第3話 異世界
「聖女様、私はフェリクス・ウェリントンと申します。ウェリントン伯爵家の次男で、カーマイン聖王国魔塔の副魔道士を拝命しております」
私とは違う黒髪―――艶があり、光の加減で青色にも見える前髪を軽く掻き上げた様相のその男は、魔道士と名乗った。見上げるような長身と体躯に、腰元にある刀のようなものが仰々しい。
私の訝しげな視線に気づいたのか、彼は銀色の瞳を腰元に向けた。
「私は魔法騎士でもありますので、このように帯剣を許されています」
「まほう、きし……」
「はい。生まれながらに魔力がありまして、魔法を使えます。魔力を持ち、魔法が使える者は概ねこの魔塔に仕える魔道士となりますが、その中でも武に長けた者は魔法騎士となり、剣を持って魔物と戦うことができます」
「魔物、がいるんですか」
「えぇ。ですがご安心ください。魔物の活性化には周期があり、今はそれほど活発に活動する時期ではありません。先代の聖女様が作ってくださった大陸結界もまだ綻ぶ頃合いではありませんから、少なくともあと百年程度は魔物がここ王都にまで蔓延ることもないでしょう」
落ち着いた彼の物言いに口を挟んだのはゲント医師だった。
「だからこそ次代の聖女様の召喚を行うとすれば百年後であろうと言われていたはずだが。今ここに聖女様が召喚された理由をぜひとも聞きたいところじゃの」
ゲント医師の言葉には明らかな棘があり、白い眉の下から覗く瞳にも険があった。私に向けられていた瞳とは明らかに違う。
「……そのお話はまた」
話を濁した男は、説明を重ねた。
曰く、ここは異世界であり、カーマイン聖王国という国であること。
王族を頂点とした貴族政治が敷かれていること。
この世界には魔物がおり、時折人里に現れては人間を襲うことがあるが、魔力を持ち魔塔に所属する魔道士と、
その両者でも対応しきれないときに、異世界から聖女が召喚されること。
聖女は
聖女の力を利用する代わりに、聖王国はその安全と幸福を約束し、聖女の意に沿わぬことは極力なされないこと。またその身は王族と並び称されること。
―――そんな話を聞かされた。
「ウェリントンの倅殿よ、そのくらいにしておきなさい。一度にすべての知識を与えては聖女様も混乱されるであろう」
「わかりました。ただ、あとひとつだけ」
そして副魔道士と名乗った男は、まっすぐ私を見た。
「もしあなたが元の世界に帰りたいとおっしゃるなら、帰してさしあげることもできます」
「え?」
思いがけない提案に文字通り目が点になった。
「帰れるんですか?」
「えぇ。先ほども説明した通り、なるべく聖女様の意に沿うよう、我々は努力します。ですので、聖女様がどうしてもここに残りたくないとおっしゃるのなら、聖女様を送り返す儀を執り行えます。とはいえ、本来は我々の国を助けていただきたいという本音がありますので、ご尽力をいただいた後に、という提案をさせていただくのですが……」
彼が再び言葉を濁した先で、私の思考はめまぐるしく動いた。
ここは異世界で、私は聖女として召喚された。そんな突拍子も無い、現実とも夢ともつかない事象に翻弄される中で、たったひとつ、紛うことない真実。
(ここには、アイツがいない、この世界には……私しかいない)
はっと顔をあげれば、冷たい印象の銀色の瞳とぶつかった。彼が告げた「帰してさしあげることもできます」という言葉。
「帰……る? あそこへ、帰ることになるの?」
逃げ出したくて、努力して、ようやく掴みかけたその出口を、あっけなく潰されたあの日。
その上に被せられた、絶望の言葉。
『―――おまえは俺のモノなんだよ、一生逃げられると思うな!』
「いや! いやよ、帰りたくない!」
身体をきつく抱きしめて叫ぶ。
「聖女様、どうなさい……っ」
「嫌なの、帰りたくないの! お願い、やっと終わったと、終わらせたと思ったのにっ。また捕まって、もうこれ以上は―――っ!」
ドコニモニゲラレナイ、ノ?
頭の芯がすっと冷えていく感覚。再び薄れていく意識の中で、「聖女様!」と強く私を揺さぶる声がしたものの、それに掴まることはできなかった。
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