【 追憶 】のろまなソナチネ

 ポロポロポロン、音色が回る。

 ピアノの音色がポロポロ回る。


 陽ちゃんの音色は僕の憧れ。

 僕はピアノを聞いていた。


「陽ちゃん、綺麗な曲だね。モーツァルト?」

「そうだよ、ユッキにだってもう直ぐ弾けるさ」


「そんなの、僕なんてまだまだ無理だよ…」

「そんな事ないよ。習い始めてまだ間も無いのに、あっと言う間ににソナチネまで進むんだから、きっとユッキは天才なんだ」

「やだな~、全然そんなじゃないよ」


 窓の外は銀世界。この雪は昨日の夜から降り続いてた。

 ストーブの火が暖かい室内に、軽やかな旋律が響き渡る。


「僕がピアノを習いたいだなんて、言い出した時にはびっくりされたよ。

みんな陽ちゃんの影響だって、やたらと母さんは喜んでいたけど」

「ユッキには絶対に才能あるよ。俺なんてもう直ぐ抜かれそう」


「そんな事ないよ、永久に。

憶えてる?始めて会った日……」

「空き地に一緒に寝転がった日?」


「そうだよ、あの日。あのあと陽ちゃんに誘われて、ここ来てピアノ見て驚いちゃった。男の子がピアノをやってるだなんて、さすがに東京の子は違うんだな~って」

「ユッキが聴きたいって言ったから、俺は習いはじめたソナチネを弾いた。そしたらユッキ、自分も弾きたいって言い出したんだ」


「うん、そうだよ?あの時すごく感激しちゃった。陽ちゃんのピアノに魅せられたんだ。だから、陽ちゃんのピアノは僕の憧れ。いつまで経っても追い越せないよ……」

「ユッキ……えへっ、照れちゃうな。

そろそろ交代の時間かな?ユッキの音色、俺は好きだよ」


「ありがとう、毎日ピアノを貸してくれて」

「そう勧めたのは俺だろう?俺の方こそ毎日一緒で楽しいよ」

「陽ちゃん……」


 真っ白に曇ったガラス窓。

 僕たちは優しい空気に包まれ、ピアノの音色は温もりを奏でた。


 一生懸命がんばって、やっと

めくったソナチネの楽譜。

 僕たちが出会って一年が経った。

 忘れないよ、あの日のピアノ。僕が初めてソナチネを知った日。


 僕達同じ5年生でも、君は4月生まれでとっくに11歳。僕は3月の早生まれでまだまだ10歳。

 二人は殆んど一歳違うね。


 君はあっと言う間にスターになった。転校初日に話題をさらった。女子がキャーキャー騒いでいたっけ。

 頭脳明晰。スポーツ万能。何よりルックスがピカイチで、周りが放っておくはずないね。

 みんなが君に近付いたけど、君は僕だけ選んでくれた。


 いつも僕らは一緒だったね。

 誰も知らない二人の秘密。毎日二人でピアノの練習。

 君がピアノをやってるなんて、知っているのは僕だけだった。

 僕はそれが嬉しくて、毎日懸命にピアノを弾いた。


 僕は君を見習った。君のようになりたかった。

 僕の憧れは君のソナチネ。ソナチネはもちろん、君そのもの──。


「ユッキ?何ボーッとしてんだよ。ほら、ユッキの番だよ?」

「あ、ごめん、ちょっと考え事してた」


 僕は慌ててピアノに向かう。陽ちゃんが楽譜を開いてくれた。

 ゆっくりゆっくり──のろまなソナチネ。やっぱり僕なんてまだまださ。


「ユッキの場合、とにかくテンポか正確だよな。ミスタッチだって全然無いし」

「だけどさっぱり速く弾けない。やっぱり練習不足かな。うちにもピアノ、入れなくちゃ」


「え?ユッキのうちでもピアノを買うの?」

「うん、ずーっとねだっているけど難しい。でも次の発表会で上手に弾ければ、買ってくれそうな空気も出来た」


「買うことないよ!うちに有るから。今まで通り二人で弾こう?ユッキと一緒が楽しいよ……」

「陽ちゃん?」


「な、そうしょう?いつまでもいつまでも、ずっと一緒に!」

 陽ちゃんは時々だだをこねる。トラフグみたいに口を尖らす。

 そんな陽ちゃんが僕は好きだ。


 ポロポロポロン

──のろまなソナチネ。

 僕の心もポロポロ回る。







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