第9話

「じゃあ、一つ、藍紗さんに、念のため伝えておきますけど……。「玉清館」は三百年くらい前から男女共学です。男子は将来の皇帝の側近候補を……。女子は将来の皇帝の妃候補を発掘する場でもあるのです。ですから、庶民出身の吝 蒼雪は余程優秀でないと、卒業することも難しい学校なんです」

「……そうなん……ですか?」

「ええ、そうなんです。初耳だったようですね。叔父夫婦や蒼雪は、当然知っていたでしょうに」


 まったく知らなかった。

 いや、国でも一番の男女共学高ということは知っていたが……。

 皇帝の側近とか、妃とか……。

 そういう人材を発掘する学校とは思ってもいなかった。



「その……優秀な人しか入れない学校としか……知りませんでした。貴賤も問わないというから、いろんな出自の人がいるんだろうと……」

「今も多少はいるんですけどね。長く続かないんですよ。私も憂慮しているんですけど」

「皇帝の側近候補なんて、縁故で溢れていそうじゃないですか?」

「そう……。だから、後ろ盾や強力な伝手がなく入学すると、どうしても苦労しやすい。個人の力量が高く、世渡り上手だったら、回避できるでしょうけどね」

「蒼雪には……無理……です」


 優しい子だけど、不器用だ。

 それこそ、口下手なので、考えていることが分かりづらい。

 だからこそ、玉清館を卒業して、藍紗はあの子に自信を持って欲しかったのだ。


「……行かせなきゃ良かった」


 今更ながら、藍紗は後悔した。

 蒼雪が悩んでいた時に止めていれば良かった。

 先程だって、幽鬼なんて物騒なモノを昇華する授業なんてさせられていたし……。

 蒼雪は術師なんかになる気もない子なのに。


「私は、あの子に熾烈な戦いをさせてしまったのですね」

「熾烈な戦い……ねえ。通いたくもなかった学校で、権力闘争できるほど、反骨精神溢れる子供には見えませんけどね。私も実年齢が離れすぎてしまっていて、学外で同級生の皆がどういったことになっているのか、把握しきれていないのです。これが困りものなのですが……」


 まあ……。どう見たところで、皓夜は教師にしか見えないのだから、当然だ。

 いくら玉清館が男女平等、年齢不問、貴賤問わずの看板を掲げていても、この見た目、振る舞いをする同級生と、対等に話そうとする生徒の方が稀だろう。


「皓夜様は……どうして、玉清館に入ったんですか?」

「ああ。私は一月前にお試しで入ってみたばかりなんですよ。ある調査をしていて……玉清館に入ったのは、仕事の一環でした」

「お仕事?」

「ええ。それで、吝 蒼雪に注目をしていたら……。先程、説明した通り。仮死状態の貴方に辿り着いたんです」

「なるほど……」

 

(……ん?)


 話のついでのように、切り出されたけれど。

 つまり、それって……。


「あの子絡みの仕事って何ですか?」

「えっ? ……ああ」


 今更ながら、皓夜も失言をしたことに気づいたらしい。


「どういうことですか?」

「今のは、忘れてください」

「無理ですよ」


 皓夜が慌てて椅子から立ち上がったが、藍紗は先回りして、彼の前に立ち塞がった。


「いい加減、全部洗いざらい話して下さい」

「今日は夜も遅いので」

 

(いやいや。待って……。今までの遥かに無駄な会話時間は何だったの?)


