第5話

◆◆


「随分、時間をかけましたね。ここまで時間を要するのなら、諦めても良かったでしょうに……」


 馬車の前で待っていた男が、淡々と告げた。


(皓夜様、お一人じゃなかったの?)


 皓夜と違って、こちらの男は体格も良く、いかにも武人といった感じだった。

 赤茶の髪をきつく三つ編みに結っている。

 年齢がまるで読めないが、よく通る低い声は、意外に若いような気がした。


(いやいや……。時間がかかった……ってね?)


 藍紗にとっては、問答無用の強奪劇だったのに……。

 嫌味なのか、本音なのか……。

 感情の色が視える藍紗にも、男の真意は読めなかった。


「ああ、失礼。藍紗さん。こちらはそん 子墨しぼく。私直属の……従者みたいなものですよ」

「従者?」


 その割には、ずいぶんと不遜なような気がするが……。

 色々と問い質す前に、子墨に馬車の中に放りこまれてしまい、すぐさま動き出してしまったので、藍紗は何も分からないまま拉致されたようなものだった。

 しかも、操縦が荒いのか、皓夜と子墨が何度も座席から飛び上がっていた。


(馬車って、こんなふうに揺れるものなの?)


 故郷から王都に出てくる時も幌馬車を利用したが、もっと速度はゆっくりだった。

 やはり貴族が利用している三頭の馬を使った馬車は速さが違うのか?


「大丈夫ですか? 藍紗さん」

「大丈夫ですけど」


 皓夜が異様に近い。

 つい、先程会ったばかりの人なのに、間違った距離感だ。


(……ああ、私ったら、どこまで現金なのかしら)


 蒼雪のことが心配で、ただついてきただけなのに……。

 つい先程、出会ったばかりの皓夜に、藍紗は普通の振る舞いが出来ないでいた。

 それがどうしてなのか分からない。

 田舎で育ったせいで、都会の男性に娘として接遇されることが、新鮮なのだろうか?

 情けない。

 かどわかされたようなものに。

 馬車の中に男性がもう一人がいたなんて、怪しさ倍増じゃないか?


「そうですよね。怖いですよね。こんな怖い顔をした男と狭い空間なんかにいるんですからね」


 皓夜は勝手に見当違いのことを指摘している。


「別に、そういうわけではなくて……」


 子墨の感情の「色」が薄くてあまり視えないので、藍紗は彼のことが怖いだけだ。

 身を硬くしていると、何を察したのか、子墨が煩わしげに口を開いた。


「今更、何を恐れているのか知りませんけど、私が不機嫌なのは、貴方のせいではありません。無断で抜け出したのがバレたら、私の首なんて軽く飛ぶので。皓夜様が自滅するのならまだしも、私まで巻き込まれるのは嫌だって話です」

「抜け出すって?」

「大丈夫です。藍紗さん。バレなければ良いんです」

「バレたら不味いことをしているということですよね?」

「不味いことではないです。たとえ、どんな目に遭っても、私は貴方をお連れすることを優先しましたから」

「…………とりあえず、私、一度帰りましょうか?」


 何だかよく分からないが、子墨の命を懸けてしまうのは不味いだろう。

 咄嗟に扉に手をかけた藍紗だったが、しかし……。


「飛び降りたら、貴方はこの世から消滅しますよ」


 子墨が怖い真顔に眉間の皺を幾つも加えて、宣告した。


「何で、こんなに急いでいるんですか?」

「貴方を玉清館にお連れするためです」

「玉清館って?」

「私の管理下に置いた方がいいですからね」

「でも、私……学生ではありませんよ」


 玉清館は元々、妖異殲滅の術師を養成すべく、叶の初代皇帝が王城の隣に自ら創設した男女共学校だ。

 そういうことだから、当然、防御の結界は厚く、部外者は徹底的に出入り不可だったはず……。

 寮制なので、学生たちも、たまの休日以外、実家に戻ることすらできないのだ。


「私も勢いで、ついて来ちゃいましたけど、玉清館は貴族の子供たちの勉強の場所ですよね? 庶民の私が勝手に入ったら不味いんじゃ……」

「大丈夫です」

「いや、その笑顔に一言だけっていうのが、逆に不安を掻き立てられるというか……」


 考えてみたら、皓夜と出会ってから、基本的に彼は大丈夫だとか、平気だとか、楽観的なことしか藍紗に対して喋っていない。


「皓夜様。もし、蒼雪がとんでもないことをやらかしていたとしても、寛大な処分を賜ることって、できませんでしょうか?」

「あー……。その件に関しては、また改めて話すとして」

「やっぱり、あの子、何かしでかしたんですね?」

「心当たりがあるんですか?」

「それは……」


(何だろう?)


