第4話
「た、助けて!」
一応、叫んではみたものの、厄介事を避けたいのか、通行人は藍紗を一瞥すらしなかった。
(こんな横暴が、白昼堂々罷り通るって……)
先程、彼に話しかけられた時のちょっとした喜びを返して欲しかった。
「天帝の御前でこんなことをしたら、良くないと思うのですが……」
「別に、天帝に許しを請うつもりはありませんが、貴方には謝罪しておきます。手荒な真似をしてしまって申し訳ありません。でも、私は貴方をずっとここで待っていたのです。……貴方、吝家の娘……藍紗さんですよね?」
「そ、そうですけど。どうして、私の名前を?」
「私、貴方の従弟の吝
「玉清館の……」
「ええ」
蒼雪が進学した学校の名前だ。
幅広い年代の者の入学が許可されている叶国一の秀才、術者希望者が集まる特殊な学校だった。
金縛りの術が使えることからして、皓夜も玉清館の学生なんじゃないか……と、藍紗も少しは疑っていたけど。
それにしたって、変だ。
……藍紗の存在を蒼雪が安易に話すだろうか?
入学して、まだ
「蒼雪は、一緒ではないのですか?」
「彼は来ません。私は私の判断で、貴方に用があったのです。吝 藍紗さん」
「だから、貴方は私をここで待ち伏せをしていたのですか?」
「待ち伏せとは人聞きが悪い。この国の人間は敬虔な天帝信者ばかりです。貴方も例外ではない。当然、ここに来るだろうことは予期していました。貴方の願いごとが蒼雪に関することだろうってことも、大凡、想像がついています」
「……まさか、
「どうして、そう思うのですか?」
男の問いに答えているどころではなかった。
入学してからずっと、蒼雪は様子がおかしかった。
絶対、学校で何かあったに違いない。
さああっと、藍紗の顔から血の気が引いていった。
「私、行かないと」
「何処に?」
激しく暴れ出した藍紗を、青年は人差し指を向けただけで、軽く捕えてしまった。
「無理ですって。どこに行く気ですか? 貴方にこの縛りは解けません。それに、安心してください。今のところ、蒼雪くんは腹立たしいくらい、元気に生きています。問題は貴方の方なんですよ。藍紗さん」
「私……?」
藍紗の身体が意思とは無関係に引きずられていく。
どうやら、皓夜と名乗った術師は身動きを封じるだけではなく、人の動作を操ることも出来るようだった。
「ま、待って下さい。一体、私をどうするつもりなんですか?」
「ああ、失礼。申し遅れました。私の名は、皓夜と申します」
「は?」
話がまるで噛み合っていないのだが……。
しかし、彼は気にも留めることなく、歩みも止めることもなく、勝手に楽しそうに話している。
「白いという意味を含む「皓」と夜で、皓夜です。呼び捨てして下さって構いませんよ」
「呼び捨てなんて。出来るはずがありません。皓夜様」
「貴方に「さま」をつけて呼ばれたくないのですが……」
「……皓夜様」
いくら本人が望んでいたとしても、庶民の藍紗が貴人の成人男性を呼び捨てになんて出来るはずがない。
藍紗を引きずりながら歩いている皓夜の後ろ姿しか、藍紗の方からは窺えなかったが、彼はしょんぼりしているようだった。
「まあ……いいんですけどね。肝心なのは、手応えですからね。……藍紗さん、どうでしょう? 私の名を聞いて……何か……ぴんと来ませんか?」
「ぴん?」
「ぴんと……です」
また意味不明なことを……。
彼独特の謎の質問が始まったらしい。
「あー……別に、ぴんとはこないですね」
むしろ、執拗さが狂気染みて感じるのだが……。
「皓夜様の姓を聞いたら、何か思い出すかもしれませんが……」
「姓でしたら、一応、今は龍姓を名乗っていますが」
「龍って、あの……?」
「そう。あの龍です」
――想像上の動物の「龍」。
皇家が名乗っている姓なので、堂々と名乗っている人は少ないはずなのだが……。
(まさか……皇家繋がりとか?)
いや、そんなはずはない。
さすがに、皓夜とてそこまで偉い人ではないだろう。
皇帝の縁者が昼間から、街の廟にふらふら一人で出入りしているはずがないではないか。
「やっぱり、皓夜様と私は初対面だと思うんですが……」
ほんの少しの胸の痛みを抑えて、きっぱりと藍紗が答えると、振り返った皓夜はぴたりと立ち止まって藍紗の方を向いた。
逆光に細めた彼の瞳が、ほんの少し碧色に視えた。
「確信……しているんですけどね。……いいですよ。今はそういうことで」
皓夜の乾いた笑い。
強がっているが、分かりやすく、肩を落としている。
――当然か……と、皓夜は何度もめめしく小声で呟いていた。
(何が?)
けれど、藍紗が詳しく尋ねようとしたところで、皓夜は再び感情のままに、藍紗の身体を宙に浮かべて引っ張り始めた。
(嫌がらせ?)
「わ、分かりましたから! もう抵抗しませんから。いい加減、この術を解いて下さいよ」
「嫌ですよ。ここまで来て、貴方に逃げられてしまったら、私が困るんですから」
「逃げませんって。けど……」
「けど?」
「一応、吝家には言伝くらいしておかないと……」
「今更、そんなことですか?」
「重要なことなんですけど」
「その件に関しては、ご心配なく。こちらで、滞りなく済ませておきましたから、貴方は何も心配することはないのです」
「……本当ですか?」
「疑り深いですね。大体、貴方は実の親から、叔父宅に引き取られたと聞きました。放任主義だとも……」
彼は一体、藍紗の事情をどの程度まで調べてきたのだろう。
下手にこちらから話さない方が賢明かもしれない。
「放任というか……」
その真逆なのだが……。
徹底的に叔父夫婦から嫌われているなんて、他人様には話せなかった。
「ねえ、藍紗さん。天皚大帝に願掛けしたいのなら、九天城に来るのが一番です。それに、私、怪しい者じゃありません。貴方の味方です。あらゆる神に誓って、それだけは言えます」
「…………はあ」
――自分は怪しくない……と?
(正直、無理があると思うんだけど……)
金縛りの術まで駆使して、藍紗は連行しようとしているのに?
(分かっているけれど)
皓夜は、悪人ではない。
藍紗には、人の心の色彩が視えるのだ。
……彼の内面の色が、しっかりと視えている。
表層には胡散臭さや、腹黒さも染み出ているが、奥底には瞳の色と同じ穏やかな碧色が視えている。
藍紗の心の奥底が……。
なぜか震えるほどに。
(……厄介事には変わりないけれど)
この能力と、ある体質が足手まといになって、今まで何処にいても上手くいかなかった。
(蒼雪とだって、結局仲良くできなかった)
それでも、彼は藍紗にとって唯一の優しくしてくれた肉親だ。
(あの子を助けるためなら、多少危険があっても、動かなきゃ駄目よね)
皓夜は言葉を濁していたけれど、やはり蒼雪が絡んでいるような気がする。
吝家にいたところで、藍紗は死んだように生きていくだけなのだ。
――だったら。
どうせ、皓夜は逃がしてくれないのだ。
胡散臭くても、今はこのまま、彼について行くのが賢明だ。
(……ねえ、そうでしょう?
藍紗はそう自分自身に言い聞かせた。
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