第2話

 歌舞伎町、いつもの地下駐車場に車を停め、事務所に向かった。

「あ、南美さん! 珍しい煙草入荷したんですけど、」

 普段出入りしている個人店の店主が、意気揚々と声をかけた。然し彼の顔を見た瞬間言葉が小さくなり、笑顔が萎んだ。

「アンタバカなのか。相棒の子が重症負ったって知らねえのか」

「え、あの鬼の子が? マジで?」

 近くの客引きが呆れたようにかぶりを振る。ネットニュースで何度か報道されており、それを知っている歌舞伎町の人間は避けるように南美から離れた。

 今の彼はいつ破裂するか分からない、ぱんぱんに膨れ上がった風船と同じ。下手なことをすれば一瞬で頭を撃ち抜かれる可能性がある。

 然しそんな彼の足が止まった。細い道で青少年達がわいわい騒いでおり、周りのことなど見ていなかった。

 南美は俯いたまま煙を吐く。風が吹いて流れていった。

 直後に銃声と薬莢が落ちる。警察仕様の拳銃は威嚇射撃に特化しているせいか、威力の割に音が大きく反響する仕組みだ。わらわらと大人達が顔を覗かせ、すぐにやんちゃそうなのが走ってきた。

「テメェら死にてえのか!」

「早く退け!」

 青少年達の髪や腕を掴み、道の端に引き摺る。歌舞伎町で飲食店をやっている二人組で、銃口を上に向けたままの南美に対して頭を下げた。

「南美さん、」

 その前に彼が動き出し、びくりと大人も子供も身体が震えた。拳銃を片手にタバコを咥え、歩き出す。大きな手に握られた黒い塊に青少年達は怯え、ゴミ袋の山につっこむ勢いで後ずさった。

 ふらふらと去っていく南美の姿は、とてもじゃないが元刑事には見えなかった。ただすぐに子供達を撃たずに空を撃ったのは、刑事としての心がまだほんの少し残っているお陰だ。

 南美の生まれは兵庫県神戸市内の特例地区であり、母親は高級クラブのママを勤め、父親は堺井組傘下の奇兵連合会にて若頭補佐を勤めていた。エルフとは思えない体格を持つ父親は、同じく神戸市内の特例地区で生まれ育った。そのせいで彼が産まれた時には既に名前がなかった。

 父は酷い女たらしで、何度か強姦罪で逮捕もされていた。とにかく論理観が欠如したバケモノと呼ばれており、強姦した後に殺害するケースもあった。

 若頭補佐としての能力は十分にあった。だから何度か「好みの女を俺が買ったるから、レイプすんのはやめろ」と注意を受けていた。彼を失うのは組織的にも痛手だったからだ。

 話術に長けており、冷静沈着で損得勘定を大事にする論理観のない人間……例え拾ってくれた組長が相手でも、一秒の猶予を与えずに射殺できる。裏社会の人間としてあまりにも優秀でそして厄介な存在だった。

 そんな男の血を強く受け継ぎ、同じ名無しとして同じ呼ばれ方をされる南美の脳内は、ギリギリ刑事としての父親に対する反抗心が理性を保っていた。

 然しその受け継いだ性質が、大きく仇なす事になった。

 ヱマが搬送されてから三週間目に入ろうとした頃、彼女の眼が覚め同時に田嶋の家に奴が現れた。

 病院から連絡を受けた南美は急いで車を走らせ、すぐに受付に向かった。周りの眼も気にせずにヱマのいる病室まで走る。

 遅れて連絡を受け取った田嶋は一先ず胸を撫で下ろし、キッチンへ向かった。尻尾を揺らして珈琲を注ぐ。

 息を切らしながら扉を開け、彼女を見た。弱々しい水色の瞳に口元を覆った。

 カップを片手にソファに座り、奴を見た。毒々しい赤黒い眼玉に手を離した。

「ヱマ、よかった……」

 そっと近づき、身体を寄せる。

「なんで、私の家に……」

 身体が固まり、その場から立ち上がれなくなった。

「みなみ」

 手を伸ばして顔に触れる。

「キョウカ」

 一歩踏み出し近づく。

「みなみ、そんな顔するんやなあ」

 ヱマはにへらと笑い、涙を流す南美の頭を撫でた。その柔らかく優しい手つきに鼻を啜り、少し声を漏らす。

「全然、さまさへんから、心配しとったよ」

 震えた声で小さく言うとヱマは手を後頭部にやり、抱き寄せた。仰向けになっているせいで体勢はキツくなる、然し南美はありのままの姿で泣きじゃくり、彼女の身体を抱きしめた。

