第1話(表紙絵あり)

表紙

https://kakuyomu.jp/users/nekomaru16/news/16818093091111929167


 病室内。機械音が一定の間隔で鳴り続ける。

 ベッドに横たわった彼女は眼を瞑っており、様々な管に繋がれていた。自分が刺された際もこんな様子だったのだろうか……南美はヱマの頭を軽く撫で、立ち上がった。

 部屋を出る。すると二人の鬼と出会った。

「あ、」

 声が漏れる。それはヱマの両親だった。過去に一度会った事がある南美は、軽く頭を下げて逃げるようにその場から離れた。

 母親の方が呼び止める。然し彼は背中を丸めたまま、足早に去っていった。合わせる顔がないからだ。それに母親は彼女とよく似ている、見るのが辛かった。

 ただひたすら現実逃避をするように歩を進めた。そうして車に乗り込み、やっと息を吐き出した。懐から電子タバコを取り出して咥える。

「……」

 ふつふつと怒りが湧いてくる。窓を閉め切った車内に煙が充満し、まるで彼の感情を可視化しているかのように揺らいだ。

「チッ」

 溜息を吐く。どんなに怒りを蓄えたって今はどうにも出来ない。警察も公安もみな追ってはいるが、一向に足取りは掴めていない。

 車を発進させ、手動運転のまま歌舞伎町とは正反対の方角に舵を切った。

 神奈川県横浜市某所。海の音を聞きながらボンネットに腰を預けた。

 冬の分厚い雲が太陽を遮り、海の煌めきは幾分かマシになっていた。だが少し荒れているようで音が激しく聞こえた。

 白煙がぷかりと浮かぶ。気持ちは落ち着いていた。

 然しざっと足音が背後から聞こえ、反射的に振り向こうとした。

「とまれ」

 低く僅かにノイズのかかった声。ボイスチェンジャーを使っているのが分かる。

 南美は眉根を寄せつつ海を見つめた。タバコの電源を落とし、懐に戻す。ジャケットの裏には二つのグリップがあった。

「誰や」

 苛立った声に男は答えた。

「陰山だ」

 その名前にぴくりと眉毛が動く。

「陰山? 長官の?」

 男は肯いた。

「ああ」

 訳が分からない。南美は「証拠は」と冷たく返した。

 ややあって電脳内に一つ送られてくる。それは所謂警察手帳のようなもので、公安調査庁のマークと共に陰山のIDが添付されていた。偽造は不可能だ。メッセージでもなんでもない、直接電脳にポップアップ画面が表示されている。

「……なんで、公安長官が私に」

 それにボイスチェンジャーまで使って。妙な違和感のせいで証拠を見せられても信じられなかった。

 陰山はなるべく声を潜めながら言った。

「依頼がある」

「依頼?」

 南美はそこで振り向いた。そうして眼を丸くした。

 陰山の眼が赤く光っていたからだ。自然と身体が強ばる。ボンネットから離れ、両足を地面につけた。

「単刀直入に言う。俺を助けてくれ」

 僅かに震えた声。南美は気の抜けた声で「は?」と呟いた。

 例の元凶、通称“義体男”はヱマを弄んだあと行方をくらました。既に二週間以上経過しており、彼女はリアルタイムでの高度なハッキングとPTSDのせいか、怪我の割には意識が戻らないでいる。

 無論、一度突き止めた事のある公安を筆頭に捜査を続けており、五月雨総裁も“再度”ネット空間に潜っている。然し一向に足跡一つ見つからず、困難を極めていた。

 だが。

「娘と奥さんが人質に?」

 不意に陰山の夢のなかに義体男が現れた。そうして今すぐ捜査を打ち切れと言い出した。勿論最初は信じなかったが、明らかに夢ではなくネット空間にいた。強制的に意識移動をされていた状態だった。

