雪降る夜の東京(3)

(レッド・プリンス……?)

 5階のホールに降り立つと、そこには瀟洒しょうしゃな黒塗りの扉。

──派手な金文字で綴られた「RED  PRINCE」の店名が光る。


 息を呑み、唇を引き締め、マモルは精一杯の笑顔をつくろう。


(僕は泣かない。決着を付けるまでは……!)


 マモルは思い切って扉を開き、いち早く店内を見回した。


(陽ちゃん!)


 マモルは思わず胸を押さえた。キュンと心臓が締め付けられる。

 カウンターの中に立ち、一番奥で客の相手をしている青年──それは見紛みまがう事なく、マモルの幼馴染に間違いない。


 でもマモルは青年を見ない。青年とは決して目を合わせない。

 そして青年にも変化は見られた。扉を開けたマモルを見るなり、明らかに驚愕きょうがくの色をあらわした。

 立ち尽くし、ただ呆然とマモルを見詰める。


「いらっしゃいまっせ~♪」

 奥から典型的な営業あいさつが発せられ、見るからに二丁目のマスターらしい、短髪口髭の中年男が顔を見せる。

「あら、な~んだ。お客様かと思ったらとんだ勘違いだわ。面接の子かしら?」


 心の中の動揺とは裏腹に、マモルは見事に顔色ひとつ変えはしない。

「ええ~っ?嬉しいな♪僕ってそんな、うまい広告にまんまとだまされてノコノコ面接にやって来るような、ウブなノンケに見えますか~?

ふふっ、僕ってウブウブ?」

「あらやだ!こりゃとんでもないフテ子だわ。どっかのお店のお使いね?回覧板かしら……」


「やだな~、どうしてお客と思ってくれないわけ~っ?」

「げげっ!あんたお客なの?

あっら~っ!そんなちゃらんぽらんな若い身空で、あんた男を買いに来たの~?」


「それはとにかく、まずは顔ぶれを見てからね」

「嫌なご時世ね~、最近は面接の子なのかお客様なのか、さっぱり見分けがつかないわ~」


「そんな事より、いつまでこうして立ち話をさせるわけ?これでも一応客なんだけど」

「あらいけない!八百屋横丁じゃあるまいし、私とした事がとんだ粗相を!

ごめんなさ~い?これでもあたくし、小笠原諸島流でございますのよ~♪

ささ、どうぞこちらにお越しあさ~さいませ」

 陽気なマスターに勧められ、マモルは青年から一番遠いカウンター席に腰を下ろした。


「お接待役は誰がいいかしら?

そうねぇ、ケンちゃん♪こちらの可愛いお客様をよろしくね~」

「OK、マスター」

 日焼けした素肌に白い歯を見せ、ナイスバディな好青年がマモルのカウター越しに現れた。


「やあ、俺、ケンって言うんだ。よろしく」

「マモルです。取り敢えずバドワイザーを」


「了解、てか大丈夫?未成年では……ないんだよね?」

「それって初めての店では定番のやり取り!ちゃんと成人してるから安心して♪」


「そうか、ごめんごめん」

「それよりケンちゃん、一緒に飲まない?カウンター越しじゃなくて、隣に座って欲しいな」

「望むところ♪」


 ケンはマモルの隣に腰を下ろすと、屈託も無くマモルの肩に手をまわす。

 これがこの店の流儀なのだろう。

 普段ならそんな手は透かさず払い除けるマモルだったが、今は敢えてそれをしない。

 マモルはカウンターの対極にいる青年に気を奪われながらも、しばしケンとの世間話に夢中を装う。


(陽ちゃんも僕に気付いてる?)


 青年は何も気付かぬ風を装い、マモルの方など見向きもしない。

 が、しかし、マモルには伝わっていた。マモルを意識し、隠しても隠しきれない大きな動揺──。


(うん、ちゃんと僕に気付いているね)


