第3話
待ち合わせ場所に到着し車を降りる。山梨県某所にある山奥で、ここから先は徒歩でないと進めない。一先ず車内で暇を潰しながら相手を待った。
ややあって車のエンジンが近づいてくる。バックミラーで確認すると古いセダン車が一台、こちらに向かっていた。
紙巻タバコを咥えながらエンジンを切り、ドアを開ける。セダン車は端に寄りながら減速し、近くに停車した。
「東さんすんません、こんなとこに呼び出して」
傍に寄り、降りてきた刑事に軽く謝る。
「ホントだよお。急に連絡があったと思ったら、とんでもないとこに......」
あーさむさむと身を震わせ、東は後部座席からコートを引っ張り出した。羽織つつ南美に問いかける。
「琉生さんは? 大丈夫なの」
牛にしては小柄な東は、コートのポケットに手を入れて背中を丸めた。持病のせいで寒さに弱い。
「ええまあ、一先ず意識は取り戻して、今はリハビリしながら治療を進めてます」
「居なくていいの、彼女の傍に」
「ええ。あの子には両親がおりますから」
南美の言葉に東は目元に皺を寄せ、「そかそか」と肯いた。
「君が入院してるあいだ、お見舞いに行けなくてすまなかったね」
「いや、状況が状況でしたから。それよりはよ行きましょう」
ざっと靴底を鳴らし、車道の片側が封鎖された先に向かった。バイクならギリギリ通れるが、それでもひび割れ穴があいている箇所もある。徒歩で行くのが正解だ。
「この先に古い電波塔がありましてね、特に義体化してると影響を受けるらしいんです」
「噂で聞いた事があるね。でも山梨県にあるとは思わなかった」
「他のとこにもありますよ。関東やとここが一番古くて範囲が広いってだけで」
白い煙を吐く。散らばった小枝を踏みしめ、緩やかな坂をあがっていく。
「あたしの大丈夫かな」
「まあ大丈夫やと思います。半身ぐらいやったら何人かここで働いてた人もおったようなので」
「ふむ……義体男は全身って話だから、寄りつけない場所なのかな」
「そうなります」
「でもネットを通じて電脳を覗けるんでしょう? 五月雨からの報告だとそうなっていたけど......」
「ええ。ヱマさんの証言でもそれは分かってます。やから古い電波塔なんですよ。古い電波を細々と発信しとるんで、常に最新にしてるだろう義体男からしたらノイズになる可能性が高いんです」
「ふーむ......あたしは専門外だから分からないけどね、それってきちんと検証したものなの?」
「そりゃあ、東さんなら解っとるでしょう」
軽く振り向く。東は「そうだね」と笑って肯いた。
「君の方が自由に動けるだろうし。因みになにをしたの」
「言うて大丈夫ですかね。後から逮捕とか」
「それはしないしない。警察も暇じゃないからね」
裏社会にいる人間を通じて義体男に近い状態のハッカーを利用して実験した、それを答えると東は「変わってないね君は」と南美の背中を軽く叩いた。
「そのハッカーは義体男と同じで、常に電脳を最新にしてたって事かな」
「ええ。とはいえ完全に奴の事を分かっとる訳ではないので、ほぼほぼ憶測ですが......。それでもある程度電脳に特化した人間なら、古い電波はノイズになって電脳の処理速度が大きく下がる事は分かりました。流石にそこまでの対策はしてないでしょうし、一種のバグですから幾ら義体男でも無理でしょう」
五月雨でさえ、早坂でさえそのバグの解決方法は見つけられていない。共犯者がいるように見えない奴にそれが出来るとは思えないし、酷く限定的なバグをわざわざ直すとも考えにくい。
「なるほどね。古い電波なんて、ホントにこんな山奥の電波塔付近でしか飛んでないだろうし」
ざっと立ち止まる。眼前には一昔前の電波塔と、それを取り囲む金網があった。扉には南京錠がかかっており、鍵穴の部分は接着剤で塞がれていた。
「ただまあ、幾らナビを切っても車の追跡はできてしまう......私がここに来た事は知られるでしょうね」
狙われる危険性があがる、だが何もせずぼうっとしている気にもなれない。南美は拳銃を取り出すと南京錠を狙ってトリガーを引いた。
古い電波塔の足元にある管理室に入り、一先ず落ち着いた。南美は壁に背を預け、東に対して「単刀直入に話します」と言った。
「公安長官が義体男に脅されてます」
東は眼を見開いたものの、落ち着き払った調子で問いかけた。
「なぜ分かった?」
「長官からの接触により分かりました。娘さんと奥さんの命がかかっとるようで、捜査の停止と第四の特殊回線やネットに穴を作るよう、言われたらしいです」
「ふむ、義体男でも流石に第四のセキュリティは突破出来なかったって事かな……」
「恐らく」
南美は話を続け、陰山から託された件までを話した。
「それを東さんから警察に広めてほしいんです。私は元とは言え部外者やから……」
陰山が逮捕されるとしたら警察にだ。そうすれば実質保護という形になる。情報が知れ渡れば警察の技術でもウイルスの解除を試せるだろう。
「それに義体男は警察をそこまで脅威やと思ってない。実際サイバーに関してはいまいちですし、大和程の武力も公安程の捜査能力もない」
「まあ、基本は一般の治安を広く守るのが役目だからね。舐められているからこその奇襲、って事か……」
金庫に義体男は触れられない、そうすれば何が入っているかは把握出来ないし、それが南美の話を証拠づけるものだとは流石に思わないはずだ。もし仮に南美から警察に証拠もなしに話したとしても取り合わない。そこまでのリスクを警察は負えない事を奴は知っている。
