雪降る夜の東京(2)

 東京の夜を襲ったまれな大雪。

 突然──帰路を急ぐマモルの足が止まった。


(あ!)


 マモルの視点が一人の青年の姿を映しとらえた。

 瞬間──あまりの衝撃にただただ大きく目を見開く。


(……陽ちゃん?)


 青年はビニール傘で雪を避け、自販機でタバコのまとめ買い──雪の向こうの自販機の明かりが、青年の顔を映し出す。


(陽ちゃん!!)


 降りしきる雪の中に立ち尽くし、マモルは呆然とその青年を見詰め続けた。


「ねぇマモちゃん、もしかして、あの人ってマモちゃんの好きなタイプ?」

「え、えっ?あれっ、ユウちゃんいつの間に……」

 ふと気が付けば、いつの間にかユウとアキラが両脇に立ち、ちゃっかりとマモルの顔を覗き込んでる。


「あんなんが好みなら、やっぱりマモルは面くいだ」

 腕組みに難しい顔を作り、アキラは勝手に納得の様子。

「ホントホント、すんごくカッコいいよね~♪美少年のマモちゃんにはお似合いじゃない?」

 ユウが嬉しそうな笑顔を見せる。


「ち、違うよ!そんなんじゃないよ!」

 マモルは慌てて否定したが、どう見ても完全に取り乱してる。

「マモちゃ~ん、ふふふっ、顔が真っ赤だよ~?」

「うぅ~ん、こりゃあ、典型的な一目惚れだな~」

 ユウとアキラがはしゃいでる。


「二人ともいい加減にしろよな、本当に違うから!」

 もはやこの連中には付き合っていられない。

 青年は用事を済ますとその場を離れ、雪降る彼方へ消えてしまう。

「と、とにかく今夜はこれで!

じゃっ、おやすみ!」

 マモルは二人を置き去りに、見向きもせずに青年の後を追い掛けた。


「んあ?なぁユウちゃん、あんなに露骨なマモルの態度、これまであんなの見た事あるか?」

「ん~ん、初めて見たよ。あんなにあせって、マジなマモちゃん」

 走り去るマモルの後ろ姿を、二人は呆然と見送った。


(陽ちゃん、陽ちゃんだよ!

絶対に間違いない!!)


 高鳴る動悸。乱れる呼吸。

 マモルの心は浮き足立った。


(どうしよう?なんて言って声を掛けよう?!)


 程なく青年は傘をたたみ、或る雑居ビルの中へと入って行った。

 後を追ってきたマモルには全く気付かず、真っ直ぐエレベーターへと乗り込む青年──。


 マモルは思わず躊躇ちゅうちょして、一緒にそれには乗り損なった。

 仕方が無いからその場に残り、その行き先を目で確かめる。

(3、4、5……階?)

 どうやら5階で降りたらしい。エレベーター脇に掲示された看板を見ると、5階には一軒しか店はない。


(この店に間違いない)


 マモルは微かに指を震わせ、透かさず上りのボタンを押した。

 胸が苦しい──心が焦る。


(陽ちゃん……よりにもよって、この街で出会うなんて……)


 込み上げる熱い想いに、マモルは思い切り目をつむった。

──そんな様子のマモルの肩に、後からぽんと手が置かれた。


「マモル~あのさ~これはかなりやばいよ~?」


(え?!)


 突然の事に振り返り、マモルは思わずのけ反った。

「げげっ!アキラ、おまえらまだいたの?」


 アキラの陰から、ユウまでが申し訳無さそうに顔を出す。

「マモちゃ~ん、このビルって有名なんだよ?知らないの~?」

「な、なんだよユウちゃん、こんなビル知らないよ?僕はまだ、君たち程この街には詳しくないんだ」


 アキラがしたり顔で腕を組む。

「だったら教えてやるよ。いくらマモルでも、売り専くらいは知ってるよな?」

「ああ、それくらいは知ってるけど……」

「うんうん、この街にはそんな店、掃いて捨てるほど有るけどさ、このビルはぜ~んぶ!隅から隅まで売り専なのさ」


 マモルは目を見開いた。

「え?全部売り専?」

 心配そうな顔をして、ユウがさらに説明を加える。

「あのさ~、マモちゃん、ここは売り専ビルってあだ名されてて、結構有名なんだよ?」

 

「売り専……」

 マモルは絶句し、唇を噛む。

「なぁマモル、おまえが始めてその気になったんだ、応援したいのは山々だけど、売り専の子だけは止めときな」

「アキラ?」


「確かに奴らはイケメン揃いで、モデルかはたまたアイドルかってなもんだけど、だけど奴らには心が無いよ。

金でお客と付き合うなんて、マモルにはそんなこと出来ないだろう?出来るわきゃないよな?あいつら甘~い話に乗っかって、金に目~くらんだノンケなんだぜ?