「今頃お前の好きな男は他の女の前で子供のように泣いているだろうな、キョウカ」

 視界がちらつく。彼の姿が、顔に傷のない彼の姿がちらちらと映る。

「それが、どうした。脅しのつもりか」

 身体が強ばる。声が震える。脳が勝手に奴を彼だと認識しようとする。

「お前の前で好きな男は心の底から泣いてくれたか? お前の為に」

 尻尾を掴み、犬歯で舌を噛んだ。痛みによって意識を保っているが、それでも相手は強力だ。段々と呼吸や鼓動が速くなっていく。

「あの人は、そういう人なんだ。私に魅力がなかっただけ」

 ぎゅっと掴むと尻尾にある神経が刺激され、痛みが脳内を駆け巡った。然し明滅するように眼前の男が彼と重なる。傷一つない、髪をおろした彼の姿だ。

「単にいいように利用されていただけの事を」

 田嶋に覆い被さるようにして、義体男はソファの背に手を置いた。

「お前は単に立場と、その身体をいいように利用されていただけの哀れな女だ」

 紫色の長い髪が影となり、彼女の顔にかかる。細くなった瞳孔に被さるようにして、白い液晶画面が瞳に映った。

「まだ南美がお前を性処理に使っていた頃は良かった。そうだろう?」

 速い鼓動に合わせるようにして口から何度も息が吐き出される。

「だがどうだ、ぽっと出の、元公安長官だと言う年下の女に南美は奪われた」

 視覚、嗅覚、聴覚、全て眼前の男を彼だと認識する。顔にかかる髪の感覚でさえ昔の淡い思い出を引きずり出してくる。

「その女は南美に愛されている」

 狼の鋭い嗅覚は思い出のなかの匂いを嗅ぎ、義体男特有の機械油の臭いは脳にまで達していなかった。田嶋にとって南美との思い出は強く、半分程意識が飛びかかっていた。

「お前が望んで止まなかった生の性行為も、あの女は毎日毎日飽きもせずやっている」

 頭の中がぐるぐるとシェイクされ、思い出と義体男の声が入り乱れる。尻尾からは手が離れ、半開きになった口から涎が垂れ始めた。

「自分の方が南美を知っているのに、自分の方が南美と長く居たというのに」

 ぐっと顔を近づける。

「憎いだろう。琉生ヱマが」

 南美の声で囁かれた言葉に、田嶋のなかにじんわりとあった嫉妬心が揺らいだ。

「にくい、にくいよ。結局私は、」

 都合のいい女。彼に愛された事は一度もなかった。

 だが。

「あの子の方が、南美を幸せにしてやれる。私は大和総裁として近くにいれればそれでいいんだ」

 田嶋の言葉に義体男は笑った。

「そうだろうな」

 笑い、そして冷たく言った。

「だが南美が死にかけた原因は、お前の組織内にあった」

 彼の顔に傷が現れた。その白い双眸は睨みつけるように田嶋を見た。

「総裁として南美を守りたいのだろう。だが実際はどうだ。その組織内にいた看護師のせいで生死をさまよった」

 彼女の顔色が一気に崩れる。呼吸はもはや過呼吸と呼べる程で、眼は泳いでいた。

「そ、それは、」

 あの一件以来、まともに南美と連絡を取り合っていない。逃げていたからだ。ヤク中共の相手は一種の言い訳だった。

 視線を逸らし、俯く。耳はさがり、尻尾は内側に丸くなっていた。

「お前のせいだ。南美が死にかけたのは、お前のせ」

「あたしのせいじゃない!!!」

 ばっと反射的に叫んだ。そのせいか涙がこぼれ落ちる。

 田嶋はハッとして口元を覆った。

「わ、私は、そんなの、」

 ぶつぶつと呟く。実際、救護班は田嶋一人では把握しきれない程の規模だ、その為彼女は殆ど関係がない。大和内部にあるだけで本当は別の組織だ。

 そんな別組織の末端が実は裏切り者だとしても分かるはずがない。然し大和総裁という立場上、責任からは逃げられなかった。しかもターゲットはあの南美だ、関係がなくとも責任を感じるのは当たり前だ。

 義体男は一度離れ、そして笑った。

「哀れだな。たった一人の男に、何もかもを振り回されている」

 蹲り、耳を塞ぐように頭を抱える大和総裁の姿にヱマの姿を重ねる。


 ゾクッ―――――


 口元に手をやり、ゾワゾワとした感覚に少し仰け反った。

 手が離れる。よく笑っていた。

 自分を見つけ、追いかけてきた若い鬼の公安長官……未熟で未発達な長官……あの強気で何者にも動じない、真っ直ぐな眼。

「もっとだ。もっとやらなければ」

 あの硝子玉のような水色の眼、あれにヒビが入り粉々に砕け散った時こそが絶頂の頂点だ。

 義体男はくつくつと腹の底で笑い、その場から消えた。残された田嶋は頭を抱えたまま、誰に向かってか「ごめんなさい」と呟き続けた。

 ヱマの意識が戻り、怪我も順調に治り始めた頃。南美の事務所に一体のアンドロイドが来た。

『南美さん! お久しぶりです!』

 そう言いながら抱きついてくる。重たい身体に足を後ろに踏み出しつつ、「久しぶりやな」と悲しげに呟いた。

 最初期からこのビルの管理人を務めていたAI、それのデータやシンギュラリティに達した部分をコピーし、戦闘用アンドロイドにインストールしなおしたのが今日届いたのだ。大和の戦闘用アンドロイドであり、馬をモデルに無性別の身体で造られている。

 然し予め積まれているAIが二人に対する親愛を間違った方向で解釈、学習してしまったようで、大和の技術班からの連絡には「疑似恋愛のデータを勝手に学習しやがった」と呆れた様子で書かれてあった。

『お疲れですか?』

 声も違えば人間らしさもない......南美はアンドロイドから離れ、棚の奥にしまいこんだ小型ドローンの身体を引っ張り出した。

「......」

 身体の一部が黒く焦げ、溶けた跡がある。冷たく動く気配のない機械に息を吐き、腰をあげた。

「二型、アンドロイドペットの葬式やっとるとこ検索しとってくれ」

 南美の指示に『分かりましたご主人様』と答える。ぴくっと長い耳が動き、視線をやった。

「その呼び方やめろ」

 嫌悪感を孕んだ眼と声で冷たく言い残し、二階に上がった。

 小型ドローンを郵送したあと、煙を吐きながらデバイスを触った。トーク履歴から田嶋を探す。

 南美が刺される少し前ぐらいから途絶えており、通話もそれ以降記録がない。

 彼女の性格をよく知っている彼は息を吐き出しつつ文字を打った。電脳はなんとなく使いたくない、外部デバイスのままメッセージを送信した。

 すぐに既読はつかない。ズボンのポケットにしまいこみ、立ち上がるとジャケットを手にとった。

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