第7話

「……はあ。胸が痛い。泣けてくるわ」

「私の胸を貸しましょうか?」

「結構です」


 真顔だけど、下心を感じた藍紗は皓夜からそっと距離を取った。


(軽薄な色は視えないけど……)


 とにかく胡散臭い。


「まったく……分かりやすい人ですね。そんな……ケダモノを視るような目を向けられましてもねえ」

「皓夜様……。皇家の方ということでしたら、もっと改まった敬称でお呼びした方がよろしいのでは?」

「やめてくださいよ。貴方には本当は呼び捨てにして欲しいのです。むしろ、首根っこ掴まれるくらいが良いです」

「それ……。皓夜様特有の慰め方なんですか?」

「私はいつも本気ですよ」


 しれっと、変態肯定発言をされて、藍紗は彼からじりじりと距離を置いた。


「あの……。皓夜様。やっぱり私、このままだと駄目だと思います」

「ええ。確かに、このままで良いとは、私も思っていませんけど」

「……ということで、私、ちょっと蒼雪と話して……!」


 ……と、駆け出したところで、後ろから伸びてきた手に、藍紗は首根っこを掴まれてしまった。

 おかしい。

 藍紗に掴まれたい方ではなかったのか?


「やめておきなさい。時間の無駄です」

「無駄って……。私は、ただ蒼雪に事情を」

「その状態で、まともに話せるとでも?」

「…………はっ?」


 その状態って、どんな状態なのだろう?

 一応、ぼろぼろとはいえ外出用の格好だ。

 何が問題だというのか?

 きょとんとしている藍紗とは対照的に、皓夜が頭を抱え込んでいた。


「貴方の精神状態は、極めて宜しくない状況なのです。そうでなければ、ここに至っても、自分で気づかないはずがない」

「あの……。皓夜様の仰っていることは、たまによく分からないことがあるんですが」

「……貴方自身のことなのに、分かりませんか? それとも、わざと惚けているのか?」

「どうして、私がわざとそんなことをするんですか?」

「…………だと、良いんですけど」


 藍紗がおもいっきり小首をかしげていると、こほんと、皓夜は咳払いをした。

 往来の人々の容赦ない視線に気づいたのか、彼は閉まった店の軒下に移動する。

 唇を尖らせたまま、藍紗が彼について行くと、皓夜はそっぽを向いて歯切れ悪く言ったのだった。


「蒼雪は貴方のことを無視したんじゃありません。……視えないんですよ。だから、貴方が話しかけても無駄なのです」

「…………意味不明です」

「うーん。ここまで話しても、分かりませんか?」

「さっぱりです」


 はあ……と盛大な溜息が、藍紗の頭上に落ちてきた。

 どうしてか、皓夜は子墨と目配せしている。

 そして、充分に時間を取ったところで、渋々といったふうに、皓夜は口を開いた。


「……今の貴方は、実体じゃないんです」

「益々、意味が分から……」

「今の藍紗さんは、幽体なんです。だから、常人に視えるはずもない」

「……………………はっ?」

「貴方は仮死状態。……今、死にそうな状況なんです」

「私が?」

「貴方以外いません」

「冗談……ですよね? だって、私さっきまで馬車にも乗っていて。……落ちたら死ぬって、子墨さんだって言っていたじゃないですか?」

「いいえ」


 子墨が大仰に首を横に振っていた。


「私は落ちたら死ぬとは言っていませんよ。貴方の魂が皓夜様と離れることで「消える」と警告しただけです。元々、馬車が揺れていることには気づいていたようですけど、貴方自身は揺れてはいなかったでしょう?」

「そんなはず……」


 空笑いして、藍紗は自身の頬に触れる。

 皓夜にも、子墨にも触れていたはずだ。

 自分の顔だって……。


(ほら、やっぱり……)


 確かな頬の感触があった。


「やっぱり、嘘じゃないですか。ちゃんと、見てください! 私、生きて……」


 ――と、ぱっと顔を上げた瞬間、藍紗の身体を通行人の若い女性が突き抜けて行った。


「……へっ?」


 ――ちょっと、待って……。


「何、これ?」


 かなり大きな声で呼び掛けてみたものの、女性は藍紗に対して、一切の反応を返してくれなかった。

 それから、一人、二人と呆然としている藍紗の身体をすり抜けて行く人達がいた。

 もはや、これは見間違いだと、自分を誤魔化すことすらできない回数になっていた。


「幽霊ってことですか。私?」

「ええ。立派な幽霊ですね」

「…………死ぬんですか、私?」

「私が死なせませんよ。とにかく、貴方の身体は危険な状態で、優秀な医薬師のもとで預かり、私と子墨の能力で生存力を高めていました。魂魄を回収すれば復活する段階に達したので、私はずっと貴方の抜け出た魂を探していたのですよ」

「皓夜様は、私を探してくれていた?」

「当然でしょう。長期間、肉体から魂魄が離れていたら、いくら私たちが頑張っても、いずれ肉体も死んでしまいますからね。即効で、貴方の魂を回収する必要があったんです」

「息切れしたり、目眩がしたり、自分に触れた感覚はちゃんとあるんですが……」

「それは、貴方が仮死状態だったからです。本当に死んでいたら、感覚のすべてがなくなります」

「…………それ、何で早く仰ってくれないんですか?」

「いきなり話したところで、どうせ貴方、信じなかったでしょう。それに、私から貴方に心的な過労を与えたくなかったので」

「それにしたって……」


 ……と愚痴を続けようとして、反省した。

 命の恩人を責めてどうするのだ。

 

(私があまりにも蒼雪のことばかり考えていたせいだ)


 まさか自分が死にかけていたなんて、気づきもしなかった。

 一体いつから、こんなことになっていたのか?


(……何一つ、覚えていないのに)


 今朝も普通に起きて、蒼雪のことが気になって、街の廟に行けば、願いも通りやすいだろうと、お願いだけして帰る予定だった。

 特別なことなんて、何もなかったはずなのに……。


(ああ、でも……確か)


 最近、蒼雪と会ったのは確かだ。

 藍紗の軟禁場所と化している、薄暗い納屋の二階で……。

 あの時、やはりあの子は学校生活に悩んでいて、藍紗は何か蒼雪に話しかけたのだ。


(一体、私……蒼雪に何て言ったのかしら?)


 思い出せない。

 それは……。

 思い出す必要がないからかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る