だからこの一件は義体男に悟られずに進められる可能性が高い。
「だけど、そいつを手に入れたあとに君を襲ってしまえばバレるんじゃないかな」
東の懸念に南美は肯いた。
「それもあって、ここに来たんです」
壁から離れる。東は疑問符を浮かべつつ、外に出た彼のあとを追った。
古い電波塔のすぐ近くまで行くと、南美は錆び付いた梯子を見上げた。
「あれの上に丁度ええのがあるんですよ。東さんも見て把握しといた方がいいです」
振り向く。然し東はかぶりを振った。
「あたしの方が重たいから、その梯子だと多分壊れちゃう」
それに少し眼を丸くした。
「軽量のは入れてないんですか」
「いや考えてたんだけどね、結局身体に合わなくて重たいやつにしたのよ」
十年ほど前に事故で下半身を失ってから義体を使っており、今は多少癖はあるが走り回れるほどに回復した。然し重量級でないとバランスがとれないらしく、今の東の体重は軽く百キロ近くある。
南美はそれならと梯子を掴み、「後で説明します」と言いおいて登っていった。
ややあって手ぶらで帰ってくる。地面に足をつけると一息吐いた。革靴で登るものではない。
東の前でポケットを探り、一つのヒューズに似た物を取り出して見せた。上と下にちぎれたコードがくっついている。
「これは……」
「簡単に言えば、古い電波塔の心臓の一部です。こんなのが幾つもあるんですよ」
古い電波塔は災害時の情報を優先して流していた。その為一部が破損したり役目を終えたりしても、常に二十四時間稼働するように造られた。一つ一つが弱い電波を発信しており、それらが集まり電波塔となる。
「そのうちの使われとらんかったもんを取って来ました。ここは特に災害に直接見舞われる事もなかったんでしょう」
常に全ての小電波発信機が動いているわけではなく、予備として待機しているものもいる。南美が無理矢理引き抜いてきたのはずっと待機し続けてきたものだ。
「これを機械に繋げて命令を出せば、また電波を発信しはじめるんです」
とはいえ、知り合いのメカニックも初めてやる事だと言っていた。上手くいくかは分からない。
「弱くとも義体男からすれば煩わしいノイズになるのか……もし金庫の中身がしょうもないものだとしたらと考えたら、わざわざ南美君に接触しようとは思わないね」
「ええ。そのノイズもかなり独特らしいですからね。ハッキングなんかできんらしいです」
「相手に完全に姿を見られたら不味いものね。特に元刑事となると」
だから上手くいけば対義体男の防衛システムになる。そうすれば仮に金庫から取り出したとしても、近くに小電波発信機を置いておけば奴は寄りつけない。
「まるで蚊取り線香みたいだねえ」
「ああ、確かに。でも蚊取り線香は古いですよ東さん」
発信機をポケットにしまい直し、他に軽く近状報告を交わしてから車まで戻った。
「そんじゃあね、気をつけるんだよ」
とんとんっと南美の腕を叩いたあと、東はバックギアに入れて下がった。それから来た道を走り去っていく。
一つ息を吐き、義体男に嗅ぎつけられる前に離れようと車に戻った。だが街に出た瞬間。
「必死だな」
すぐ隣、助手席からヱマの声が聞こえてきた。反射的に視線をやろうと身体が動いたが、ぎゅっとハンドルを握りしめて歯を食いしばった。
「義体男、なにしに来たんや」
ちらちらと電脳がちらつく。ルームミラーが視界の端に写り、視線を前にやったまま片手で思い切り向きを変えた。
それに助手席に座った義体男は鼻で笑う。
「やはりお前はつまらないな」
呟くように言った声はヱマでもなんでもない、聞き覚えのない声だった。恐らく義体男自身のものだろう。とはいえじんわりとハッキングをしてくる、南美は運転に集中しつつも笑い返した。
「光栄やな。お前にそう言われるんは」
どこかに停めても意味はない、それより運転し続けて集中力を切らさない方がいい。
「ふん。何かこそこそとやっているようだな。無意味な事を」
歯を食いしばりつつ口角を引いた。
「怖いんか。自分の知らんとこでこそこそやられるんが」
瞬間、電脳のセキュリティが破られた。声が漏れる。車が軽く蛇行した。脳内に様々な記憶が入り乱れた状態で流れ、耳鳴りがしはじめる。
「ヱマをお前の前で犯してやってもいいんだぞ、南美。いや、」
「“サツキ”」
世間の音がこもり、鼓動が速くなった。然し眼前の横断歩道で親子が見え、南美は慌ててハンドルを切りながらブレーキを踏みしめた。
大きな急ブレーキの音が鳴り響き、娘を抱きしめて蹲る母親のすぐ側で車体が停止。道路にはブレーキ痕が刻まれた。
「くっっそ、野郎が!!!」
きれる息に怒鳴りながら拳銃を取り出す。助手席に銃口を向けたが既におらず、ぎりっと強く歯を食いしばった。
当てどころのない怒りと先程の瞬間的な恐怖、そしてハッキングによる酔いで南美は拳銃を握ったままハンドルに手をかけ、項垂れた。そのおかしな様子に母親が立ち上がり、助手席の開かれた窓越しに話しかけた。
「あ、あの、大丈夫、ですか?」
然し返事などしない。取り繕う余裕もない素の彼は顔をあげると、拳銃を助手席に放り投げギアを変えた。上手いこと親子を避けてその場を去った。
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