 そんな言葉にすぐにYESとは言わない。それは相手も分かっていた。

「やらなければ娘と嫁の電脳を焼き切る。そう言われた。そして、」

 第四の特殊回線及びサーバーに抜け道を作れ……義体男は姿も見せずに言いのけた。陰山は否定した。当然の反応だ。

「だが否定した直後、リアルの方で娘の叫び声が聞こえてきたんだ。弾き出されるように飛び起きたら、俺と嫁のあいだに寝てた娘が頭を抱えて暴れていた」

 頭が熱い、頭の中が熱いと娘は叫びながら悶え苦しんでいたようで、陰山はすぐに熱暴走用の薬を探しに行った。

「薬箱のなかに必ず置いてある。娘ぐらいの年齢だと身体の体温も手伝って熱暴走を起こしやすいからな」

 だがそこには一つもなかった。

「嫁に怒鳴った。なんで一つもないんだと。お互いにパニックだったんだろう、軽く口喧嘩になった」

 そのあいだにも娘の叫び声は大きくなった。陰山は近くのコンビニに買いに行くと言って飛び出し、なんとか薬を服用して熱暴走は止まった。

「いつもより酷く、そしてタイミングが最悪だった。恐らく自然に起きた事じゃねえ」

 義体男が脅す為に行った事だろう。もう既に奴の手中には家族の電脳が転がっている。

「俺は公安長官の前に、一人の父親だ。だから奴の言う通りに動く。この眼の光はその証拠だ」

 もし何か事を起こしたら熱暴走で電脳を焼き切るウイルスが発動する。そのウイルスに感染しているとこうやって眼が赤く光る。

「そこまでの技術があるんなら、私らの会話や思考も筒抜けでしょう。裏切り行為では」

 陰山は肯いた。

「そうだ。俺が早坂に事情を説明した分も全て、相手は知っているだろう。だから俺は適当なところで殺される」

 一つおいて南美を見つめた。

「奴は琉生の事をとにかく壊してボロボロにしたいらしい。だから俺がお前に頼る事を見越して接触してきたんだろう」

 全て、義体男の手のひらの上……南美はもはや怒りも湧いてこず、大きく肩を落とした。

「もし奴の要求通りやったとしても、娘さんも奥さんも助かる保証はありませんよ。それでも、」

「保証があろうがなかろうが分かってる死は回避したい」

 南美の声に被さった彼の声音は震えており、ボイスチェンジャー越しでも押し殺したような、苦痛の色があった。

 もしヱマと自分が同じ状況下なら、恐らく陰山と同じルートを辿っていただろう。仮に保証がなくとも目の前で確実に殺されるより希望はある。

「だから、俺がどうにかなってる間に決着をつけたい。奴を殺せば保証がなくとも家族は助かる」

「……貴方は」

「俺はいい。後任は既に決めてある」

 有無を言わせぬ声に南美は「わかりました」と息を吐いた。

「何をどうすればええんですか」

「お前には俺が逮捕された後を任せたい。ワンチャン奴に見つかってるかもだが、一応公安の事も含めて様々な事をアナログ媒体で保存してある。お前にはそれを持ち出して使ってほしい。嫁に言えば渡してくれるはずだ」

 それにすぐには納得しなかった。南美の考えている事が分かるのか、陰山は語気を強くして言った。

「わざわざ大昔の金庫を買ったんだ。例え義体男が気付かれずに侵入し破壊したとしても、完全にアナログの金庫の音はハッキングで消せない」

「そのまま持ち出されたらアウトでしょう」

「対策してある。持ち上げた瞬間に小規模な爆発を起こすように仕掛けてある。そっちも完全にアナログだから仕組みは同じだ。気付かれずに認識されずにをモットーにしてる奴からすれば、迂闊に触れない代物にしてある」

 力説する陰山の眼を見つめ、南美は眉根を寄せつつも肯いた。

「そこまで言うんなら」

 懐からタバコを取り出す。陰山はほっとしつつ「報酬は幾らがいい」と訊いた。

「貴方の死亡保険の二割です。そもそも公安がもっとしっかりしとればこんな事にはならんかった」

 だがその言葉はヱマに突き刺さる。彼女がハルカと共に追い詰めなければ……南美は煙を吐き、一先ず陰山の依頼を受けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る