第5話 タヌキじゃないクマ!

 脱色して染めたのとは明らかに違う、透き通るようなブルーの髪を持つ美少女の登場に、俺は言葉を失っていた。


 神秘的な美しさを持つエカテリーナ様が夜空に輝く月だとしたら、しなやかで健康的な肢体を持つこの少女は、真夏の太陽のように眩しい。


 身軽に動けそうなチュニックにフレアスカートという活発そうな服装の上に、使い込まれた革鎧に足元はどんな道でも踏破できそうな編み上げブーツ。そして右手にはグリーンワームを斬り捨てたと思われる緑色の血が付着した剣を持っている。


 街で見かけたら思わず二度見してしまいそうなほどの綺麗な女性の登場ではあるが、正直なところ気が気でなかった。


 その理由は言うまでもなく、彼女が持っている剣にあった。


 女性の後ろでは真っ二つにされ、緑色の血を噴水のように吹き出しながらピクピクとしているグリーンワームがいる。

 それはつまり、女性の機嫌次第では俺もグリーンワームのように真っ二つにされるかもしれないということだ。


 ど、どうしよう……とりあえずお礼をした方がいいのかな?


 声をかけてくれた様子からいきなり切られることはないと思う。

 こういう時にこそガイド役のラックに橋渡し役をお願いしたいのだが、生憎と灰色の毛玉はまだ戻って来ない。


「……お兄さん、どうかしました?」


 身動きを取れず佇む俺に、女性が長い横髪を掻き上げながら不思議そうに首を傾げる。


「もしかして恐怖でお漏らししちゃったとか?」

「い、いやいや、そんなことありませんよ!」


 俺は慌ててかぶりを振ると、自力で立ち上がってパンツが濡れていないことをアピールする。


「ほら、かなりビビりましたけど、漏らしてませんよ」


 未成年者ならともかく、まだ中年と呼ぶには早い壮年のおっさんとしては大人としての尊厳は守っておきたい。


「フフ、おかしな人」


 勢いよく立ち上がって仁王立ちする俺がおかしかったのか、女性は相好を崩して朗らかに笑う。


「私はクライスで魔物を狩る仕事をしているアリシアと言います。危ないところでしたね、ハジメさん」

「あっ、はい、ありがとうございます……えっ? ど、どうして俺の名前を?」


 何処かで名乗ったことあったっけ? と首を傾げると女性、アリシアさんは剣に付着した血を振るって腰に吊るした鞘にしまうと、ニコリと笑って俺の名前を知っている理由を話す。


「実は主様から、ハジメさんを守るように依頼を受けたんです」

「主様って……エカテリーナ様?」

「そうです」


 こっくりと頷いたアリシアさんは、腰から一枚のクルクルと巻かれた紙、スクロールを取り出す。


「ハジメさんは異世界からのお客様だから、万が一があってはいけないと、主様が冒険者ギルドに護衛のクエストを依頼し……」

「アリシアさんが受けた、と?」

「そういうことです」

「なるほど……」


 アリシアさんから差し出されたスクロールを受け取って中を見る。

 書かれている文字はこの世界のものだが、一万円で手に入れた『異世界安心・安全セット』のお蔭で問題なく読める。


「どれどれ……」


 横書きで書かれたスクロールを斜め読みすると、外に出た俺を守れという旨と報酬内容が書かれていた。


 指定された報酬については相場がわかっていないので、果たして高いのか安いのかわからないが、どうやらアリシアさんが受けたクエストは本物のようで、実は俺たちが外に出た時は常に護衛していてくれたようだ。


 俺はスクロールを再び丸めてアリシアさんに返すと、改めてお礼を言う。


「ありがとうございます。お蔭で助かりました」

「いえいえ、本当はもっと早く助けに入るつもりだったんですけどね」

「そうなんですか?」

「はい、実はここ数日、余りにも暇すぎてついさっきまで昼寝していたんです」

「……えっ?」

「お昼寝してお給金がもらえるって楽な仕事だと思ってたんですけど、置いてかないでって必死の悲鳴が聞こえたお蔭で、どうにか間に合ってよかったです」


 アリシアさんはスクロールを元に戻して、バツが悪そうに舌を出して苦笑する。


「ハハ……ハ、ま、まあ、間に合ってくれてよかったです」


 あの時、もしラックが先に逃げなかったら……必死になって叫ばなかったと思うと、空恐ろしい気持ちになった俺は、アリシアさんに今後は近くで護衛して下さいと必死にお願いしておいた。




 それからはアリシアさんに見守ってもらう形で、素材の採取を行うことにした。


 薬草は十分確保できたので、今度はニガニガ玉を取りに行こうと移動をしていると、


「ハジメさま~ハジメさま~」


 俺を見捨ててとっとと逃げたラックが、とてとてとやって来て俺の足に体を擦り付けて来る。


「無事でよかったクマ。助けてあげたかったクマけどラック、勇気がなくて逃げることしかできなくて……ごめんなさいクマ」

「ラック……いいんだよ」


 俺は膝を付くと、がっくりと項垂れるラックの頭を優しく撫でる。


 最初こそラックのことを裏切り者と思ったが、考えてみればグリーンワームなんてデカい虫を前に、何の力もないのに突撃するなんて無謀すぎるし、立場が逆だったら身を挺して灰色の毛玉を庇えたかと思うと無理だと思う。


「この世界のこと、まだよくわかってないから危険な目に遭うこともあるだろうけど、これからもガイド役を頼むよ」

「ハジメさま……はいクマ!」


 感極まって俺の胸に飛び込んで来るラックを受け止めた俺は、これでもかとふわふわの毛玉を撫でてやる。


 そうして一通り互いに慰め合って仲直りした俺たちは、気を取り直して一緒にニガニガ玉を探すことにする。


 すると、


「ハ、ハジメさん……」


 事の成り行きを見守っていたアリシアさんが、大きな目をキラキラ輝かせて興奮したように話しかけてくる。


「あのあの……私にもこの子を紹介してもらえますか?」

「えっ? ああ、そうですね」


 これから外に出る時はアリシアさんにお世話になるのだから、ラックのこともしっかり紹介しておくべきだろう。


「ラック、ちょっと来てもらっていいかな?」

「はいクマ~」


 俺はしゃがんで手を広げると、ラックが胸に飛び込んでくるので抱え上げてアリシアさんに紹介する。


「アリシアさん、こいつは俺をこの世界に導いてくれた相棒でラックといいます」

「よろしくクマ。ハジメさまをサポートするのが、ボクのお仕事クマ」

「ええ、よろしくね。ラック」


 アリシアさんはうっとりした表情でラックから伸ばされた手を取って握手をすると、滑るような動きでアライグマの頭を撫でながら問いかける。


「もしかしてラック君ってあなたはアニマイド?」

「そうクマ、ラックはアニマイドクマよ」

「そう……本物のアニマイドなんて初めて見たわ」


 アリシアさんはラックのことを興味深そうに何度も眺めながら頷く。


「しかも喋るタヌキなんて……」

「だ、誰がタヌキクマ! こんなチャーミングな尻尾のタヌキなんていないクマよ!」


 タヌキ呼ばわりされたラックは額に青筋を浮かべて自分がアライグマであること、タヌキとどう違うのかを怒涛の勢いで説明していく。



 怒られるアリシアさんを傍目に見ながら、俺も初めてラックと出会った時、タヌキと言って盛大に怒られたなと思い出していた。

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