もう、何やってんだよ!」
だが、この時の俺は自分の明日も見えない状況に陥っていたからか、それとも今を一生懸命生きている命が、目の前で散っていくのを見るのが我慢できなかったのか……、
今思ってもどうしてそんな無茶をしたのかはわからないが、俺は反射的に遮断機を乗り越えると、線路の上の灰色の毛玉をかっさらうように胸に抱いて線路の上から退避した。
直後、電車が何事もなかったかのようにガタンゴトン、とジョイント音を響かせながら去っていく。
「…………はぁ」
命が助かったこと、電車を止めて迷惑をかけずに済んだことに安堵しながら、俺は一先ず安全な場所へ移動することにする。
すると、
「ビ、ビックリしたクマ!」
「えっ?」
いきなり腕の中から可愛らしい声が聞こえ、俺は目を見開いて目線を下げる。
何かの間違いかと思ったが、腕の中の灰色の毛玉がクリッとした大きな目でこちらを見ながら話しかけてくる。
「お兄さんが助けてくれたクマ? ありがとうクマ?」
「え、ええっ!?」
信じられない事態に、俺は堪らず声を上げる。
「タ、タヌキが……しゃべった!?」
「んなっ!? 失礼クマね! こんなチャーミングな尻尾のタヌキなんていないクマよ!」
そこから俺は、ラックからアライグマとタヌキの違いについて熱い講義を受けた。
ラックによると、どうやらアライグマとタヌキの最大の違いは、長くて太い縞模様の尻尾だそうだ。
それを聞いてその尻尾こそタヌキの特徴じゃないの? と思う人もいるかもしれないが、それは某配管工や、某キャラクターによる印象操作による勘違いであり、何なら彼等の方がアライグマのキャラクターであると改めるべきなのかもしれない。
「ということでラックはアライグマ、わかったクマか?」
「あっ、うん、わかりました」
安全な場所に移動してアライグマとタヌキの違いについて抗議を受けた俺は、興奮したように鼻息を荒くしているラックに、そもそもの気になっていたことを尋ねる。
「ねえ、さっきから君、人の言葉を喋っているよね?」
「……えっ?」
「えっ?」
ラックは目をまん丸に見開いて「しまった」というように口を両手で塞ぐ。
「お~い」
「…………」
「聞こえているんだろ?」
「…………」
俺の問いかけに、ラックは口を両手で塞いだままプルプルと首を横に振る。
いや、そのリアクションじゃ思いっきり聞こえてるじゃん。
どうやら喋れることは、秘密にしていなければいけないのだろう。
「フフッ……」
ラックの事情を察した俺は呆れたように苦笑すると、灰色の毛玉を地面に降ろして頭を撫でる。
「……まあ、世の中には動物が喋れるとわかった途端、金儲けしようと悪いことを考える大人が沢山いるから、そういう奴等に捕まらないように気を付けて生きるんだぞ」
そう言って俺は、キョトンとこちらを見ているラックに背を向けて歩き出す。
ラックを使って金儲けをしようと思ったことなどない、と言ったら嘘である。
だが、俺の中で人として絶対に守らなきゃならないラインがあり、誰かの人生を踏みにじって代わりに自分が幸せになるのは嫌だった。
そんなことをすれば、俺を裏切ったあいつと同じ最低の人間になるからだ。
人生最悪の死にたくなるような日に、喋るアライグマと遭遇するなんてどういう巡り合わせかと思うが、お蔭で少し元気をもらえたような気がする。
「残金は……三万か」
これだけあれば数週間は過ごすことはできるので、その間に今後の道を模索していこうと思った。
一先ず今日の閉店間際のスーパーで晩御飯でも買って帰ろうかと思っていると、
「ちょ、ちょっと待つクマ!」
背後から可愛らしい声が聞こえて来て、灰色の毛玉が俺の前に立ち塞がる。
「お兄さん、何だか辛そうだけど、何かあったクマ? もしよかったらラックが幸せにしてあげられるクマかもよ?」
「…………」
いきなり怪しげな宗教の勧誘みたいなことを言い出すラックに、不審に思った俺は見なかったことにして歩き出す。
「ああっ、何で無視するクマ? ラックは幸せを運ぶアニマイドっていうクマなのよ」
それから俺は、必死の表情のラックからアニマイドというものについて説明を受けた。
アニマイドとは、簡単に言うと色んな世界を巡り、自分が住んでいる世界にスカウトする動物の形をした精霊の総称だそうだ。
ラックのアライグマ以外にも鳥や魚、犬や猫といったあらゆる動物がアニマイドにはおり、主に自分を助けてくれたお礼に異世界へと招待してくれるそうだ。
アニマイドは異世界へ招待した人物が感じた幸福を糧としているそうで、多くの幸せエネルギーを集めることでキャリアアップして、ゆくゆくはこの世界の女神様の眷属になるそうだ。
そして驚くことに、日本には皆が知っている有名なアニマイドがいるのだという。
それはウミガメのアニマイドで、自分を助けてくれたお礼に海の中にある異世界へと招待して歓待したそうだ。
ここまで聞いてピンと来た人も多いと思うが、有名な人物とは浦島太郎だ。
浦島太郎といえば、竜宮城から戻る時にもらった玉手箱を開け、老人になってしまったというエピソードが有名だが、実はあの話はあとで浦島太郎本人が捏造した話だということだ。
その理由は、玉手箱ではなく金銀財宝を持ち帰って領主にまで成り上がった浦島太郎を羨んだ人々が、各地でアニマイド求めてウミガメの乱獲を行ったからだそうだ。
アニマイドだけではなく、ウミガメたちの危機を憂いた浦島太郎は、自分の物語のラストを悲劇に変えるだけでなく、老人の変わり身まで使って話に信ぴょう性を持たせて人々の熱気を冷ましたという。
今となってはその話が事実かどうかを確かめる術はないし、自分の生活を捨ててまで異世界へと赴く理由はない。
だが、この時の俺は現実世界に絶望し、全てがどうでもよくなっていたので、俺を幸せにしてみせるというラックの必死の説得に根負けし、異世界行きを認めたのであった。
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