 少しでも手がかりがないかと、藍紗も懸命に記憶を辿ってみたが、何一つ思い出すことができず、挙句、頭が痛くなってきてしまったので、考えることを放棄してしまった。


「蒼雪は……玉清館に入学する前、とても悩んでいました。高位の貴族の子女が集う学校に自分がいても大丈夫なのだろうかって……。でも、寮に入って……それからたまに吝の実家に帰って来ても、私と話したがらなくて、会う機会もほとんどなくなってしまいました」

「吝 蒼雪は、確か今年十四歳でしたね」


 微妙な合いの手を、子墨が入れてきた。


「ああ……つまり。年頃のお子様特有の反抗期を藍紗さんは当てられてしまったということですか。なんと、まあ我儘な。……やっぱり、腹が立ちますね。妬けてしまうじゃないですか」

「はっ?」


 ――妬ける……? 

 とんでもないことを皓夜は穏やかな口調で平然と言う。


(聞き違い……かしら?)


 藍紗の混乱をよそに、馬車が跳ねるようにして、隘路を進んでいく。


(本当に、玉清館を目指しているのかしら?)


 不安になって、馬車の小窓から外を見ると、藍紗は彼らが嘘を吐いてないことが再確認できた。

 今までずっと近道を利用していたらしい。

 いつの間にか、王城に繋がる大通りに差し掛かっていた。

 蒼雪から聞いたことがある。

 この道は普段、城外の人間が利用できないのだと……。

 きっと、通行許可を表す札でも馬車にぶら下がっているのだろう。

 彼らは本当に身分の高い貴人で、少なくとも藍紗城内へと連れて行くつもりなのだ。


(急に、怖くなってきたな)


 脳内では行く気満々でも、実感がわかない藍紗は他人事だった。

 だけど、本当に人の多い場所に行くとなると……。


(感情の色が視えるというだけなら、まだ良いのだけど)


 素知らぬふりは大変だろうけど、藍紗さえ黙っていれば、普通を演じて暮らしていくことは出来るかもしれない。

 ……けど、藍紗にはもう一つ謎の体質があるのだ。


(もし、あの体質が玉清館に行って発覚してしまったら……)


 ――終わりだ。


 蒼雪のことばかり考えていたから、すっかりそのことを失念していた。

 下手したら、妖異の一味扱いされて、処刑されてしまうかもしれないのだ。


(大丈夫よ。皓夜様は奇妙なことを言ってるけど、私はただ蒼雪の様子を見に行って、お詫びして済むのなら、誠意を尽くして謝って帰ってくるだけだもの)


 ごくりと息を呑んで、藍紗は気持ちを切り替えた。

 城の内部は、小国ほどの広さがあるのだと、蒼雪から聞いたことがあった。

 もし、妖異が攻めて来た場合、最後の砦が王城だからだ。

 方向感覚が狂うほどに広いと聞いていたので、目的の玉清館に到着するのも時間がかかるだろうと思っていたのだが、意外なところで、馬車が止まった。


「ここは?」

宅西たくせいの端です」

「へっ」

「ああ、九天きゅうてん城の西側の隅っこと、言い換えた方が貴方には分かりやすいですね」


 九天城が王城の正式名称だということくらいは、藍紗にも分かっているのだが……。


「いや、そういうことじゃなくて」

「さっ、行きましょう」


 皓夜は、ひょいと馬車から飛び降りた。

 吹く風が涼しい。

 もうすっかり、黄昏時になっていた。


「藍紗さん、大丈夫ですか?」


 皓夜がが馬車を降りるまで、じっと待っていてくれたので、藍紗はびっくりしてしまった。


(なんで、私なんかに?)


 足蹴にされて馬車から突き落とされることは想定出来ても、心配そうに待たれることなんて想像したことがなかった。


「あ、ありがとうございます」


 華やかな高層の建物が垣間見えている。

 朱塗りの統一感のある瓦屋根は、天子の住まいの証だ。

 きっとあの辺りが九天城の内廷ないていだろう。


「あの……玉清館は?」 

「まあまあ。今、この時間、一年生は城の外れで実習をしているのです。……で、私もここで合流すれば……」

「…………はっ?」

「龍 皓夜さん!」


 瞬間、藍紗がずっと一番に会いたかった人物がこちらに向かってきた。

 記憶にあるより、更に低くなった声。


(つい先日、吝家に戻ってきた時に、見掛けたばかりなのに……)


 ずいぶん、背が伸びたような気がする。

 玉清館の学生は、黒い道士服を制服にするようだった。


「………………蒼雪」


 しかし、彼は藍紗のことを一切見ようとはしなかった。

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