ノンケだから逆に何でも出来る。男なんて初めから性の対象じゃないから、だから金で割り切れる」

「アキラ……」


「気持ちなんてありゃしない。

金さえ払えば誰にでもホイホイやらせる。そんな奴らは相手にするな」

「そうだよマモちゃん、アキラの言う通りだよ。確かにカッコいい人だったけど、あんなの好きになっちゃいけないよ?ノンケは結局、女しか好きにならないんだから」

「だ、だけど、このビルに入って行ったからって、売り専のボーイだとは限らないだろ?」

 マモルは祈る思いで食い下がった。


 アキラとユウはため息まじりに困った顔を見合せる。

「なぁユウちゃん、あれってお客に見えたかい?」

「ぜ~んぜん!あんな若くてカッコいい子がなんでお客?タバコだって、店置きのお客さん用をまとめ買いに来たお使いだよね?」

 三人の間に沈黙が流れた。


 いつになくアキラが真面目に語る。

「なぁマモル、金さえ払えば直ぐにも付き合える。だけど、後で傷付くのはおまえだぞ?

あいつらに本気なんてありゃしないんだ。男同士を気持ち悪がる、まともなノンケ以下の奴らだ」

「そうだよマモちゃん、アキラの言う通りだ。絶対に止めといた方がいい。

売り専ボーイなんてオレ達の恋愛の対象には絶対にならない。陰でオレたちのことバカにしてるんだよ?ゲイに貢がせた金を彼女とのデート代にしてるって話もよく聞くし」

 二人の言葉に衝撃を受けて、マモルは黙って歯を食いしばる。


(そんな……陽ちゃんが売り専をやってるだなんて……ひどいよ、そんなのひどすぎるよ……)


 暗い夜の闇が、マモルの足元から這い上がる。


(どうすればいい?やっと……やっとこうして会えたのに……)


 二人に背を向け、マモルは思わずきびすを返した。いきなり路上に飛び出そうとする。


(はっ!)


 瞬間──マモルは雪を見た。

 深々と降りしきる東京の雪。


(札幌も今頃、雪なのかな……)


 切なくも愛おしい、あの幼き日の純真な面影──懐かしい少年の笑顔が雪の中に浮かび上がる。


(時が流れて場所が変わっても、雪はこうして降り続くんだね)


「おい、マモル……」

 心配そうなアキラの声にマモルはゆっくり振り返り、二人に向けて微笑みを見せた。


「ありがとう、二人とも……」


 アキラとユウも緊張をほぐし、二人揃って笑顔を浮かべる。

「マモル、分かってくれたか。良かった」

「そうだよマモちゃん、カッコいい子は他にもいるよ♪」


 マモルは笑顔を見せたまま、きっぱりと二人に言い放つ。

「君たちのおかげで心の準備が整ったよ。ここから先は、僕の好きにさせて欲しい……」

「マモル!おまえ……」


「大丈夫だよアキラ。僕だって伊達だてにアキラの友達をやっていた訳じゃない。この街の流儀くらい、ちゃんとこの胸にわきまえているさ」

「マモちゃん、そんなにさっきの彼を?」

 ユウは益々の心配顔。マモルはそんなユウを逆になだめる。

「ユウちゃん心配するなって。ノンケに入れ込んで身を滅ぼすだなんて、そんな三流ホステスしないから」

 

「マモル……もしかして、訳ありか?」

 さすがにこんな時のアキラは勘が鋭い。

「うん、多分ね……」

 マモルの瞳に揺れ動く影が浮かんだ。

「マモちゃんそれって……」

 さらに問い掛けようとするユウをさえぎり、アキラがマモルの肩に手を置いた。

「よし分かった、もう何も言わない。俺はマモルを信じるよ。ユウちゃんもそれでいいな?」

「う、うん……」


「ありがとう、本当に助かったよ。もし何も知らないで押し掛けていたら、ショックでめちゃくちゃになっていた。彼の事も傷付けたかも……」

「マモル……」

「とにかく、行ってくるよ」


 マモルは明るく気を取り直し、再びエレベーターへと向かって行った。後から二人の声が掛かる。

「よし!何が何だか知らないけどさ、とにかく成功を祈ってる」

「マモちゃん頑張れ~!あとから報告、待ってるからね~♪」

 マモルは笑顔で片手をかかげ、エレベーターへと乗り込んだ。


(陽ちゃん……もう、あれから何年経つのかな……)


 扉が閉まるその瞬間──マモルの顔から笑みが消える。


(売り専だなんて、なぜそんな……)


 蒼白な顔色──突然の寒気に身を震わせた。


(僕は知ってる。ここにいるのは陽ちゃんじゃない。

そして僕もここではマモルだ。陽ちゃんの知ってる雪央ゆきおじゃない!)


 波立つ動悸。込み上げる緊張──マモルの瞳が微かに潤む。


 エレベーターの壁にもたれて、マモルはそっと瞳を閉じた──。




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