第8話
◆◆
幼い頃から藍紗は虐げられてきた。
「お前の薄気味悪い、おかしな力、その瞳は妖異のものだ。……吝家のものではない」
そう……言われ続けてきた。
だけど、蒼雪だけは……。
「大丈夫? 藍紗」
心配そうに、いつも様子を見に来てくれた、
藍紗より三歳年下の従弟。
特異な体質を持ったために、実の親にすら煙たがられて、田舎の術師養成学校に追いやられてしまいそうだった藍紗を寸前のところで救ってくれて、自分の両親……藍紗にとっては叔父夫婦に引き取るよう、頼んでくれた。
いよいよ、叔父夫婦にも疎まれてしまい、彼らの機嫌の良し悪しで、暴力を振るわれたり、食事が出ない日があっても、蒼雪は薬と包帯を用意してくれていたり、食事の残りを取っておいてくれたり……と。
蒼雪は藍紗を気味悪がるでもなく、普通の姉のように慕ってくれた。
あの子の存在が、藍紗にとっては救いだったのだ。
だから、蒼雪が出世間違いなしと言われている名門「玉清館」に合格した時、藍紗は大いに喜んだのだ。
玉清館では、当然術師としての修業も行わなければならないが、将来、その道に進まなければならないという強制力はなかった。
蒼雪は、最先端の学問を身につける機会に恵まれたのだ。
……けれど。
一族の期待を背負って入学した蒼雪は日を追うごとに、無口になり、人が変わったように粗暴になってしまった。
こんなはずじゃなかった。
蒼雪の進学によって、皆が幸せになるはずだったのに。
「……何度聞いても、最低ですね。要するに、蒼雪は貴方の言いなりに玉清館に入ってみたものの、やっぱりキツくて、腹が立って、貴方に当たって憂さ晴らしをしていた……と。お子様過ぎて話にならないです」
「また、言い方が……。そんなふうに仰らなくても良いじゃないですか」
むっとして、けれど、強気にはなれなくて、藍紗は弱々しい口調で反論した。
皓夜は、向かい側に座っている藍紗の表情を窺うように、机の上で頬杖をついていた。
素人目でも、その黒壇の机は、値が張る代物だと分かる。
精緻な花模様の彫刻の上に、台無しにするように肘を落としているのだから、彼は余程、金目のものに興味かがないのか、豪華な物に囲まれた生活に慣れきっている人なのだ。
――龍 皓夜。
この世の者とは思えない美麗な外見。表向きには人当りの良い柔和な物腰をしているが、実際は冷淡で性格もずいぶんと屈折した青年のようだ。
勝手な時は、感情をダダ漏れ全開にさせているくせに、こういう時はしっかりと隠してくる。
庶民相手に丁寧すぎる言葉使いも、一線引くための道具のように思えてならなかった。
(高貴な人は、裏表の顔を使い分けしているのよね)
要するに、庶民の藍紗がどんなに頑張っても、理解できない人種なのだ。
だって、すでにおかしい。
蒼雪に言ったとおり、あのまま勝手に玉清館に引き上げてきた皓夜は、藍紗が暮らしていた吝家の離れそのものよりも広い部屋を「手狭」と表現した挙句、その続きになっている部屋を「窮屈な押入れですけど、自由に使って下さい」と、提供してきた。
玉清館に入学した者は、寮生活をすることは知っていたが、一人だけこんなに優遇されることってあるのだろうか?
(結局、話だって逸らされまくっているし……)
皓夜の説明によると……。
休み明け、玉清館に姿を現した蒼雪に異変を感じて、問いかけてみたものの、分からないの一点張り。
埒があかないので、吝家まで行ったところ、仮死状態の藍紗を発見したらしい。
叔父夫婦は、藍紗を医薬師にも診せず、隠していたそうだ。
(まあ、叔父さんたちなら、そうするかも……)
皓夜は、すぐに死にかけていた藍紗の肉体を回収したものの、肝心の魂が見当たらない。
幽体は気の強い場所に向かう傾向があるので、彼は街の天帝廟に当たりをつけて、授業を抜け出して藍紗を迎えに来た。
……そうして、藍紗を捕えた。
何と、ありがたい。
当然の責務とか、むしろ、もっと早く助けたかったとか、歯の浮くようなことを皓夜は散々話していたけれど……。
(私のような庶民のために、偉い人が動いてくれたなんて……。この国も捨てたものじゃない。感謝よね)
――でも。
藍紗はいまだに、自分が仮死状態だという自覚がないのだ。
(申し訳ないけど、本当に私って死にそうだったのかしら?)
何処も痛くもないし、痒くもない。
急な病で倒れたのか、事故にでも遭ったのか……。
『だったら、藍紗さんの覚えていることを口に出していってみたら良い。何か思い出すかもしれませんよ』
そんなふうに、皓夜に促されて、頭に浮かんだことを、ぽつりぽつりと語っていたのだが……。
一体、何を間違ってしまったのか……。
頭の中を整理する時間ではなく、皓夜からの尋問時間になってしまったのだ。
「絶対に、藍紗さんはあの家で酷い目に遭わされていたんです。吝 蒼雪だって、貴方が死にそうなことを知っていて、黙っていたんですから、許してはいけないことなんですよ」
――ああ、まただ。
皓夜は、藍紗が自主的に終わらせたばかりの話題を、あっさり蒸し返してしまうのだ。
「私は、ただ吝家でだらだらしていただけですって」
「監禁されていたじゃないですか?」
「違いますよ。ただ出不精で、部屋から出ようとしなかっただけです。まさか、叔父夫婦が私を殺そうとするはずはないと思いますよ。本当に殺したければ、もっと早くに殺していますから」
「庇うんですね?」
「庇っていません。事実ですから」
堂々巡りだ。
彼は犯人探しがしたいのだろうか?
藍紗が良いと納得しているのに、皓夜が認めてくれない。
(助けて……)
こういう時こそ、良く言えば、冷静沈着で無駄口を嫌う、賢い従者の子墨を頼りたかったが、生憎所用だと言って姿を消していた。
(皓夜様って、何者?)
まったく、やんごとなき身の上の方のはずなのに、従者が子墨だけって、おかしくはないだろうか?
子墨からは、何かあったら安心して叫べと言われたが、考えてみたら、肉体のない藍紗相手に、皓夜は一体何が出来るのだろうか?
いっそ、完全に幽体ならば、ここから抜け出すことも容易なのかもしれないのに……。
下手に仮死状態だから、そういう幽霊っぽいことすら出来ないようだ。
「もう! 私の話はどうだって良いんです。蒼雪のことです。まだ子供なんです。学業で大変な時に、私のことなんか構っていられないでしょう。仕方ないと思います」
藍紗が侮辱を受けるのなら、我慢できるけれど、蒼雪については無理だ。
ずっと、自慢の従弟だったのだ。
あの子の背景は、澄み切った青色をしていた。
元々、冷静沈着で、凪いだ海のような聡い気質の子なのだ。
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