第11話
「藍紗さん、深く眠っていますけど、まさか、このまま消えるなんてことは?」
「大丈夫ですよ。私から衝撃的なことを聞いて、張りつめたものが一気に溢れただけです」
「しかし……。いっそ、落ち込むのが分かっているのなら、本当のことを、お伝えすれば良かったのではないですか?」
「今の彼女には無理です。本当のことを知ったら、意識を手放すくらいでは済まないと思います。大切な時期なんです。……私は二度もこの人を、私の眼前で喪うつもりはない」
決意を込めて拳を握りしめている皓夜を横目に、珍しく子墨が分かりやすく肩を落としていた。
「貴方も苦労性ですね。不眠不休で、仕事も放って、ずっと付き添って。大体、もし、貴方が仰っている「あの方」が藍紗さんであるのなら、アイツも一緒の可能性が高い。しかし、術を施しても、何一つ手応えがありませんでした」
普段は無口なくせに、仕事絡みだと、この男もよく喋る。
確かに、子墨の言う通りではあった。
……藍紗の肉体を治療をしている時。
……藍紗の幽体と出会った時。
もしもの時に備えて、使える術者と兵士たちを周囲に配備していたが、何も起こらなかった。
それでも、皓夜には彼女があの人だとわかるのだ。
「理屈じゃないんですよ。彼女は「あの方」なんです」
「しかし……。私が話で聞いていた「あの方」と、藍紗さんの印象があまりにも違いすぎます。私には今のところ、ただの鈍くて煩い小娘にしか……」
「……何だ? お前、私を挑発しているのか?」
「皓……夜様」
皓夜の声色ががらりと変わる。
全身からみなぎる殺気に、子墨が後退りした。
「鈍いのはお前だ。子墨。彼女を貶めることは、私を侮辱することと同義。次は命がないと心得なさい」
「……はっ。も、申し訳ありません」
さすがに、言葉が過ぎたことを反省したのだろう。
子墨は珍しく丁寧に拱手した。
(まだまだだな。私も……)
あの人には、遠く及ばない。
たまに、どうしようもなく、すべてを破壊したい衝動に駆られてしまうことがある。
そういう時は、あの人のことを思い出して、あの人になりきって、切り抜けてきた。
けれど。
もし……緊張の糸が切れてしまったら?
そうしたら、あっという間に、皓夜は殺戮者になってしまうだろう。
(藍紗さんも、私のそういうところを察して、怖がっているんでしょうね)
彼女が皓夜に苦手意識を抱いていることは、分かっていた。
だけど、藍紗の生い立ちを知れば知るほど、皓夜の腸は煮えくり返ってしまうのだ。
――彼女の腕にあった無数の傷。
他の箇所にも、複数の青あざを確認した。
藍紗は隠そうとしていたが、無駄なことだ。
とっくに、皓夜は確認済みなのだ。
長い間、近しい者から、折檻されていたに違いない。
もっと早く、皓夜が藍紗の存在に気づいていれば良かった。
だが、藍紗は王都から離れた北東の田舎で暮らしていた。
王都から出ることのできない皓夜は、藍紗の存在を察知することが出来なかったのだ。
しかも……。
藍紗は王都に来てからも、ほとんど吝家の離れにある納屋に監禁されていたのだ。
たまたま、蒼雪から藍紗の血の匂いを嗅いだから、皓夜は藍紗の微かな気配を追うことが出来たが……。
あともう少し遅れていたら、彼女の今回の人生も終わっていたかもしれない。
(……やっぱり、無理だ)
修行が足りないとか、思慮が足りないとか、そんな反省は、どうだって良い。
藍紗が蒼雪を猫可愛がりすることが、ただただ腹立たしい。
従弟を悪く言わないで欲しいと、藍紗から泣いて懇願されたとしても……。
「絶対に許せませんね。吝家の者、特に蒼雪は……」
真っ赤な殺気が、身の内側から湧き出てくる。
陰の感情は「妖異」の好物だ。
それでなくとも、皓夜は元々「妖異」の血が濃いのだから、気をしっかり引き締めないといけないのだ。
…………アイツが目を覚ましてしまう。
(いけないな。どうもあの方のこととなると、見境がなくなってしまう)
藍紗の肉体については、復活の目途が立った。
明日からは、しっかりと、吝 蒼雪について調査して、己の罪を購わせてやる。
元々、ある事件を追っていて、玉清館に潜入するに至ったわけだが、今は正直、そんなものどうでも良かった。
限られた時間の中で、自分に一体何が出来るのか……。
皓夜は頭を捻って、考え始めていた。
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