第5話 不運は突然に

 咲との奇妙きみょうな生活にも少しずつ慣れてきた一朗だが、そんな矢先、彼の人生をさらに揺るがす出来事が起こった。

いつも通り彼は、自分の分ともう一つ咲の分の朝食を作り、彼女の分にはラップをかけ机に置いて会社へと向かった。


 相変わらずのラッシュアワーで電車の到着と同時に降りる人の波と、乗る人の波がうねるように交差する。地下から地上に出ると、何となく新鮮な空気が吸えそうな気もするが、地方都市と言ってもやはり都会だ。トラックなどの排気ガスに、信号待ちしながらもしきりにスマホを気にする人々、その間を猛スピードで駆け抜ける自転車などにも注意しながらでは、ゆっくり空気を吸っている暇はない。

 ガラス張りのビルを左に曲がると、コンビニがありそこから徒歩で300メートルほど進むと見えてくる、レンガ作り風の建物の2階にオフィスがある。


(今日は何とかミスなしで乗り切りたいな···)


 そう思いながら、階段を駆け上がると上司や同期たちが扉の前で呆然と立ち尽くしていた。割と親しくしていた同期の肩を叩き事情を聞こうとすると、彼は扉の張り紙を指さしながら肩をガクンと落とし、その場に座り込んでしまった。

 

    【 倒産のお知らせ 】 

株式会社 ✖✖✖✖商会は諸般の事情により○○○○年○○月○○日を持ちまして廃業致しました。長らくご支援いただきましたこと厚くお礼申し上げます。


 そして社員宛には、後日必要な書類を送付との文面が書かれていた。

しばらくすると、破産管財人が事務所に入って行き調査をしているようで、それぞれ私物だけを鞄に入れその場を後にした。誰も振り返る事もなく足早に立ち去って行く姿を見ながら、一朗の頭に浮かんだのは「終わった・・・・」と言う言葉だった。


 その後、どのように家まで帰ったのか全く記憶がなく、先行きの見えない不安で脳内の神経伝達がストップしたかのように、無気力のままコンビニで缶ビールやお酒などを買い込み、玄関のドアを荒々しく開けたあと畳のうえで自棄酒やけざけあおっていた。


 そんな一朗に咲がニヤニヤしながら声をかけてきた。

「いやー、すごいね。会社が潰れちゃうなんて、本当に運がないねぇ」

 その言葉にカチンときた一朗は、玄関の方に向けビールの空き缶を投げつけた。


「お前のせいだろ!!」


 彼は激昂げきこうに駆られ言葉を続けた。


「お前が俺の人生をめちゃくちゃにしてるんだ!こんな事に巻き込まれるのはお前がいるからだ!!」


 一朗の八つ当たりのような言動に咲は肩をすくめながら、呑気のんきに答える。

「まぁ確かに、うちがいるとちょっと運気は下がるけどね。でもさ、元々そんなに上手くいってなかったんじゃないの?」


 その言葉に一朗は反論する事が出来なかった。いや、反論しようにも自分に対してそれだけの自信がなかったのだ。会社での仕事にやりがいも感じられず辞めたいと思うことが多かった。


 玄関先に転がっているビール缶を拾い集めながら、咲は淡々と話し続ける。


「ねぇ、本当はどうしたいん?また次の会社を探して同じように無気力で働きたいんか?」

 

 その言葉に何も答える事が出来ず、飲み干したビールの空き缶を勢いよくへこませた。



     ―  咲の真意  ―                                  


 数日後、一朗は失業手当の申請をするためにハローワークで手続きした帰り、ふらりと入った喫茶店の中で短期の求人募集張り紙が目に入り、マスターに詳細を聞くために声をかけた。

「週5日でランチタイムの3時間でお願いします」

 マスターの方もホール兼厨房のアルバイト学生が先日交通事故に遭い、人手不足の昨今さっこんの事情もあり困っていたようだった。

「明日からでも大丈夫かい?」

 少し小太りで40代前半くらいのシェフコートを着たマスターは、優しそうな笑顔で握手を求めてきた。

「はい。よろしくお願いします」

 一朗もうれしさのあまりギュッと手を握り返していた。


 短時間アルバイトが決まっても2週間だけのことで、あとは失業手当しか収入源はない。貯金を切り崩しながらなんとか生きている感じの毎日で、貧乏神の咲はそんな彼をからかいながら毎日好き放題に過ごしていた。


 ある夜、咲はぽつりとつぶやく。

「一朗。本当にこのままでいいの?」

「どういう意味だよ」

 咲は畳に寝転びながら天井を見つめて話し始める。

「なんかさ、からは‟こうなりたい“っていうのが全然伝わってこないんだよね。会社が潰れたのは不幸だけどさ、本当はチャンスなんじゃない?」

「チャンス?」

 一朗は咲の言葉に戸惑いを覚えながらも話を聞いていた。

「そう、今まで嫌々やっていた事をやめて、本当にやりがいのある事に挑戦する。後は、のやる気次第だけどね」

 

 咲の言葉は一朗の心に深く刺り、今まで自分の人生に対して「仕方がない」「出来るわけない」と簡単に諦めていた自分の弱さを痛感していた。  


                            

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