第2話
パトロール・ルートを再設定。
落書きのあった場所は人の目に届きにくい場所。監視カメラの少ない裏路地や、トンネルの中、橋の下など。
プロファイリングソフトにデータを突っこんでみたが、少女は非行少女というわかりきった答えが出ただけだった。アップデートしておくべきだったかと思いながら、ワタシは歩く。
時刻は午後9時過ぎ。にぎやかだった大通りからの声もだんだんと小さくなっていって、街は夜の静寂に包まれようとしている……。
そんな中、フードを目深にかぶった小さなかげが見えた。大人というようには見えず、塾帰りの学生のようでもない。
手には、何かでいっぱいの袋。
「そこの君」
呼びかければ、その子の肩がビクンと震えた。
怪しい。
「パトロールです、少しお話を――」
言葉の最中で、その子は走りはじめた。
「待って!」
呼びかけても止まらない。ぐんぐん加速していく。
ワタシは追いかける。が、なかなか追いつけなかった。モーターはサビついてるし、バッテリーはすぐに減るし……全部旧式なのが悪い。
本気になれるのはちょっとの間だけだ。10秒持つかどうか。
逃げる子は、堤防わきの階段を駆けおりていく。
「あっ」
ソプラノの声が響いたかと思えば、袋から銀色の容器が落ちて、カランコロンと転がっていく。
暗視カメラを一瞬起動させ確認――スプレー缶だ。
その子は落としたものをひろうかどうか悩んでいたが、再び走りはじめた。
ちょっと距離が縮まる。だが、その背中は遠い。
バッテリーは心もとないが仕方ない――。
ワタシは脚に力をこめる。
「セーフティ解除」
瞬間、体に力がみなぎる。モーターがきしみ、瞬間的な電力増加に回路が熱を持ったが、気にしてられない。
砂利を踏みしめ、腕を振る。
少女の背がみるみる大きくなる。
腕を伸ばせば届く距離。
ワタシはちいさな肩をそっと掴む。
少女が振り向いた。
驚き。そして、怒り。
捕らえられることに対してではなく、命なきワタシたちへと向けられたもの。
理解不能な反応に気をとられていたら、体がズシンと重たくなる。
脳内で赤いランプが点灯。バッテリー不足とか股関節のモーターがオーバーヒートしかけているとかなんとかかんとか警告が出る。
エネルギー不足で、走っていたからだが急にブレーキを踏んだ車みたいにつんのめっていく。
少女が悲鳴をあげる。
ワタシはギギギと腕を回し、彼女を包みこむ。そして、地面をずるべしゃと滑っていった。
ワタシは再起動する。
おんぼろのワタシは衝撃をくわえられただけなのに、すぐこうなる。やれやれ、首を振れば体が重かった。バッテリーは赤い。省エネモードか。
チェックプログラムで点検……致命的な問題はなさそうだ。
起きあがろうとしたら、出来なかった。
はて、腕にも足にも異常はないのだが……。
見れば、手首と足首がロープで
それに――あの子の姿もない。
「やっと起きたのね」
ワタシのカメラに影が落ちてくる。見上げれば、笑う少女がワタシを見下ろしてきていた。
さっきのパーカーの子だ。
そして、前に取り逃がした連続落書き犯だった。
「アナタは」
「言うわけないじゃない」
「身分証明書を」
少女はポケットから何かを取りだして、放りなげてきた。
クルクル飛んできたそれをカメラで認証しようとしたができない。正式な身分証明書ではないのだ。
少女は腹を抱えて笑っていた。
「それ、名刺よ。しかも紙の」
改めて見れば、確かに紙でできている。道理でスキャンできないわけだ。
真っ白な長方形には、グレイス、とだけ書かれていた。
見上げた少女の髪は黒く、虹彩はブラウン、顔はふっくらとしていて、背もそれほどは高くない。名前は洋風だが、見た目は純日本人だ。
「偽名ですか」
「
ワタシはイモムシのようにのそのそ這って、何とか立ち上がろうとする。が、起きあがれない。
「あなた、縄を引きちぎらないの」
グレイス――今はこう呼ぶほかない――は顔の近くにしゃがみ込んで、覗きこんでくる。
純粋な興味で聞いてきているらしいが、ワタシは答えられない。
自分の状態を外部に漏らすことは禁止されている。
「答えられないのか答えたくないのか。どっちみち、抜け出せないってことよね」
グレイスがニヤリと笑った。悪いことを思いついたときにヒトが見せる反応だと、プログラムが警告する。
「橋に描いてやるつもりだったけど、気が変わった」
グレイスは地面に散らばったスプレー缶を拾いあげ、カラカラと振る。
「アンタを題材にしてあげる」
「ワタシに落書きするのはやめてください」
「あのね。言っとくけど、わたしのアートを
その幼い目は、強い決意でギラギラ輝いていた。
「
「お生憎さま。こちとら捕まることはハナから気にしてないの」
立ち上がったグレイスは、ワタシのことを「あーでもないこーでもない」と言いながら、あっちへ行ったりこっちへ行ったり。
「何しているのですか」
「どんなのを描いてやろうか考えてんの」
「意外です。めちゃくちゃにするとばかり考えていました」
「バカね。ワタシは芸術家のつもりなの。そこらの下品な男どもと一緒にしないでちょうだい」
「すみません。あなたは少女でした」
すねを蹴られた。人間であれば痛みに叫んでいたところだ。
「そういうアンタは古いのね」
「警察は貧乏ですから」
犯罪の発生数は年々減少している。犯罪者が出にくいのだから、警察にお金をかけているわけにもいかない。一に節約、二に節約、ちなみに三四はない。節約しなければいけないから。
「ぼろいアンタが駆りだされている、と」
「求められるのは機械としてうれしく思います」
「機械の考えてることはわかんないな」
言いながら、そこらに転がっているスプレー缶を拾ってはワタシのまわりに置いていく。十個以上はあった。
準備するグレイスを見ていたら、睨まれた。
「なによ」
「いえ、ヒトが絵を描くところをはじめて見ましたので」
「そうでしょうね。機械は絵なんて描かないでしょうし」
「アートプログラムをインストールすれば、可能です」
ワタシの旧式の頭ではいっぱいいっぱいになってしまうだろうが、新型ならなんでもこなせると聞いたことがある。後輩なんかは、パトロールもできるし油絵もちょっとしたものらしい。
カチンと音がする。
次の瞬間には、真っ白なミストがワタシの目に降りそそいだ。
「……びっくりしました」
「悪かったわね。アンタが変なことを言うから」
事実を口にしたまでです――機械、それも旧式といえども、その先の言葉は黙っておいた。
少女が怒っていることくらいワタシにだってわかるのだ。
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