 マモルは懸命に陽気な口振り。

「ケンちゃんはもしかして、輝けるこの店のナンバー・ワン?」

「そんなでもないよ。それよりさ……」


「そうかなぁ、こうして見回しても、この店じゃケンちゃんが一番素敵だよ♪」

「無理するなよ。そんな事より……」

 ケンがマジな眼差しでマモルを見詰めた。


「なあ……何か、訳ありなんだろう?」

「……え?」

 突然、会話の脈絡を無視し、ケンが小声でささやいた。


「君みたいな若い子がこんな所に来るなんて、大抵なにか事情があるのさ」

「それは…………」 

「話してみろよ。出来る事なら協力するよ?」

 ケンは極めて真面目顔。マモルはそんな人柄を見込んだ。


「実は、カウンターの向こう端に立っている彼なんだけど……」

「トオルの事か?」


「トオル?」

「そう、トオルだよ?」


「ふふっ、マモルにトオルか……

似たような名前、思い付くんだな」

「ふっ……なるほど?」


「それで、そのトオル君はいつからここに?」

「う~ん、かれこれ半年にもなるのかな~?」


「そんなに長く……」

「オレらボーイ同士じゃあんまり事情は話さないけど、奴は宿無やどなしだから、まあ、身の上となるとおだやかじゃない」


宿無やどなし?って……」

「ああ、この店の寮……って言ったって、しがないアパートの一室だけどさ、そこに数人で雑魚寝状態だよ」


「そんな生活を半年も……」

「寮にいる奴らは大抵が訳ありなんだ。家出だったり居場所が無かったり、中には家族崩壊なんて奴もいるし、親からの暴力から逃げて来た奴だっている」


「寮にいるって事は、この店を辞めたら住む所が無くなるって事なんだよね?」

「まあ、こんな商売してれば殆んど寮には帰らず、客とホテルに外泊だけどね……」


「あの……ケンちゃんは大丈夫なの?」

「ああオレ?オレは割り切ってガンガン稼いでいるタイプ。これでも夢に向かって金を貯めているんだ。昼間に定職を持っているし、ちゃんと家もあるから大丈夫」


「だよね、ケンちゃんはそんな感じ。しっかりちゃっかりしているよね?」

「あはは……」


「で、お願いしたい事があるんだ」

「トオルと話すか?」


「うん、でもここでは話せない。

ここは売り専なんだよね?ボーイを連れ出すにはどうすればいいの?」

「ああ、でも……どう言う事情か知らないけれど、あいつだって好きでこんな生活をしている訳じゃないと思うんだ。あいつはあいつなりに人に知られたくない事も有るだろうしな。

余計なお節介なら、かえってあいつを傷付ける事になるかも知れない」


「分かってる、十分に……」

「奴のこと、好きなのか?」


「好きだよ、ずっと彼の事だけ思っていたんだ。だからやっと会えたこの機会を逃すわけには行かないんだ」

「そうか……分かった。

まずマスターにこっそり指名を知らせる。二人別々に店を出て、あとはホテルでも自宅でもご自由に?ボーイへのチップはサービス次第だ」


「ありがとう」

「まあ、何だか知らないけれど、上手くや・れ・よ♪」

 ケンはマモルに笑顔を見せて、さっと椅子から立ち上がる。


「マスター♪可愛いお客様がお呼びですよ~」

 おどけた様子でマスターを呼び付け、ケンはマモルにウインクを投げて奥のボックスへと移動した。


 透かさずマスターがやって来た。

「はいはい、何かご用事かしら?」

「指名をお願いします、泊まりで…」


「え?あら、ホントに?あんたみたいな可愛い子ちゃん、いくらでも相手には事欠かないでしょうに、本当?本当にこんな所でお金を使う気?」

 マスターは声のトーンをぐっと落とし、妙に心配そうな顔で眉をひそめた。


「こんな所って、マスター自分のお店にそれはないでしょう?ちゃんとお商売して下さいな」

「あらま、世慣れた女将おかみみたいな事を言う子ね?あらいけない!私とした事が余計な事を……」


「それであの、トオル君を……」

「んあ?!トオル君?ケンちゃんじゃなくてトオル君?

あら~っ、ケンちゃん、振られちゃったのね~」

 マスターはしみじみとケンに流し目を送りながら、うんうんとうなずいて見せた。

 奥のボックスにいたケンも、それに応えて笑顔でえ~んえ~んと泣き真似を見せる。


「ビルの前までタクシーを呼んでくれる?着いたらトオル君を先に乗せて待たせて欲しいんだ。僕は少し置いて後から出るから」

「あらまあ、随分もの慣れた事を言うじゃない?」


「トオル君には指名客が僕であることを絶対に言わないで欲しい!

これ一番肝心なところ!了解かな?」

「はいはい、了解でございます。お坊っちゃまには敵いませんわ。

では、のちほど……」

 マスターは奥に戻り、直ぐにタクシー会社に呼び出しを掛ける。


──そのあと十数分。マモルは入れ替わり声を掛けて来るボーイ達を相手に、愚にも付かない会話に明け暮れる──ような振りを必死に装う。

 トオルは顔を引きつらせ、石のように固まっていた。そしてそんなトオルをマモルは無視した──


(ごめんね、陽ちゃん。

僕たちは今夜、トオルとマモルだ…)


 やがてマスターがトオルに耳打ちを始めた。どうやらタクシーが到着したらしい。

 トオルは明らかに安堵の顔色を浮かべると、そのまま店から逃げるように飛び出して行った。


(さあ、これからが本番だ。

今宵こよい限りの僕のシナリオ……)


 マモルはグラスを持ち上げて、残りのバドワイザーを飲み干した。







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