 藍紗にとっては、これこそ本題なのだ。

 皓夜をじっと睨みつけていると、彼は渋々再び着席した。


「いいですか? 吝 蒼雪は、この国で一、二を争う権力者を怒らせたんです」

「………………権力者?」

「この国で、禁軍を動かすことのできる人物です」

「…………禁軍って、あの」

「そう。貴方のご想像通りです」


 叶国最強の軍人、術師たちを揃えた精鋭部隊……禁軍。

 庶民の藍紗でも、雷名は耳にしている。

 禁軍に命令を下すことが出来る人物は、この世の中では、たった一人しかいない。


「……ま・さ・か?」

「そうです。分かりましたか?」


 そんな莫迦な……。


(ありえないわ)


 だけど、藍紗は今、幽体で……。

 現に死にかけている。

 皓夜の言ったことが嘘でないのなら……。


 ――蒼雪は、皇帝を怒らせたということだ。


「私、陛下に謝罪を……」


 慌てて部屋から飛び出して行こうとしたら、後ろから、淡々と告げられた。


「思い立って、すぐに会いに行けるほど、普通にいる人ではないですけどね?」

「せっかく、幽体なんですから、飛んで行けるようにしては頂けませんか?」

「馬鹿馬鹿しい。百歩譲って、陛下に会えたとしても、貴方、幽体だから、陛下には視えないんじゃないですか?」

「…………視えないのでしょうか?」

「陛下は術師ではありません」

 

 ――本末転倒だ。

 虚しすぎる。

 幽体の藍紗にできることなんて、限られているのだ。

 

「それに、藍紗さん。この玉清館内を、おいそれと飛んでいくなんてこと出来ませんよ。ここは、叶国の中でも、もっとも強固な結界が張り巡らされている場所です。術者も山のようにいます。うかつに、一人で浮遊でもしているものなら、貴方の幽体は、問答無用で消されてしまいますよ」

「つまり、私、完全消滅ってことですか?」

「瞬殺ですね」

「じゃあ、私はどうすれば?」


 大体、蒼雪なんて一介の学生が、皇帝と何の接点があったのか?


(最近即位したばかりの皇帝陛下って、確か……とてもお若くて、聡明な御方だって聞いていたけれど。そんな御方を怒らせるって余程のことよね?)


 何で、こんな大変な時に藍紗は仮死状態なんかになっているのか?

 そして、こういう時に限って、もう一人の自分が明瞭な声で語りかけてくるのだ。


 ――素知らぬふりをして、皓夜に話を合わせておくのはいいが、皇帝に会うなんてことは許容できないな。


(何が駄目なの?)


 ――これ以上、ややこしくしないことだ。


 分からない。

 いろんなことが頭の中を取り囲んで、訳が分からなくなってしまった。

 目眩がして、視界がくるくる回る。

 明らかに、藍紗が処理できる情報量を越えていた。


「藍紗さん?」

「…………っ」


 頭が締め付けられるように痛くなって、目を瞑った。

 意識が混濁していくのが、自分でも分かった。


(私、このまま死ぬのかしら?)


 勢いのまま、死んでしまうのは、これで二回目ではないか?


「大丈夫ですか?」

「何か……無理……みたいです」


 倒れていく藍紗を上から覗きこんでいるのは、皓夜だ。

 今度こそ、嘘偽りのない、気遣わしげな視線が藍紗に向かっている。

 切なげに揺れる碧の瞳。

 

(……泣きたいほど、本当は懐かしい)


 昔、藍紗はその瞳を恋しく思ったことがあった。 


 ――近くで見て、触れてみたい……と。


 無意識に手を伸ばしたら、その手を皓夜にがっしりと掴まれた感じがした。


(変なの)


「……皓」

「そんなに蒼雪が……。あんな奴のことが気になるんですか?」

「え?」

「いつも……いつも。他人のことばかりで……自らの命をすり減らしてしまうんだ。貴方は」


 ――いつもって?


(どうして、そんな顔をするの?)


 よくわからないけど、皓夜が悲しそうにしていると、藍紗は嫌だ。

 出会えて嬉しいけれど、怖くて。

 逃げ出したい衝動。

 蒼雪に感じている親愛の情とは、まるで性質が違う。

 もっと深くて、昏くて、憎らしくて……複雑で。


 …………でも、愛おしい。


 知らない感情が、藍紗の心奥で燻っていた。


 ――だから……私は二度と会いたくなかったんだ。


 藍紗ではない、もう一人の藍紗が自嘲気味に呟いていた。

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